Epilogue*3―――きみに廻りゆくもの。





「クルゼアの件についての決定を決めた途端……まさかそうくるとはさすがに思いもしなかったよ。出る幕くらいはあったみたいだけど、なんだかんだ言って今回の件、結局君、また見事に役立たずだったらしいから、少しは反省でもしてるかと思えば………ねえ、君、本当にファミリーのボスって自覚ある? 全部終わったあとに正しい真相教えてもらうって、お膳立てした僕たちのこと、完全に馬鹿にしてるよね」
「し……してませんよ! ていうか大体ヒントが判りづらいんですよ、リボーンも雲雀さんも……っ!」
 戦闘態勢を予感させる眼光の鋭さに、震え上がりながら、悲鳴のような声を上げて精一杯反論する。
(うう、だから来たくなかったんだ……!)
 だがそうも言ってられぬ事情がこちらにも出来てしまった。スペインから帰還してまだ一日を過ぎている途中だというのに、早々に事後処理を執り行って片付けたのはその為だ。
 男の言う通り、今回自分はほとんど役立たずであったから、せめてそのくらいは早急にとも思い、頑張ってみたのだが……雲行きが怪しいのはやはり一緒にちょっとしたお願いを口にしたからか。だがもう色々と手配をしてしまった上に決意は固く、邪魔をされたらとりあえず死ぬ気で逃げようと真剣に心に決めてもいたので、さすがにボスの自覚云々と指摘されたらささやかながら良心に胸がズキズキと疼いた。なにせこれから自分はその自覚を取っ払って、只の一人の人間、沢田家の一人息子として日本へと急遽帰省するつもりなのだから。
 理由は帰りたいと思ったから。今すぐにでも、あの優しい母の顔を見て、言いたいことが出来たから。
「と、とにかく、ちょっとの間でいいから、あとお願いします。すぐ戻ってきますから!」
「ふうん………なんで?」
「えっ」
「別に、怒ってはいるけどすぐ戻ってくることなんかないよ。ゆっくりしてくればいいんじゃないの? それはそれとして、あとで必ず何かはしてもらう予定だし」
「は……?」
 雲雀恭弥の意外な返答に、気負っていた分、拍子抜けといった調子で綱吉は目を見開いた。…ついでに後半何かよからぬことを聞いたような気もするが、まさかこんなにも簡単に勝手に対するお許しが出るとは夢にも思わずそっちのほうに意識を奪われ、
「行きたいなら行ってくれば」
「………」
 再度素っ気無く告げるそれは、まるで興味なさげに聞こえるにも関わらず、何故か彼らしい気遣いをそこに感じ取ることが出来、それから一通りの文句と苦情を聞き終えたあとようやく解放を許され、半ば茫然と部屋を出たら、今度はそこにいつから居たのか、自分の部屋で待っててと指示しておいたはずの骸が扉のすぐ近くの壁に自身の肩を預け、その目許に落ち着いた淡い影を落としながら静かに立っていた。こちらに気付いて顔を起こす。
「…どうやら終わったようですね」
「あ、ああ…。え…なんで? 部屋で待っててくれて良かったのに……ずっとここで立って待ってたの? 疲れたんじゃ……」
「待つのは慣れてますから気にしないで下さい。寧ろ近い場所のほうが逆に落ち着くからいいんです」
「そ、そう……」
 ナチュラルになにか甘いことを言われた。思いながら――壁から身体を起こした骸と揃って廊下を歩き出す。
「時間のほうは大丈夫ですか?」
「あ、うん。それは大丈夫。まだ余裕があるから、ちょっと途中、寄ってほしい場所があるんだけど……いいかな? 少し物を渡すだけだから、すぐ終わると思うんだけど」
「別に構いませんよ。何処に寄る気か、大体の見当はつきますし」
 カツカツと廊下に二人分の足音が響いていく。珍しく誰も通らぬ廊下はひどく静かで、反響する二つの足音が遠くのほうまでまるで互いを追いかけるようにして軽やかに滑ってゆく。
 ふと男の腕が眼に留まった。気づかれぬよう少しだけ綱吉はその瞳を翳らせていると、
「もうこれで何度目か知れませんけど…これはあなたが落ち込むことではありませんよ。…まったく、何度言えばわかるんです? 帰りの道中、気にしていたようなのでずっと言おうと思ってましたが」
