ダンッダンッダンッ! と鈍い金属音が連続して響き、間を置くことなく続けざまに宙を割って何かが空高く放り投げられた。
 鈍く光る、拳ほどの鉄の塊。
 山本っ! と慌てて声を掛けたが、その前に突風が背後から吹き荒れ、鋭い斬撃が、ゴウ…ッ! と激しく綱吉の鼓膜を震わした。
 耳をつんざく爆音と衝撃が辺り一帯を熱く灼いたが、突風の助けによってそれが綱吉の身にまで及ぶことはなかった。全てを薙ぎ払うかのような暴風に、視界は一瞬乱れはしたが、硝煙ばかりの空気をも綺麗に払い去っていってくれたので二重に助けられた。
(これで終わればいいんだけど……)
 しかしそれも束の間。
 すぐにそんな願い虚しく、鋏で切り取ったかのような一瞬の静寂のあと、綱吉の耳に次に飛び込んできたのはやはり先程と何ら変わらぬ硬質な金属音―――銃の乱射される音だった。硝煙が再び辺りを覆う。相手の攻撃を鈍らせるよう派手に振るった山本の一刀も、どうやら相手の決意を挫くとまではいかなかったようだ。多少警戒レベルが上がったようには思えど、依然出血大サービス的な嵐のような銃撃は止む気配もない。
 おそらく相手には絶対的な自信があるのだ。
 明らかに多勢に無勢といった目の前に広がる現状に、だからこそ、自分たちが勝てるのだという見た目にもわかりやすい確信が。
 それに綱吉も異を唱えるつもりはない。相手の思考はわかりやすいが特に間違ってもいない。
 ない、―――が。
「しかっし、弾の無駄遣いし放題だなーあいつら」
「…同感」
 これだけ武器を乱用しているにも関わらず、未だ状況は膠着状態。
 それだけでいい加減気付いてもいい頃だと思う。現状、その事実が他に一体何を指し示そうとしているのかを。
 うんざりと顔を歪めたところで、少し離れた場所で綱吉と山本と同じように横倒しになった車体を盾に、悠々と身を潜めている骸と目が合った。見ている先で、僅かな間を置き、クフリとその口角が意味深に吊り上る。嫌な予感がぞくりと背筋を貫いた。
「クフフ、どこに行っても人気者ですね、ボンゴレは」
「いや…なくていいし、あっても困るし、人気なんて」
「それはあなたの意志に反するところではありませんよ」
「…………」
 そりゃそうだけど。
 綱吉は一度口を開いてからすぐにそのまま閉じるといった、実に無意味なことをして、そっとその言葉を飲み込んだ。ボンゴレという組織がこの世界において否が応にも目立つ存在なのはボス候補としてその名義を言い渡された時から実体験を通してそれこそ嫌というほど知っているし、何がどうでも理解せざるを得ないくらい、様々なことを強制的にやらされもした。
 骨身に染みるとはまさにあんなことを言うのだろう。
 山や島、リゾート地を丸ごと使って無茶な特訓を平然とさせ、それが当然といった顔を平気でされるのだ。
 そんな過酷な修行を泣く泣くこなしてきたこととはいえ、今思い出しても色々背筋の凍る体験ばかりだった。
 あれが普通なのだから確かにボンゴレというマフィア組織は他と明らかな一線を画す存在であるのだろう。今では自らの肩書きと共に深々と納得できる。笑っているが、その実、まるで笑っていない骸が自分と出会った当初、伝統・格式・規模・勢力、全てにおいてボンゴレは別格だとまさにそう言っていた。
 だが今はそんなことよりも、いい加減キレそうなほど据わった眼差しをみせる骸自身の様子のほうが問題だった。銃弾も怖いがそれがなによりとても怖い。
