Last *Episode―――果てなく、永遠に。 覚悟は決めた。 ―――とはいえ、緊張するものだなあと見慣れた家の門の前で灰色の影を二つほど足元に落としながら、溜め息をついてざわつく胸をそっと押さえる。置いた手のひらの下でどくどくと重たい心音が鳴っていた。 その激しさに否が応にも自らの緊張を知る。 ただでさえ久方ぶり里帰りだ。 三年ぶりに息子と会う母がどんな反応をするか―――大して驚かないよと自分で言っておいて今更になってあれこれ心配になってきた。そんな緊張とあいまって、わりと忙しく己の鼓動が逸っているのを自覚する。 ただいまと言って家の中に入るだけなのに、むやみやたらと肩と表情を強張らせながら、ふと何の気なしに隣にいる男の様子を窺うと、道中妙に機嫌が良かった男が何故か今は感慨深そうに実家の佇まいをまじまじと見つめ、神妙な顔をしていた。 任務中でもこれほど真面目な顔をしているところを見たことがない。思いながら、イヤそれはそれで問題なのだが…と突っ込みつつ、 「骸、どうした?」 気が逸れ、自分の緊張も忘れて、思わず訝しげに心配して声を掛ければ「はい? 何がです?」と逆にこちらを見て、不思議そうに問い返された。え、と瞳を見開く。 「な、何がって……いやオレが訊きたいんだけど。つかなんでお前がそんなしみじみオレん家見てるのかよくわから……」 「あぁ、いえ、これがボンゴレの家なんだな、と思いまして。随分古い家ですね」 「そっか…お前今までオレん家来たことなか――ていうか今ナチュラルに古いとか言ったなお前!?」 これよりもっと古い…というより家とは到底思えない場所を出会った当初本拠というか身を潜める場所にしていた男に堂々そんなことを露骨に言われて目を見張る。まあ、あれとこれとではとても比較対照にもならないと思うのだが。 「正直な感想です」 まるで悪びれもせずしれっと男は言う。 「だからさりげに馬鹿にすんなよっ」 「おや、心外ですね。馬鹿になんてしていませんよ。古い家だと思ったからそのままそう言っただけです」 「言うなそのまま! いいか、そういうのは普通オブラートに包んで言うもんなんだよ!」 日本人の美徳…といえば聞こえはいいが、場合によっては単なる優柔不断にも部類されることかも知れぬが、しかしこの場合は前者を選ぶのがおそらく正解であり、 「………なんだか面倒ですね」 本人目の前にして面倒とか言うなと脱力しつつも、日本よりも全般的にイタリア気質に偏った男はかなり釈然としなさそうに首を捻るばかりだった。だがここは日本、郷に入っては郷に従えという言葉がある通り、そういうものだと毅然と構えていたら、 「ちなみにこういった場合、どんな風に言えばいいんです?」 「え? ……ええと、そう…だな」 手本となるような回答を純粋な眼差しでもって求められ、閑静とは言い難いはずの実家周辺、その見渡す限り無人の空間を黙って見やる。夕方前の長閑な時分。偶然人通りのない時間に突き当たってしまったらしく、左右見渡してみても自分たちが二人以外、誰もいない。 多分、家の中には母親がいるのであろうが。 「……お、落ち着いた佇まい、とか、古風なとか……そんなんで」 いいと思う。 思えど、それに無理があることはすでに充分に承知していた。 男は古いと言ったが、確かにその通りなのだ。 人が住まねば家は荒れる。 住んでいた当時は狭くも思えた故郷の一軒家は、今や刻が流れ、住む者が一気に減ったことで昔あった賑やかさを失くし、ひっそりと色褪せたアルバムの中の写真のような深い郷愁を視線の先に漂わせている。 多いときには迷惑極まりない居候が一人や二人どころでなく、何人もいた。 だがしかしそれも今となってはここで暮らしているのは母一人。 それを考えればその寥々とした空気に、古いと言った骸の気持ちもわからないでもないのだ。 古くなった。 十年も前―――あの頃、皆で騒ぎ、ロクでもないことで始終賑やかに、途絶えることのない悲鳴を上げて過ごしていた日々はもう遠い過去の、昔のこと。 変わらないものはないのだと目の前の家が、佇む自分にリアルに教えてくれる。胸をすく漠然とした寂しさについ口を噤んで言葉を失っていると、俯きそうになった視線を掬い取るように男がそっと近くに寄ってきた。 