ふうんと興味なさげに、電話口にて実に適当な相槌を打たれる。
 実際興味ないんだろうな、と、思うところは思うところであったのだけれど。
 しかしそれでも。
『……で、綱吉は結局僕に何て言ってもらいたいの。僕はくだらない自己嫌悪で落ちてる相手をわざわざ浮上させるなんて面倒なことははっきり言ってしたくないし、大体君が馬鹿だってことは十年も前からわかりきってたことじゃないか。今更落ち込まれても激しく無意味だし、鬱陶しいことこの上ないだけで、何のメリットもないのとついでにこっちとしてもかなり不愉快になるから基本的にはやっぱり大迷惑なんだけど、それでもねえ、綱吉――仮にもボスだから一応訊いてあげるよ。僕に何て言ってもらいたい? もちろん答えは一つしかないけど、まあ暇つぶしがてら言ってごらんよ。考える時間は一秒だけあげる』
「……。今ので大体元気出ましたからいいです………」
 ふうん、と。
 もう一度気まぐれな猫を彷彿とさせるような気のない相槌が軽く打たれる。
 研いでいた爪を出し損なったことをちょっぴり不満に思ったような様子で、それから『…そう』と呟いたあと、
『つまらないよ、綱吉。』
「…………」
 興味ないくせに実に自分勝手な台詞をごくごく当然のようにさっくり吐き出された。いや、多分本気で当然と思っているのだろうが。
「……すみません、雲雀さん。色々ご迷惑をかけて」
 雲雀恭弥。
 十年経ってもこちらも相変わらず唯我独尊を地でゆく人だった。
 謝る意味が今ひとつよくわからないながらも、そうやって学生の頃とまるで変わらぬ勝手気ままな言動にはどこか懐かしさとほっと安堵するものもあり、とりあえずこれ以上機嫌を損ねるのもあれかと思いながら素直に綱吉は謝ることにする。ついでにこれで、電話した一応の用件は果たしたことにした。
 リボーンの策略に嵌まり、急に本部を離れることになって早や一日。
 終始和やかに押され気味だった晩餐も一先ずなんとか際どく終えて、就寝間際になってやっと時間が取れたので謝りついでにイタリアへと電話を掛けてみたら、普段ちっとも出ることのない人物が何故か急に電話口に出てきてただひたすら吃驚してしまった。獄寺くんは、と思わず問えば、「あの役に立たない爆弾男なら今朝からずっと倒れて、何かにうなされてるらしいよ。……トドメを刺すなら今だね、綱吉」なんて物騒なことを真剣に言い出すものだから、慌ててそれは駄目だと制止した。
(そうか。まだ倒れてるんだ……獄寺くん)
 可哀想に―――思う気持ちの裏で、その時口にした言葉に、ついやるせなさから綱吉は淡い溜め息を零してしまった。思い出すと胸の奥がちくりと痛む。それで、堪らず興味ないだろうなと思いながらも慰めを欲して事の経緯とは別のところで派生した出来事についてもつい話してみたのだが……  やはり予想通り、変な期待は見事に一刀両断された。
 挙句もっとへこまされもしたが、これはこれで男なりの励ましなのだとも思って気にしないことにする。
 現に、
『ふん……迷惑だと思うのならさっさと用件終わらせて戻ってきなよね。爆弾男が一日倒れたおかげでこっちは無駄に仕事が増えて、ほんといい迷惑してるんだから』
 帰還を待つ声に、閉じた闇の中で「ええ…そうですね」とゆっくりと吟味するようにして頷く。言い方は雑だがきっと多分…彼なりに心配をしてくれているのだ。
「明日正式にお断りして、遅くても明後日までには戻ります」
『報復は』
「……するつもりはありません。大体、あったら骸を止めたりなんかしてませんよ」
『その時は単に暴走を抑止しただけのことだろう? 綱吉が止めなかったら、アレはきっと何の躊躇いもなくその女性を殺してただろうからね』
「そこまで思い切るとは思ってませんけど……ただ、動揺するのはわかったからそうしたんです。なんか屋敷ごと全壊させそうな予感がものすごくしたんで……ていうか幸い下は花壇でしたから衝撃も少なくて、怪我は死ぬ気の炎を灯して着地する前に、枝に引っ掛けた腕の擦り傷程度だし、それで屋敷全壊とかなったらもう何て言って謝ったらいいか。考えるだけで頭が痛いですよ」
『退屈しのぎになっていいじゃないか』
「何でそうなるんですか! ああもうっ実は楽しんでるでしょうっ、雲雀さん!」