 普段の骸はこんな状況ですら不謹慎にも愉しんでいるようにみえるのだが……今日は元々が不機嫌であったせいか、すでにいつ暴走してもおかしくはない剣呑な光をチラチラとその左右色違いのオッドアイにみせはじめている。警戒レベルがこちらも違った意味でグンと上がっているのに内心でハラハラと様々な懸念を綱吉は募らせる。
「む、骸、幻覚は…」
「それは勿論、しっかり作用させていますよ。どうぞご心配なく」
 自信というより事実に基づいた至極冷静な返事に、う…うん、と躊躇いがちに綱吉は頷き返す。それから二十メートルほど先の、自分たちとはやや離れた場所にある、ここまで来るのに搭乗してきた白い機体を黙って見つめた。
 横倒しになった二台の車、分断というほどでもない距離にいる自分たちとは違って、あちらはものの見事に孤立無援状態にある。搭乗者はファミリーお抱えのパイロットが一人。この銃撃の目的が自分――ボンゴレ十代目という「名」を狙ってのものだとは用意した車が即座に襲撃されたことからすぐに理解できたが、しかしだからといって自分以外の者は見逃してくれるとの保証はどこにもない。
 この世界はそんなには甘くはない。
 ここに敵と味方のどちらかしかいないように、
 この場にいる自分たちは、自分を含め、生きるか死ぬか、どちらかの道しか用意されていないのだ。だから綱吉は、機体から離れてわりとすぐに銃撃戦が始まったのを見て、骸に機体へのめくらましを、機体はもう飛んでいった、という偽の幻覚をかけるよう頼んだのだ。義理堅く、ボンゴレへの忠誠の厚いパイロットが自分たちを心配し、緊急に備えてその場に残るであろうことを先に予見して。
「ぬるいですねぇ、相変わらずあなたは」
「ファミリーの一員なんだから当然だろ!」
「……そうですね。だから彼も飛ばずに、まだあそこにいるんでしょうけど」
 面倒そうに呟く姿に不穏な影が今にも乗り移ろうとしている。
 それに綱吉はぎくりとする。多分、造作もない。この一方的な現状を覆すことなど、男にとっては実に取るに足らぬことで、ぬるいと称されたのはおそらくそれを阻む自分の心理をきちんと理解した上でのこと。しかしそれでいて言うのだ。
「まったく…理解しがたい人です」
「だってオレを狙ってきてるんだからオレがなんとかしないと。巻き込むなんて絶対駄目……」
「――――それが、」
「げ」
 不機嫌に細められた瞳が、瞬間、閉ざされる。そして次に見開いたときに綱吉の身に走ったのは盛大且つ遠慮のない悪寒だった。全身が総毛立つ。背中から這い上がってくるような底冷えする気配に、知らずじっとりと手のひらに嫌な汗が滲んだ。たとえようもない、そんな不可思議な感覚がそのまま五感を余すところなく刺激してくる。どんなものだと問われてもうまく説明はできない。こればかりは体感した者しか理解できぬ境地にある。…いや、体感したとしても、こんなもの、うまく表現できるとは思えないが。
 ただそこに宿る感情の在り処だけは、激しいベクトルの嵐に翻弄されている綱吉にもなんとか言い表すことができた。
 大分、もう、慣れたせいかもしれないが―――


「それが、まったく以って理解し難く、愚かだと言うんです…ッ」


 地獄の六道を発動させる際に、六道骸がその胸に宿す莫大な感情。その概ねは、深い深い、ともすれば純粋とさえ言えるほどの揺るぎない怒りによってのものだ。状況により多少その濃度が変わることや別の感情が付加されることもあるが、大抵がそんなふうなあまりよくない感情を下地に力は発動される。
(た、楽しそうに発動させろとか別に言わないけど!)
