Epilogue*1―――その在り方を言葉にはしない。





 目が覚めると、この二日の間、突発性自主的行方不明の身となっていた小さな殺し屋の姿が唐突にそこにあった。一気に眼が醒めて、思わずベッドから転げ落ちるようにして跳ね起きた。
「リ、リボーンさ……っ?!」
「ちゃおっス。先に結論だけ言うぞ。諸々片付いたみてぇだ」
「片付いたって……まさか十代目のことですか! ど、どうなったんですか、十代目は……! 雲雀の野郎、十代目のことはほったらかしに……痛っ」
 家庭教師の手にした銃から黒い何かが飛んでき、避け切れずバチンと額にそれを受ける。「実戦なら死んでたぞ」至極もっともなそれを聞きながら、当たってベッドのシーツの上にころりと転がったそれを見る。…豆だった。
「豆鉄砲だ。今のオメェの表情まんまだな」
「は、はあ……。は、いえ! それはいいんですけど、リボーンさん! 十代目が……って、またですかっ!?」
 バチンと豆が発射されて額の中心、ど真ん中にぶち当たる。
「オメェの口からはいつもそればっかだな」
 右腕なのだから当たり前ですと応えたらまたもう一発発射された。今度は避けようと思ったが、その身体の動きに合わせてまたも額のど真ん中に豆を受ける。いくら殺傷力はないとはいえ、至近距離からの立て続けの被弾……いい加減そこだけ赤くなっているのではないだろうかと情けなく思っていたら、
「いーからオメェもそろそろビアンキを安心させてやれ」
 それだけ言って、家庭教師は部屋から本気で出ていってしまった。ひょこひょこと動く帽子の縁に止まったカメレオンのレオンだけが大きな目をぎょろりと動かし、こちらを最後まで黙って見続けていた。なにかを見定めるかのように。
 ぱたんと部屋の扉が閉まって、誰もいなくなる。
(片付いた……? てことは十代目は無事に帰って来られるってことか……)
 不思議なもので、それを理解した途端、ここしばらくあった精神的負荷がどっと消失するのがわかった。「………」課題のように告げられたもう一つのほうは今は意識して思考から外す。
「…は、なにやってんだオレは」
(十代目の危機に駆けつけられないどころか一人空回って、熱くなって……あの方はそんなにヤワな方じゃねえってのは十年も前からわかってたことなのにな)
 自分はそんな御方の右腕なのだから何事にもどっしり構えておかねばならない……だというのにいざとなるとどうしても御身大事とばかりに焦りの方がつい先行してしまう。
(十代目のことは信じている。……オレが信用できてないのは、オレ自身だ)
 いい加減心配も過ぎると相手の負担になるだけだ。覚えのある青臭い叱り文句を思い出し、落胆にサイドテーブルに置かれた煙草へと無意識に手を伸ばしかけ、「――駄目よ、まだ大人しく横になってなさい」唐突に部屋の扉が開いて、姉であるビアンキがその顔をするりと覗かせた。全身から血の気が引き、慌てて煙草を掴もうとしていた手を顔の前にかざして間一髪で視界を遮る。
「な、何で姉貴が……!」
「いやね、大事な弟が倒れたんだから姉である私が看病するのは当然のことでしょう。昨日からそんなに体調が悪いのにどうして隼人は無茶ばかりするのかしら」
「それは姉貴がさせてっ……!」
 いや、―――違う。そうではない。
「…隼人?」
 いつものように怒鳴りかけ、脳裏に先程の家庭教師の言葉と倒れる間際に聞いた雲雀の声、姉の声、そして自分自身の懺悔の声がぐるりと思考を巡った。
(姉貴は)
 ……吸い込んだ息をぴたりとそこで止めた。
 頭のどこかから傲岸不遜な仲間の声が響いてくる。あの男の言っていたことを素直に認めるのはどうにも癪で仕方ないが―――ああ、そうだ、もう認めよう。遅くはあるが自分も十代目のようにいい加減問題を片付けなければいけない。
 その義務と責任、家族という名の繋がりを以って。
(家族だからって……んな、三十も前になって甘えてたら格好つかねぇし、十代目にも胸張って会えねぇし、な)
 姉は、自分のことをいつでもちゃんと大切に想ってくれている。
 その気持ちに応えられないのはいつも自分ばかりであることをそろそろ認めなければならない。
(姉貴だって悲しんでいるのを……オレは知っていたんだ)