 叫ぶと、
『まあ、暇を持て余してるからね』
「…………さっき仕事が増えたとか言ってませんでしたか」
『増えたよ、うん、仕事はね』
 ただやるかどうかは別として。と、暗に含まれたその物言いに、意味をわかりたくもないのにわかってしまって。
 唯我独尊。
 彼の座右の銘ではないかというそれがせちがらく脳裏を巡る。
「なんでそんな別問題みたいに言えるんですか雲雀さん……」
『僕がそう決めたからだよ。それ以外の理由なんているかい?』
「…………」
 頭が痛い。
 こちらもこちらで抑止しないと暴走著しい……いや、抑止しても、こちらのほうは骸と違って言ってもあまり効果があるとは思えない。どうしてだろうか。まあ元々自分は威厳のあるボスではないのでしようがないといったらしようがないのだが……
「雲雀さんは…」
『僕はアレとは違うからだよ、綱吉』
 問う前に頭の中を先読みされた。
 相変わらず恐ろしいひとだ。咄嗟に巡る見解に、携帯を握る指先が僅かに震えた。色々と見透かされたような気分になる。だが何を? 何を、見透かされそうになっている? 自分で思っておいて今ひとつよくわからぬそれに虚を突かれたふうに沈黙をおろしていると、
『綱吉はわかっているようでわかってないね。アレをそうさせたのは綱吉自身だっていうのに』
「は…?」
『僕の世界はそうじゃないってことだよ。…大切には思うけれどね。でも、全てではない。だからアレとは違う。それがどういう意味か、本当に綱吉はわからない?』
 殊更ゆっくりと吟味するように呟かれた。
 ……わかると言えばわかるが、その答えはあまりにストレートすぎて、見られていないとわかっていても眼の下が赤く染まる。
 一体どれだけの人間に自分たちのことは知られているのか。守護者たちだけでなく幹部メンバーの殆どがそれを知っていそうで恥ずかしさに身が縮こまる。
『報復させたいのならさせれば良いんだよ。そんな屋敷、全壊させたってまだぬるい。僕はそう思うけどね』
「……も、もしかして雲雀さんも怒ってます…?」
『呆れてるだけだよ。そんなわかりやすく明確な敵意を向けられて、うっかり手に力が入って滑っただなんてしらじらしい嘘と謝罪をそれでも平気で受け入れられる、君のその愚直な寛容さにね』
「や、まあ、それは別に…オレも信じてるわけではないんですけど、相手は女性だし、結果としては何もなかったわけだし、それよりも骸の奴が暴れ出さないかとそっちのほうが心配で……会食の時はもう本当に生きた心地がしませんでしたよ。今はとりあえず部屋で大人しくしてるよう言ってますけどそれもいつまで…」
『―――綱吉、』
「……え? あ、はい?」
 喋っている途中で突然名を呼ばれた。言葉を遮られる。けれどそんなことはいつものことなので特に気にすることなく、気の抜けた返事を、やはりボスらしくない気の抜けた調子でいつものように返したのだが。
『そういうの、何て言うか知ってる?』
「……は?」
 またも突然に。
『他の皆は奴がそうだって思ってるだろうけどさ、僕にしてみればそれは綱吉のほうがもっとずっと酷く見えるんだけどね』
「な、なにが…ですか?」
 怪訝と咽喉を震わせれば、くっと電話の向こうで愉しげに笑われた。
 嫌な予感がする。正直、あまり聞きたくはない。雲雀さんがこういう笑い方をする時は大抵が面倒事を更にもっと増やすときなのである。自分だけが愉しんで、それでおしまいといった、身も蓋もない所業を大した感慨もなくやってのけてくれる。ああ、馬鹿みたいに訊き返さなければ良かった。
 思えど、後悔すでに時遅く。


『 過保護 』


 こともなげに、
 ばっさりと。
「…………」
『じゃ、面倒だしもう飽きたからいい加減切るよ。――ああ、そうだ。そういえば毎月恒例の手紙のほう、今月はどうするの。いつもの予定なら明後日がその出す日なんだけど』
「………………これから書いて、そっちに戻ってすぐ渡します。一応途中までは本部で書いてましたから………それと合わせて」
『そう、わかったよ』
 電話の向こうで意地の悪く笑う姿が目に浮かぶ。しかしそれに耐え、お願いしますと綱吉は軽く言って電話を切った。じわりと滲むような何かがそれと一緒に胸の辺りから溢れ出てこようとする。過保護? 