 それでも綱吉は、骸にそんな感情を宿して自身の力を行使して欲しくはないと思っている。
 表面で笑いながら、その下で、世の中全てを呪うような冷たい気持ちを抱え込み、自らの力を使ってほしくないと思っている。それを見る度に綱吉は、男のどうしようもない哀しみの深さを思い知らされてしまう。そしてそれをさせるきっかけとなっているのが自分(ボンゴレ)であるという事実もまた同時に痛感させられる。
「おー、本気でやるつもりだな、骸の奴」
「……幻覚だって、わかってるオレたちはいいんだけどさ」
 開けてはならないパンドラの箱。
 六道骸の逆鱗に触れたのはおそらく自分。ただ巻き込まれてしまっただけの相手にはいくら敵とはいえ、少々同情の念が過ぎる。
 そんな可哀相な相手の様子を窺おうと、気をつけながら少しばかり車体の影から顔を出す。
弾は飛んでこなかった。
 その代わり、大量の雹が自分たちを狙撃している相手側にと怒涛の如く勢いで降り注いでいた。骸の幻覚によって具現化した拳ほどの大きさの雹……否、もはや雹というレベルを軽く通り超した氷の礫が、雨あられとばかりに密集した敵の車体全域に。
 こちらを狙うような余裕は多分というか十中八九、骸がその幻覚を作り出した瞬間からなくなってしまったのだろう。
 バキバキと防弾ガラスに守られた分厚いフロントガラスが至極豪快な音を立てて破壊されていく。一切容赦のないそれに、やがてヒビが入りすぎて真っ白に染まっていたフロントがある瞬間、その支えを失ったように一気に形をなくした。――突き破られる。
 そうして、徐々に高くなってゆく陽光の下、キラキラと、それだけを見ればとても綺麗に乱反射するガラスの破片と氷の塊を辺り一帯に撒き散らしてゆきながら。
 そうやって車中に居た大部分の者は、その後、全身に細かなガラスを浴びながら、トドメとばかりに後頭部に氷の弾丸を受け、気絶への道をすべからく辿っていく。運良く気絶を免れても、氷の幻覚は消えぬどころかますます激しさを増してゆく一方で、
「ぐああっ!」
「ヒッ、ヒィッ!」
「ギャアアア――っっ!」
 車の外に居た者たちもまたその格好の餌食となって倒れるばかりであった。
 反撃すれば攻撃の怯む人間と違って、彼らが相手をしているのはただの幻覚、自分たちが立ち向かっているものが何であるのかきちんと見極められなければ、そこから抜け出すこともできない代物だ。数で勝てると思っているようではおそらく骸の幻覚からそうそう逃れられるようなツワモノはいまい。
 次々と倒れてゆく、見るも無残な敵の様子に綱吉はかける言葉もなく首を元に戻す。車の底を、今はちょうどいい背もたれのように背中を預けながら、そのままさりげなさを装ってチラリと横に視線をやると、飛行中の時よりもずっと苛々と不機嫌そうな面持ちの男がいた。
 ……怒っている。
 また、限りなくこれは怒っている。
 やや顔を青ざめさせながらこれからどうしたものかと考えていると、隣で同じように黙って様子を窺っていた山本がふと自分を呼んだ。
「ツナ」
「えっ、な、なにっ?」
 己の刀剣を地に突き刺すようにして無造作に片手持ち、出る幕なしといった状態で困ったような顔をする。まるで鏡を見ているような気分だった。
「アレ、そろそろ止めたほうがいいんじゃねーか?」
「…だね。幻覚汚染が始まる前になんとか…」
 ―――でなければこのまま相手がどこのファミリーだとか訊く前に全滅してしまい兼ねない勢いにある。ボンゴレという巨大な組織が敵対ファミリーに狙われることは別に日常茶飯事といっても過言ではなく、特にそれほど珍しいことではないが、だがだからこそ情報の出所だけは後顧の憂いを断つ意味でもじっくりと調べておかなければならないのだ。全員気絶されてしまっては調べるのに手間も時間もかかる。
 それに今の自分たちが置かれている状況――襲撃されているのも状況といえば一つの状況であるのだが――訪問先の相手を待たせている側にあるという事実も忘れてはならなかった。
 わりと時間に厳しいこの世界―――これ以上の手間をかけて約束の時間に遅れでもしたら、相手の印象も悪くなるだろうし、そうなったら相手の機嫌をただでさえ損ねる予定にある見合いへの断りも、それに輪をかけて状況を酷くするばかりだろう。できれば丁重にお断りして、良好な関係を保ったまま平穏無事に事なきを終えたい。
 それが綱吉の望む最良、最善の結果であり、
「む、骸! もういいから、そろそろ止め……」
「…………」
 バキンッッッ!
