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 ふわりと離陸する感覚に胸の奥がすくわれるような一瞬が訪れ、何故か急に全てが心許なく思え、綱吉は自らの周りをこれが夢ではなく確かな現実であるのだと確認するようにその首を巡らした。
 そしてぐるりと廻し見た世界で、それはなくなるどころか、寧ろ逆に増えていることを確認し、改めて驚いた。
 行きにはなかったものが数多く増えている。
 それは保護して眠る人の身であったり、終わってみればそれぞれ細かく負った名誉の負傷であったり、駆け抜けるように目まぐるしかったこの二日間の、ひどく濃厚な記憶であったり―――。
 それらを見て胸に去来するものは実に様々であったが、一番比重を増したと思うものは行きと同じく…変わらずそれは自分の隣にあった。
 相変わらず当たり前のような顔をしてそこにいる。
 たったそれだけのことなのにそれが今では妙にやたらと緊張を促してくる。けれどそんな自分の変化を隣にいる男はまだ知らないのだ。いや……それらしいことを微かに仄めかしはしたが、そのまま中途半端に戦闘へと流れ込んでしまったので、ずっとそばにいてほしいと告げたあれを男がどう受け止めたかは、綱吉自身もきちんとは知らない。
「…あのさ」
「はい?」
 妙な居心地の悪さと拍車のかかり続ける緊張に離陸してたっぷり三十分は悩みまくったあと、珍しくちょっかいをかけてこない男に焦れて、ようやく意を決して綱吉は顔を上げる。視界の端に行きと同じくまた早々と眠りの国へと旅立った山本の姿をちらりと留めながら、
「骸は…オレのことが、その、好き……なんだよ、ね?」
 自分で言っててひどく恥ずかしいことを口にしている。わかるだけに羞恥に顔が照る。
はい、と一秒も経たずはっきり明言され、理由も言ったほうがいいですかとの声まで続き、気恥ずかしさにもっと顔が熱くなった。
「そっ、それはいい! また今度で! オ…オレが訊きたいのは、なんでずっと……骸がオレのこと、諦めなかったのかなっていうことで…っ」
 不思議そうに瞳が瞬いた。
「なんでと言われましても……もちろん君が好きだったからですけど」
「いや、それは勿論そうなんだけど……! あ、いや、それが当然とか思って言ってるわけじゃなくて…その…なんていうか…」
「―――確かに」
 うまく言葉が紡げず慌てふためいていると、横合いからスッと伸びてきた男の細長い指が綱吉の緊張に強張る頬をやんわりと捉えた。指先が表面に軽く触れる。まるでとても壊れやすいものでも扱うかのような繊細な指遣いに、ぎこちなく、促されるままに視線を上げ
「望みは薄くて…絶望することも多かったですけどね」
 目を合わすとふっと男が柔らかく笑った。
 ほんの少しだけそこに照れのようなものを浮かべて。
「君が僕の希望そのものだったから、諦めることもできませんでした。諦めるには、ちょっと眩しすぎたんですよね」
 おかげで眼が眩んでどこにも行けなくなりました。
 そのまま笑顔でさらりと、とんでもないことを言う。
 口説き文句もここまできたらいっそ才能だと軽く慄けるような、予想以上に甘い言葉を平然と吐く男を見て、束の間、呼吸の仕方を忘れて固まっていると、動揺している瞳を更に深く覗き込まれた。
 そこから逃げようにもいつの間にか指が顎を捉えていて、動きを甘く制される。触れてくる指先から、直に伝わってくる気持ちに今にも息が止まりそうになる。
「だから、奈々さんのことを言ったのも、別に後悔はしていません。いずれは言うつもりでしたし……あれで君の気持ちがどこに傾こうと僕に諦める気持ちはありませんでしたからね」
「…………」
 そうしてその想いの深さに、自分は遅ればせながら自覚をしたのだ。
 逃げても逃げても追いかけ、
 かといって強引に追いつめるわけでもなく、ただ、少しでも自分の近くに在ろうするこの目の前の男に。
「あ」
「……?」
 深く息を吸って、肺に新しい空気を取り込む。
 咽喉が若干引き攣れるようにして震え、掠れた声に自分の緊張の度合いを嫌でも知ってその度胸のなさに多少情けなくなる。
 それでも。
「あ……諦めなくて、……いい」
 言わなければと奮起して萎縮する咽喉を抉じ開け、ぎこちなくそれを紡げば、骸はそんな自分を見て、一瞬沈黙し、「……さっきも、ついうっかりと聞きそびれてしまいましたけど」微妙に表情を固くしながら、現状に戸惑うような、困っているような、そんな―――どんな表情をしたらいいのかよくわからないといった様々な感情が入り乱れた実に複雑な表情をして、
「すごく、……その、すごく、嬉しいことを言われてるような気がするんですけど、期待しすぎるとあとが辛いので……あぁいえ、辛いと言っても諦めるつもりはやっぱりありませんけど、一応意味を…どういったつもりであなたがそれを言っているのか、その意味を訊いてもいいですか? もしも却下と言うのならこっちで勝手に都合良く解釈してしまいますけど、もし僕の気のせいならそうならないよう早めに訂正し…」
 骸の言葉を遮るように本日三度目となる短い拒絶の言葉を口にする。すると告げた途端、目の前で男が全身体機能の一切を停止して固まった。さっきの自分と同じくご丁寧に呼吸まで止めて。
 そんな風に―――なにも急激な世界の変化に戸惑い、驚いているのは自分だけではない。
 素直にそう思える光景に、やっと少しだけ緊張が解れ、綱吉は小さく笑った。どんなことがあろうとけして諦めないと言った男へ、その眩しいといった光が少しでも早く、近くにもうあるのだと教えるように。




「好きだ」















 ……伸びてきたもう一方の腕が自分を攫うようにして抱き込んだのは、それからたっぷり三十秒は経過してのことだった。











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