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「ちょっ」
 今まさに倒れ込もうとしていた男の身を背後にいた部下の一人が慌てて手を伸ばしてそれを助ける。それまで呆気に取られて見ていたわりにそこに至るまでの反応の良さと要領の良さに、我ながら良い部下に恵まれているなぁとしみじみ機嫌良く思いながら。
「さて、と」
 顔面蒼白となって自身を取り巻く環境に必死で耐えているクルゼアを、振り返って斜めに見下ろす。自分のことに精一杯で、綱吉が見下ろしていることにも気付いていないのはある意味で仕方がない。或いは当然というべきか。寧ろ意識があることに賞賛を贈りたいくらいだった。曲がりなりにもやはりファミリーを総括する者だったということだろうか。
「まあ…そろそろ限界のようですけどね。どうしますか、ボンゴレ。報復しておくのなら別に任せてもらっても構いませんが」
「……お前が言うとちょっと物騒なんだけど」
 顔を元に戻すと、静かに横に歩み寄ってくるもう一人の部下がいた。その左眼にははっきりと六の数字が浮かびあがっている。
「大丈夫ですよ。死なない程度に軽く、ちょっときつくお仕置きするくらいに留めますから」
「ああ、うん、一文章に反語めいたものが同時に存在してるって時点でちょっとどころでなくものすごく物騒なんだけど」
 キッパリと。
 却下、と、滑らかな発音でそれを告げる。
 そんな命令という名の制止につまらなさそうに肩を竦められた。いや職業柄、それはそうだけど、だとしてもそれほどそれに残念がるのは人としてどうかと思うんだけど……――思っていたら、
「あー……あのさ、ツナ? つまり…何がどうなってんだ?」
 怪訝というより寧ろ反応に困ったような顔で気を失った男の身を一先ず地に横たえて山本が遠慮がちに質問してきた。
「あ、ごめん。途中で気付いたかなと思ってたんだけど……」
「事前に何の打ち合わせもなくこれにすぐ気付けるのはあなたとアルコバレーノくらいのものですよ。あまり僕の力を見縊らないで下さい。大体あっちの…その他大勢の雑魚の皆さんは気付く間もなく軒並み綺麗に気を失っているでしょう。倒す手間が省けたんですから、少しは褒めてくれてもいいと思うんですけど」
「幻覚汚染の被害が味方に出ないなら褒めてやってもいいけど……山本までバッチリかかってるから、それも却下。」
 やっと事態が収拾して、ほっと一息つき、部下たちと揃って肩を並べる。真ん中にいる自分が一番背が低いのになんとも言えぬせちがらさを覚えていると、最初から最後まで、物語の近くにいるも、どうも存在の薄かった男、クルゼアが泡をふきながらパタリと倒れた。見れば完全に目が回っている。それ見て骸が軽く首を傾げる。
「おや、やっと倒れましたか。意外としぶとかったですね。まあこちらは幻覚の度合いが浅かったせいでしょうけど」
 すでに興味の失せきった調子であっさりと。
「―――そんなわけで、山本武。先程あなたが容赦なくバッサリと斬った彼女の身も幻覚によるものなので、どうぞご安心を。生身は傷一つなく綺麗なものですよ。まあ、あなたがあのまま刀を振り切っていたら多少は危なかったでしょうけど、ちゃんと途中で止めたので僕が幻覚でその位置を少し前のずらして斬ったように見せかけました」
 そのままぐるりと首を巡らし、遅くなったが、先程投げかけられた質問への回答をフォローしてるのかどうか実に疑わしい台詞で山本へとくれる。それでもそんな、傲岸不遜な骸に綱吉以上にほっと胸を撫で下ろして、「そっか…助かった。ありがとな、骸」と素直に感謝を述べ、山本は明るい笑みを浮かべていた。それなのに礼を述べられた男は相変わらず飄々として、大した感慨もないふうだった。
 この辺り、自分の出る幕ではないと思いつつもあからさまな態度の違いに、だからどうしてオレはこっちの無愛想なほうだったんだろう、と頭を悩ませる。ついでに向こうがこっちを好きな理由も相変わらずさっぱりだと思っていたら、別のところで派生した疑問がこちらの思考をストップさせるよう飛んできた。
「しかし……なんでまたこんな面倒なことをしようと思ったんだ?」
「ああそれは…」
 倒れ伏す二人の姿を目に映す。
「一応彼女たちは死んだって思わせたほうが後々やりやすいかなと思って。……二人には大変なことだろうとは思う。これからの人生をまた最初からやり直してもらわなきゃいけなくなるから。けど、それでも余分なものはできるだけなくしておいてあげたほうがまだいいかなと思ったんだ」
 マフィアの報復は思うよりもずっと陰湿で、やることが徹底している。それを同じ世界にいるからこそ綱吉はよく知っている。だから少々強引であったとはいえこの手段を取ることにした。今回のようにどこでマフィア間の繋がりがあるかわからないからこそ、張っておいても損はない予防線を。
「それでも……ここまでしても、どうなるか、わかんないけどね」
 この裏世界に足を踏み入れた時点で二人の未来にはそんな虫食いの不安の影が、幾つも足元に出来てしまっている。それを完全になくすことは出来ないだろうから、せめて少しでもその負担を軽くしてあげたいと綱吉は一計を案じた。それが見ず知らずの他人であろうと、敵として一度は相対した相手であろうと、もしも本当に困っていて、自分がその手を差し伸べることで何かがほんの少しでも変わり、好転するのであれば……そこに綱吉は迷いなど持たない。たとえどんなに微弱なものであろうとも、してあげたいとそう思うのだ。それが仮に偽善と呼ばれるようなものであろうと、ぬるいと称されようとも。
 ぽん、と肩を叩かれた。
 知らず落ちていた視線がその力の元を辿って自然と上向く。
「ツナらしいな」
「まったく甘いことです」
 一人は肩を叩いて、笑いながら。
 一人は軽く吐息を零して、呆れながら。
 言われ、一瞬目を見張ってそれらを見たあと、綱吉もまた小さく苦笑いをした。
 限りない、信頼と信用をそこに寄せて。
「……部下が頼もしいとさ、安心して無茶が出来るんだよ」






 三時間後、着陸地の若干の変更が連絡され、いぶかしんで指定された場所へと着いたパイロットがそこで見たものは、大量の瓦礫が山のように積み重なってある、何らかの跡地だった。
 絶句するあまりの惨状に、思わず何事ですかと居並ぶ面々に恐れ多くも尋ねると、おそらく困惑に青白い顔をしているであろう自分以上に更に血の気の失せ、青ざめた顔でげっそりと。
「……どこのマフィアも確かに徹底してるなって今ものすごく実感してるところだから……ごめん、あんまり訊かないで……」
 どこか遠い目すらして鬱蒼と応える我らが敬愛すべき上司の横で、二人の守護者たちが至極すっきりとした様子で佇んでいるのが見え、その背後でロープでぐるぐる巻きにされながら一様に意識を失っている人々の集まりを確認し、それらを総計、色々考慮し、諸々察した結果、
「どうぞ…機内ではごゆっくりとお過ごし下さい―――ボス」
 うん……と疲れたように頷き、応えるその姿に、お疲れ様でしたと声には出さずもう一度心からの労い言葉を掛けて、パイロットの男はせめて自分は快適な空の旅をできうる限り提供しようと人知れず心に誓ってみた。
 せめて帰途に着く、その間くらいは。











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