 ――――まかり間違っても。
 自分たちの不手際でピンチに追い込まれるようなことだけは、絶対に阻止したいところであった。しかしベキバキとそれでも尚、破壊音は続く。隣では地面の揺れを感知しておわっと山本が軽い焦燥の声を上げた。ぐらぐらと徐々に足の下を伝って幻覚汚染が始まっていくのがわかる。
 その事実の示すところ。
 つまり簡潔に言うならば。
「骸? え…あの、オレの話聞いてる?」
「ええ、勿論です。ただ―――止めてほしいと仰るのでしたら、もっと適切な言葉を使用して言って下さい」
「――――」
 うっすらと浮かべられた微笑みを流し寄越されたあと、ガギィンッ!! と、凄まじい音が鼓膜を突き刺した。「っ!?」びくんっと驚きに肩が大きく跳ね上がる。思わずそのまま固まってしまい、背後を振り返ることはできなかったのだが、多分、何かがたった今壮絶に破壊された。それがわかった。見なくてもわかる。告げられなくとも、男の意志のこもった破壊衝動が未だ止まらず暴走中であることはわざわざ教えてもらわずとも、その響いた音、それだけで激しく証明された。
「て、適切な言葉って……」
 救いを欲して隣を見やれば、オレには無理。とばかりに生暖かい苦笑いと共に首を横に振られた。
 雨と霧。
 性質的には従兄弟くらいの繋がりはありそうなものなのに、その関わり合いは深いどころか実にうっすらと薄く浅い。仲が良くないわけではないのだが、特別良いというわけでもなく、どちらかといえば霧の性質が相手との関わり合いを遠ざけているようで、そういえば他のどの守護者に対しても一貫して骸はそうであることを思い出したくないのについうっかりと思い出し、
「適切な言葉は、適切な言葉です」
 ………。
 結局要は自分がなんとかするしかないのか。
 以前に比べ、確かに随分と丸くなった骸ではあるが、変なところで頑固というか強引というか、急なスイッチが唐突に予告なく入る。しかし今回ばかりは、暴走し始める前の会話にその気配がそもそも薄く漂っていたので、綱吉も自分の迂闊さを呪う他なかった。
(でもそれにしたってさ)
 苦虫を噛み潰したように顔を歪め、心配してくれるのはありがたいんだけど…と、ごくひっそりと思いながら不穏な気配ばかりを振り撒く男の眼差しへとその目を向ける。
 妥協という名の諦め。
 胸の内を澱ませる感情を、それでもなんとか強引に嚥下し、
「骸」
 名を呼ぶ。その最中、誰のものとも知れぬ新たな悲鳴が空を裂くようにして甲高く上がった。はい、と男が呼びかけに応じる。それに一度、ゆっくりと噛み締めるようにして目蓋を閉じた。眼裏に薄暗い闇が広がる。瞳を開け放てばそこにあるのは光。それを守ってくれている男の言い分は確かに間違ってはいない。
 ……決してそればかりが正しいというわけではないけれど。
 一息ついて口を開く。
「………。ごめん、悪かった。オレが悪かったです」
「……………」
 スッと男の肩が下がる。尖り切っていた眼差しと気配が、氷が融けるようにしてその鋭さを失くしていく。
「本当にわかって口にしていますか、それ」
「うん。わかってる。…ありがとう、守ってくれて」
 いつも、と。
 言い置いて、たった一日前のことなのに昨日男が帰還してきた時とあまりにも似た、少々心配性すぎるきらいなやり取りに、おかしくてそれから少しだけ綱吉は笑った。一緒にいればすぐこれだ。胸にあたたかなそれと一抹の寂しさが微かに過ぎる。
 守護者が自分を守る為にいるのだというのはよくわかっている。
 けれど本音を言えば守られるばかりではなく、綱吉だって同じようにたとえ自分の身が傷付いても、皆を守りたいのだ。その思いは揺るぎない決意と共にこの胸にある。だが守りたいとこちらが思えばすぐに男はそんな必要はないのだと思考を改めさせようと言い諭してくる。自分たちは何の為にいるのかとその存在意義を鋭く問ってくる。
 幻覚の発動をようやく止め、男の瞳から輪廻を示す数字が静かに消えていくのをぼんやりと見つめながら綱吉は思う。
(だってお前は……いつもそんなに苦しそうなのに)
 無言の眼差しが同じくこちらを見遣り、静かに細められた。
 怪我の有無でも確かめているのかもしれない。しかしそうやっていくら視線は交差すれど、こちらの思いが相手に伝わることはまずないのだ。
 それが無性に綱吉は悲しかった。
 笑う頬にその寂寥とした思いが淡く張りつく。
(これもある意味、一方通行ってことになるのかな)
 全てが収束し、良かったな、と肩を叩く友に薄く笑んだままそれに応じる。溜め息は胸の内に滑り込ませ、見つからぬようそっと奥に押し込めた。






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