(誰が、……誰を?)
 携帯の電源もついでに切り、備え付けのサイドテーブルへと無造作にそれを置く。けれど囁かれた言葉はそれからしばらく頭から消えず、もどかしい気分で何か用があれば使えばいいと言っていた子機の存在がふと眼に映った。
 意識が反転する。
 ……ああ、母に手紙を書かなければ。



 ぷつんとスペインとイタリアの地を繋いでいた一本の線が、耳元であっけなく切れた。
 耳を離し、放るようにして周りを高級なティーカップのように金で縁取ったアンティークの白い受話器を元の場所へと戻す。
がしゃんと乱暴な音が室内に響いた。
 それをまるで世界の壊れるような音だと思いながら、たった今まで会話していた相手のことを考える。大きな瞳にクセのある蜂蜜色の柔らかい髪の、とてもマフィアのボスとは思えぬ少々痩せ型の青年。かつては草食動物のような少年だった。
 今でもその印象は大して変わりはしないが、十年という歳月は頼りなかった少年を幾らかマシな青年へと変貌させた。そうやって自分の眼に映るものが少しずつ日々のなかで変わっていった。或いは消えていったとも云えるかもしれない。
 感情ばかりが胸に積もり、懐古する記憶はそんなふうに日々色褪せてゆく。
 多分これが時間というものの本質なのだ。
 一切は全てが流れゆくもの。
 留まることなく、手の内からすり抜けていく砂のように。
「……馬鹿だね、ほんと」
 あの子は本当に愚かで、腹立たしいほどに向かい合う全てに真っすぐで、折れることをけしてしないから、その危うさに見ていてひどく心配が募る。
 そのことに雲雀は傍目には判らぬほど薄く表情を翳らす。嘘をついた。おそらく生涯、ただ一度きりとなるであろう、真実から大きくかけ外れた偽りを。
 そのことが今頃になって少しばかり胸の奥をもやもやとさせる。だからか。余計に癇に障る。なにせ本当にあの子は自分の吐いた嘘を何ら疑うこともなく素直に受け止めた。そう、腹が立つほどに真っすぐにだ。まるで疑いもしなかった。
 その愚直さは時にナイフよりも鋭く、銃弾よりも重く、この胸を切り刻んで抉ろうとする。と、いうのにそうしている本人はまるで意図せずそれを無自覚に行うものだから腹が立っても責められるべきことではないのだ。責めてきっと困惑するばかり。
(……気に入らない)
 まったくもって気に入らない。
(三年前に…いや、それだともう遅いか。その前に殺っておくべきだったよね)
 諸悪の根源たるあの男を。
 眉間に苛立つ皺がまた刻まれる。思い出したくもないことを思い出して、唇からは思わず舌打ちが零れ落ちた。
 苛々する。敬って然るべき愚鈍なあの子にも、幾度咬み殺しても飽き足らぬあの全てが最悪な男にも。
 そして今ここで身の内の感情を持て余しながらただ連絡を待つだけの自分にも。
「まったく…何を考えているのか」
 咬みつく相手のいない独白を小さく零すと、頭の中で、何事にも物怖じしない赤ん坊が「もうわかってんじゃねぇのか、お前には」と、ニヤリと笑うのが見えた。問い質そうにも赤ん坊は今、その消息を完全に断っている。と――言えば、何か赤ん坊の周辺で問題でも起こっているような錯覚に囚われるが、起こしたのは当の本人で、あれこれ問い詰められるのが嫌で単に雲隠れをしているだけなのだろう。後のことを全て自分に押し付けて。
(貸し一つだからね、赤ん坊)
 ふんと鼻を鳴らして、確かに面倒を起こしてでも解決させたいその親心めいた胸中にわからないでもないと思いながら、慌しい人の足音がバタバタとこちらへと近づいてくるのに気付く。
就寝前にも関わらず騒がしいことこの上ない。辟易とした吐息を一つばかり咽喉元に滑り落とし、雲雀は顔を上げる。
 とりあえず、もう、
(何でもいいから)
「早く…帰ってきなよね」
 悪態を吐きながらも心配をしている、そんな自分の愚かさも、そうやってついでに吐き出すようにしながら、
「―――おい、雲雀!」
「うるさいよ、こんな時間に」
 ノックもなしに部屋に飛び込んできた相手を眼光鋭く睨み据える。
 用件など、尋ねるまでもなくわかっていた。







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