 歩きながらこちらを見ることなく男が言った。横顔を驚いて見る。何も言っていないのに何故わかる、と思ったら「わかりますよ。何年見てきたと思ってるんですか」飄々と、今度は驚いた思考にまでご丁寧にその返答が届けられた。
「だ…だって…」
 腕の傷。それは無理して自分を助けたせいでついた傷だ。だのにその傷を気にするなという。そんな難しいことをどう受け止めろというのか。
「それから、もう一つ」
 ぴたりと足を止められた。突然だったので同じように止まることが出来ず、綱吉は二歩ほど先に行ってから慌てて立ち止まった。
「……どうもあなたは僕に特殊技能の方の力を使わせたくないみたいですけど、それもいい加減どうにかして下さい。これでも少しは傷付くんです」
 珍しくはっきりと非を責められて「なっ」思わぬそれに言葉に詰まる。力を使わせたくないのは本当だったので図星を指されてうろたえていると、何かを思い出すように、呆れた溜め息をこれみよがしにはあと吐かれた。
「あなたが自分のことに対して自覚が薄いのは前々から知ってはいましたけど、力を使う度にそんな眼で見られるのは正直言ってわりと苦痛です。……そんな風にあなたが悲しそうにしていて、どうして僕が平気だと思うんです? 言っておきますが僕はそれほど無神経な性格をしていませんよ。もしそう思っているのならば今すぐその間違った見解を捨て、僕という個人に対する考えを入れ替えるか改めるか、して下さい。確かにこの力を使うことについては忘れられない深い苦しみや憎しみ、過去を思い出すこともあります。前世から持ってきてしまったものだから、今更その根源をなくすことはさすがの僕も出来ません。ですがこの忌まわしい力はあなたを守ることも出来る、あなたへと繋がっているんです。それは……それはとても嬉しいことです。だからこそ、それであなたが苦しむ姿を見るのは、現在の僕を否定されているようで耐え難いものがあるんです」
 こんこんと言い諭すようにして、最後にキッパリと宣言する。
 これだけは譲れないといったような頑なな瞳で。
「だからあなたは黙って、僕に守られていればそれでいいです」
「…ちょっ」
 反論を許さぬ強い口調に、文句も苦情も……すべて受け付けぬ勢いで、そのまま空いていた間を詰めるように有無を言わさず引っ張られて腕の中に閉じ込められた。勢い余って男の肩が頬に当たる。そうして抗うつもりはなかったけれど、逃げられるとでも思ったか、先手を打つようにしてするりと背に手が回って囲われた。逃げられない。だがこんなふうに守られるだけなんて。
「…オレはっ……」
「もう…黙って下さい。これだけ言ってもまだあなたは僕の倖せを奪うおつもりですか」
 言葉は、大きく息を吸い込んで言い放とうとした直後、きつく抱き竦められて成す術もなく絡め盗られてしまった。というより嬉しいと言った男が今度はあまりにもあっさり倖せだと口にするのに驚きすぎてぎょっとした。
(何、言って……倖せ…って)
「力を使うのに加減しろというのならちゃんとそうします。あなたが嫌がるようなことは絶対にしません、それで嫌われたら元も子もありませんからね。でも僕の幸福の基準をあなたが勝手にはからないで下さい。僕は、これで倖せなんです」
 頭上から降り落ちてくる言葉を茫然と聞く。まさかそんな。それでは力を使う骸を悲しそうだと思っていたのは全て自分の勘違いで、いや、寧ろそれは鏡のように―――?
(オレが、悲しんでた…から?)
 骸を想う、自分自身の姿を骸が映し出していたということか。
 それだけでも充分羞恥的な事実であったのに、加えてトドメを刺すように「三年前の任務で傷を負った時にも今と同じ表情をされて……余程その時も言おうかと思ってましたけど、」と三年前のことまで持ち出されてきたのには仰天しすぎてくらくらと眩暈までもが起きた。一つだけ……一つだけ、どうしても答えの出なかったことに、たった今予期せず辿り着いてしまったことを知る。
(まさかそんな…………そんなことって!)