その引力に導かれるようにして顔を真横へと向ける。 その先で。 「たとえ家が古くなっても、あなたのその思い出まで古くなるわけではないでしょう?」 ごく、それは本当にごく当然のことのように。 「あなたはこの家で倖せに過ごしてきたんですね」 瞳を細め、言って微笑む男の柔らかい視線と目と合った。慰めるように一度、二度と髪をやさしく撫でられる。 「…………」 だから古いって言うなよお前。 注意しても結局何ら変わらなかった男の初見は、第一印象をそのままに、それでも真に言いたいことはなんとなくはわかって。 胸をつく郷愁に、立ち尽くす自分の脳裏に過去が矢継ぎ早に過ぎ去っていく。人からみたらとても他愛ないことかもしれない。だけれどかけがえのない、古くなった家と共に培ってきた、自分にとってはそれはとても大事な思い出だ。 この家は自分の倖せの象徴。 自分が倖せな子供であったことを、標のように古く抱え込んでここに在る。 きっと、骸はそういうことが言いたいのだ。この際、そういうことにしておこう。 身を寄せてくる男に文句を言うのを止めて、体よく流されていると思っていたら、気配を感じ、ふわりとあたたかい吐息が耳元にかかった。 「ところで、ボンゴレ」 頬にはらりとかかった男の髪が自分の視界に薄い影を斜めに落とす。気づけば至近距離。胸の鼓動がいつもより高い位置で奏でられるのと、動揺で揺れるのとで急に忙しく早鐘を打ち始めた。 「な、なんだよ」 じりじりと身を引く。が、その途中でまたも腰に手がかかり、あっさり動きを封じられた。 (まただよオレ……!) 傍から見たらとんでもない密着度に、「お前…っ」怒鳴りながら冷汗が背筋を伝う。母親に見られたらどんな言い訳もできないではないか。……ああいや、違う。言い訳をしにきたわけではないからそれはそれでできなくてもいいのかもしれいが、だかしかしそうかといってもまだ心の準備が充分にできていな…… 「一つ、ずっと訊きたいことがあったのですが……訊いてもいいですか?」 今は人気がないといってもここは天下の公道―――いつ見知った近所の者たちが道の角から顔を覗かせるかと戦々恐々としていたら、びびっている自分とは対照的に、男はいやに真面目な顔で。 「僕に好かれて倖せですか?」 「は…っ!?」 一体何を言い出すのかと思ったらべたべたに甘い言葉を、急にぽんと告げられた。 「な、な、なに言って……っ」 即座にその意味を理解し、顔が赤くなる。が、もう一度同じ台詞を耳元で囁かれ、思わずうっと硬直し、怯んでいると、返答を待つ期待に満ちた瞳を慌てて逸らした視界の隅でまんまと認める羽目となってしまった。 無駄とわかりつつも見なかったふりをする。 しかし躊躇っていたら躊躇っていた分だけ長引くだけであろう現状と、だから人気がないからって誰かに見られたらどうすんだよ! という焦りから半ば自棄気味に、 「そっ――そんなのもうわかってるだろ!?」 ぶっきらぼうに慌ててそう叫んで、なにかとんでもなく甘いことを自分は言ったような気がする……と認識したら、改めてその甘さに撃沈した。だがだとしてもそこに嘘はない。嘘はないのだから本当のことだとそれを認める他ない。 すると、倖せか、と訊いた男がもう一度耳元で、今度は殊更ゆっくりと静かにそれを囁くのが 聞こえた。 ……顔は見えなかった。 近すぎる距離に阻まれ、自分にそれが見えるはずもなかった。 けれど、それでも、 それは。 「僕もです。とても―――とてもね」 これ以上ない、倖せな笑みを浮かべて囁かれたものと容易に想像することができ、雰囲気に流されて思わず口付けを乞う甘い空気についうっかりとそれを許したのも、そういう理由がそこにあってのことだった。 キスを許すのも、 抱き締めるその手を許すのも、 全部、全部――― (…好きだから、許すんだ) |
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・ ・ ・ そうしてかつての倖せだった子供が胸の中で小さく笑う。 それはまるで、大人になった自身が今度は他の誰かに、 それを与える番となったことをやさしく知らせるかのように。 そうやって倖せは廻る。 ずっと廻ってゆく。 いつか他の誰かへと還り―――、 ( そしてまた、きみにかえるために ) |
【FIN】