 知ってはいたが、過去のトラウマを理由に、しょうがないと端から諦め、理解しあうことを放棄していた。姉本人の気持ちなど確認しようともしないで、このままでいいのだと勝手にそう結論付けて、終わらせていた。そうやって守るしかないと、そうでなければ自分は弱くなるからと……自分からはそれ以上のことはけして告げようとはしなかった。そんな不甲斐無い自分を姉は照れ隠しだの思春期だからだのと様々な理由を体よくつけ、真剣に誤解はしていたけれど、一度として自分を責めたりはしなかった。向き合うべき現実から逃げていたのはいつ だって自分だけだった。
 自分がどれだけ姉を傷付けてきたか………その自覚があったからこそ、それを眼前に突きつけられるのが怖く、避けてきたのだ。何よりも近しい、家族によって付けられるその傷がとても痛いものであることを自分は半ば漠然と知っていたから。
「姉貴」
「…なに、隼人?」
 鈴の音を転がしたような綺麗な声に、幾分、緊張で声が固くなった。今更何を言うのかと詰られるかもしれない。
 そんな不安がふと過ぎる。
 けれど言わなければ終わらない。
 延々と続いていく中でも、終わらせなければならないことが、人にも物にも、何にだってそれはあるように。
「いつも……倒れてばっかで、迷惑かけて、悪ぃ」
「隼人……」
 たとえこんな不完全な在り方しか出来なくとも、自分たちはやはり確かに血の繋がった家族で、姉と弟、姉弟なのだ。目の前にかざした手の甲に淡い影を落とし、思い起こすように目蓋を閉じながら聞こえる程度の小声でぽつぽつと遅い謝罪を口にする。なにか、子供の頃に還ったような気分だった。ピアノの発表会。誇らしげな親の顔。自分を励まし、応援する姉の笑顔。会がある度に押し付けられた姉の手作りケーキは、愛情の枠を飛び越えて幼い自分を幾度も昏倒させ、果ては恐怖の対象物となってしまったけれど。その愛が大人になっても何ら変わらなかったように。
「でも、オレが倒れるたびに……自分の所為みたく姉貴が看てくれなくてもいいんだ。いつも避けてたのはオレがそういうの…見るの、嫌だったからで……情けねえ自分を認めて、姉貴に責められる方が嫌だったんだ。……そうやって目を逸らして逃げてただけで……だから……姉貴、オレ」
「…そんなこと」
 柔らかく制する声に口を噤む。目を閉じていてもわかる、その穏やかな微笑みが幼いあの頃と同じ、多くの愛情からなるものだと。そうして微かに笑って、自責の念を過分に含んだそれに姉はこともなげに小さく囁く。
「今更だわ」
 今更何を言うの、と詰られるどころか軽く笑われ、丸呑みされたのがわかった。続けて、何でもないことのように言われる。
 だって私たち家族でしょう、と。
 たとえ―――その在り方が世間一般のものとは幾分ズレた、実のところひどく歪なものであっても。
「家族だもの……いいのよ、隼人。迷惑かけても。それが大事な家族なら尚更ね。苦になんて思わないわ。勿論、責めたりなんかもするわけがないでしょう」
 馬鹿ね。と、それが家族として当たり前のことなのだと言わんばかりな態度で、言葉通り、苦もなく言う。
 現実として自分たちはそんな平和で呑気な家庭で育ったわけではなく、たとえ血を分けた家族であっても互いの血を流す関係に終わることすらこの世界では平然とあるのだと―――知っては、いても。
 ごく普通の、一般的な家族の在り方を姉が望み、自分がどういう言葉を返せば一番喜ぶであろうこともわかっているのであれば、それでいいのかもしれなかった。項垂れながら姉へと微かに唇を動かす。それを聞きとめ、珍しいわと驚く姉に、若干の照れも入って、もう二度と言わねえと手のひらで顔を覆い、ぶっきらぼうにそれを呟いた。
 不思議と、今なら姉の顔を見れるような気がした。
 だが感謝という、そうそう何度も言えるものではないひどく自分らしからぬ言動の余波に煽られ、結局、それ以上何もすることなく深く目蓋を下ろしてその目を閉じた。
 世の中には、こんな、家族だってある。





 それで、いいのだと微かに微笑みながら――。












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