 だがこれまでの話と流れを総合して言える、考えられることは、どれほどの恥を覚えたとしてもやはりたった一つ、それしかなかった。
 三年前の……もしかしてあの時にこそ、自分は落ちた、というのか。
 動けずにいただけではない。まさにその時に、自分はこの男を好きになって、なってしまったから、キスまで許して、それで好きになったことに無自覚のまま―――三年も気付かず…今、気付いた? ……ということか。
(うううう、嘘だッ! そんなっ、そんな恥ずかしいことあるわけ……っ)
 いや――――あったのだ。どれほどそれは否定しようとも、もう認めざるを得ない。だが素直にはどうも納得し難いものがあり、あまりの衝撃に目を白黒させていると、知らずトドメを刺してきた男は続けて更にとんでもないことを投下してきた。曰く、
「でもあなたがあんまりそれを見て青ざめるものだから、その時は一旦言うのを止めて、とりあえずもう二度と怪我をしないよう努めることにしてみました」
「――――」
 つまりそれは。
 それは、自分が青ざめたりしなければ怪我をすることに何の感慨も覚えない、という……考えたら、つまりそういうことではないか? 自分が青ざめるから、と。たったそれだけのことで男は自らの身の在り方までその時決めたということだ。考えてくれるのは嬉しいが、それはとても怖い結論でしかない。極論すぎる。
 自分が死んでしまえばきっと骸は先の宣言通り、世界を壊し、その後躊躇いもなく綱吉の後を追って死んでしまうだろう。
 それはどんな深い業に満ちた愛情なのか。
 綱吉はわかってないねと、こともなげに放たれた言葉をふいに思い出す。……ああ、確かにわかっていなかったかもしれない。
(こんなの―――落ちて、当然だ)
 こんな狂おしいまでの気持ちを前にしていたことにすら、自分は気付いているようで未だ完全には気付いていなかった。
 気付いてしまえばもう駄目だ。
 こんなものを前にしたら、もう浮上などできやしない。それほど深く、自分は相手の心の奥底にもうすでに呑み込まれてしまっていた。なのにそれに気付くのに三年も費やしてしまったのだ。
 三年間、自分は意識することなく無自覚な恋に落ちていた。
 けれどそうやって全てを取り間違えてきたからこそ、現在である今ここに自分は迷い迷ってなんとか辿り着けたのだとも思う。
 時間はかかった。とてもとても、無駄な時間を費やしたかもしれないが。
 けれどだからこそ。
 今。
(やっと……)
 この、過激すぎる恋の在りように気付けたのだ。
 そうでなければ生死までその恋心のままに準じようとする相手の気持ちを受け止めるだけの強い心を自分は持てなかっただろう。
 そう考えてみたら三年前のあの日、自分はそれを無意識に薄々と察知しかけていたのではないだろうか。だから思わずそこから逃げた。認めてしまったあとのことが恐ろしくて、恋に落ちたばかりの自分ではそれをどう受け止めるべきなのかまだよくわからなくて。
 そのとんでもない可能性と真正面から向き合うのが怖く、母親の願いのこともあって無意識に逃げる道を選んだのではないか。
 考えれば考えるほどその結論がしっくりと意識に嵌る。
 抱きしめられたまま、自分の生死が相手の生死まで巻き込んで決めてしまうことについて考える。
「倖せなのは……わかった。妥協する。だけどとりあえず、さ……簡単に死んだりとかしたら駄目だよ、骸」
 これからの未来、どうなるかなんてわからないが、考えて、心からそう綱吉は切に願う。
ずっと生きていってほしい。
 それはたとえ自分が死んでしまっても。
 自分と出会ったこと、共に生きてきた日々を無下にしてしまうようなことはせず。
 本当に自分のことが大切ならばその思い出を抱えて、最期の時まで貪欲に生きていってほしい。そこに確かなものがあったのだと、最後まできちんと証明して―――。
(だってそうじゃなきゃ寂しいだろ…?)
 恋は、確かにそこにあったのだと―――好きなら最期の最期まできちんと証明してみせろと甘い気持ちを下地に切々と思っていると、腕の力を解きはしたものの、腰に回した手は外さぬままで、不思議そうな顔が目の前で軽くその首を傾げてきた。
「わかって頂けたようで、それは嬉しいんですけど……何を急に言ってるんですか? 当たり前です、君がいるのに誰がそう簡単に死ねますか。まだ抱いてもいないのに」
「そ…そういうことじゃなくてだな……っていうかだだだだ抱くって……!?」
 この未来(さき)を心配して。心底考えての万感の想いに、思いも寄らぬ切り替えしを受け、まだ考えないようにはしていた生々しい現実が急に間近に迫ってきて、カッと顔が赤くなるのがわかった。それを見て、途端に楽しげに骸は相好を緩め、ツイ、と指の腹で綱吉の頬を慈しむように撫でてきた。そのままいつものように髪を払われる。それから何ら躊躇うことなく、実に堂々と。
「それはもちろんセックスのことですが」
 他に何があるんです。
 はっきり断ぜられてますます顔が赤くなった。なんだかどんどんおかしな流れになりつつある。
「いっ、言わなくていい、そんなことっっ!」
 じたばたともがく。
 だが、いかんせん、腰に回された腕は強固だった。…わかっていたことだが、体格ですでに負けている自分が男に純粋な力比べで適うはずがないのだ。
「クフフ、念願叶ってようやく君が手に入ったんです。どうぞ、覚悟しておいて下さいね? 十年分の想いは一晩やそこらで簡単に終わるようなものではないですよ」
「な――なあッ?!」
 何言ってるだこいつ!
 もはや話は完全に逸れている。しかし相手に戻そうという気はさらさらないらしく、
「しかしそれはそうと突然の里帰り……奈々さんきっと驚くでしょうね。なにせ三年ぶりです」
「は、話を急に変えるな!」
 顔から火が出るような羞恥が頂点に達したと思った次の瞬間にころりと話題を転化させられて、行き場を失った感情がなし崩し的に胸の中で突然の迷子となる。
 目を白黒させていると、男は特異な笑い声をいつもより多めに零し、明らかにこちらの反応を見て楽しんでいた。しかし三年ぶり、との言葉がさらりと紡がれるのに対し――一方では綱吉の胸は熱くもなった。
 母親の、ごく普通の何気ない……倖せにという平凡な願いを裏稼業だけに留まらず、他にも壊してしまうかもしれない、そんな未来を危惧し、自分は無意識のうちに実家への帰省にすら歯止めをかけていたというのに……
 目聡いだけには収まらないそれは、男がそれだけ自分の動向に日々注意を払い、心を砕いていてくれていた証のようで、
「……帰るっていう手紙はボンゴレの伝達機関使って、なるべく早く届くようにしてもらったし、そんなに驚かないよ、きっと」
 だから胸を張って帰ろうと、綱吉は、帰省よりもっと驚きそうなこと言うつもりだし……と、顔を赤くしながらも内心で密かに己の決意を固くした。
 それはたった一通、
 たった一文に「帰る」とだけ綴って母親の元に突然帰ってくるような、筆不精で不器用な、それでも母への愛だけは他の誰よりも深く強く持ち続けているあのロクでもない父親のように。
 それがどんな形であっても、心から伝える想いはきっと何十枚もしたためた手紙よりずっと重いときだってある。
 だからそれに倣って綱吉もまた、自らの手を差し出すことを、たとえそれがどんな未来を辿ろうとももう躊躇わないと決めた。
 きっと叶えてみせる。
 一緒に、叶えてくれると信じている。
 そんな重要な位置にある男が、ふいに「でもその帰省、久々なのに本当に僕も一緒でいいんですか?」と、同行を頼んだときには嬉しそうにしていたのに出発する今頃になってそんなことを言い出すのに変な遠慮の影が見え隠れして、おかしくなってつい笑みが零れた。大丈夫だと告げるべく、その肩にこつんと自らの額を預ける。
「一緒に帰ってほしい」
 そうでなければ伝えられない、そんな想いを伝えに。





 一緒に、帰ろう―――囁いたその後に続くものが男に少しでも伝わればいいと、そう、本気で願いながら。







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