21





 入り乱れる銃声が徐々に鋭さを増してゆく。駆けてゆきながら、つまりですね、と骸が息も切らさず、ごく普通の会話をするかのように滑らかにその口を開いた。こっちは全力疾走による疲労がすでにピークに達しつつある上、各所に蓄積し始めたその負荷がそろそろ影を伸ばして襲いかかってこようとしているのに。
 そんなもの、物ともしない涼しい顔で、
「あなたは最初から事の真相に近い場所にいたんですよ。或いは連れていた、と言うべきでしょうか。これならわかりますか?」
 言われ、連想するものは確かに一つだけあった。
「……山本?」
「正解です」
「でも山本とクルゼアに何の繋がりが…………あっ」
 ――そうか。と、瞬いた瞳に上機嫌な笑みが返る。それがやたら嬉しそうで、急に気恥ずかしさを覚えて、慌てて目を逸らして前を向いた。顔が変に赤くなっていないだろうか。戸惑いながら頼りなく身を縮こまらせていると、突然挙動不審となった自分を見て、骸が不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんですか? ボンゴレ」
「べ、別に何でも……!」
 言いかけ、視界の隅でこちらをじっと見つめてくる視線にますます気まずく身が強張る。不覚にも動揺を促してくるその感情を追い払えない。意識しているからとは口が裂けても言えなかった。………いや、言うつもりは一応あるのだけれど。
 無人の廊下に二人分の足音が忙しく響く。足元からにじり寄って来るような不穏な気配を蹴散らかし、踏み越えていくような勢いは、久しくなかった実戦の匂いが漂っていた。かつて小さな家庭教師がそれと似たようなことを言っていたのを覚えている。
 あの時も、今隣にいる男がいた。
 味方ではなく、その時は敵として。
「…なんですか、今度は急に笑い出したりなんかして」
「や、だって、お前」
 本気でいぶかしむ眼差しにおかしさが堪えきれない。自分でも止められないくらいどうもナチュラルに気分が高揚している。
 だからか、気負いすることなくするりとそれが口をついて出た。
「なんでお前、ここにいるんだろうなって思って」
 敵だったのだ。
 初めは、これ以上ないくらい純粋な敵として目の前に現れ、対峙した。それなのに今はそんな敵であった男と一緒になって肩を並べて仲良く走っている。十年も一緒にいて、今更それがおかしく思え、懐古する気持ちと共に妙に新鮮な気持ちが胸に生まれた。
 笑っていると、まさに予想もしなかった言葉だったのだろう、面食らったように驚いたあと、きっぱりと言われたそれに鼻白んでひどく憮然とした眼差しを向けられた。心外な、と言わんばかりなそれを向けて、
「……いてはいけませんか」
 拗ねた子供のように小さく言って、そっぽを向く。それがどこかいじけている風にも見えてまたおかしい。そうして無愛想なその横顔が沈黙を落とし、ついには無言となった。それを盗み見ながら一体いつ頃から自分はこの男のことを本気で好きになっていたのだろうとふいにそんな疑念が浮かび、正確な時期を確かめようとするも、三年かけての自覚では何がそのきっかけとなったのかよくわからず、結局うまく掴めぬことを知るばかりであった。
 他愛もないことだったようにも思うし、大事なことだったようにも思う。思い出せそうで思い出せない。だけれど代わりに、
「―――いいよ。いてくれないとオレも困るし。もしいなくなったら今度はオレが全力で追いかけるだけだから」
「……は?」
 それだけは確かだと、男の困惑っぷりを大いに示す、その百面相に、気持ち頬を微かに緩めて。
「六道骸にいて欲しいんだ」
 返る言葉を待たずに前を向き、駆ける足と同じく、気持ちのままに続けて呟いた。それは遠い未来へ、そして近くの現在へと。
 祈るように。
「ずっと、そばにいてほしい」


 銃声はもう間近に迫っていた。




***




 断続的に続く銃声が廊下を横切った山本の、たった今飛び込んだばかり柱を豪快に削り取った。
「っ、と!」
 廊下から僅かに突き出た柱の側面へと素早く身体を滑り込ませ、どんっと勢い余って容赦なく背面を打ちつけてから、鈍い痛みに僅かに顔をしかめた。じんじんと響いてくる痛みではあったが、けれど実際のところはそんな鈍痛よりも鼓膜をつんざく銃声のほうをなんとかして欲しいところだった。
「はやっちまったな……ったく」
 ウェンたちの後を追いかけていったまでは良かった。だが、見つかった途端にまさか即座に銃撃戦に突入するとは思いもしていなかった。そのせいで多勢に無勢、状況は銃弾を掻い潜りながら見取ってゆくしかなく、思った以上に統率の取れた動きに逃げ場はそろそろ運悪く尽き始めてきている。やばいかもしれないと思う。それは一見追い詰められているように見える現状についてではなく、山本が気にしているのは、ボスである綱吉の了承を取る前に自己判断で勝手に動いてもいいのかといったことであった。
 基本的に部下を信用、信頼している綱吉はおそらく山本が勝手に動いたとしても文句は言うまい。だから反撃に出ても構わないといえば一向に構わないのだが……。
(あとで雲雀の奴に確実に怒られるだろうな。事後処理が面倒だとか、手間を増やすなとかもっと穏便に……いや狡猾に行けとか)
 さして文句を言わぬ代わりに、そうやって諸々怒られるのは独断を先行した部下ではなくて、それを許したトップであるというのが異質と言えば異質なボンゴレの在り方だった。多分、今のボスの代、守護者の代に限ってのことであろうが。
「…さて、どうするか」
 反撃に出るのはいい。というよりこれ以上逃げ場を失ったら反撃に出ざるを得ないので、もはやそれは時間の問題ともいえる。
「おわっ」
 柱の角が銃弾を受け、削り取られたコンクリートの破片が山本剥き出しの身を細かく傷付け、四方に飛んでいく。細かな粉塵が視界を舞い、鬱陶しさに顔を背けたところで、直感的に柱から身を横にずらした。ちゅんっとたった今まで自分の居た場所に新たな銃創が刻まれ、前方から回り込んできたらしい一団が銃を片手に徐々に距離を狭めてきているのが見えた。
 考える暇がなくなる。
 それに、はー、と長い溜め息を吐いて、「悪りぃ、ツナ」心底そう思いながら下げていた愛刀を斜めに構える。
 覚悟を決めた口許が微かに吊り上がった。
「―――先に始めるぞ……!」
 まずは近付いてくる前方の敵を掃討する。構えた剣を大きく振るって全力で自らの佇む場所を切り崩す。風圧で近くの窓が割れる音がしたが、舞い上がった粉塵に紛れ、その時にはすでに駆け出していた山本がそれを見ることはけしてなかった。





「崩れるぞ、引け。クルゼア様は一旦どこか部屋に退避し…」
「愚か者が! たかが部下の一人、何を手間取っている!」
 顔を向けた途端に頬を、ガッ! と硬い何かが掠めた。
 口の中に錆びた鉄の味がじわりと広がる。
「…申し訳ありません。すぐに片付けますのでもうしばらくお待ちください」
 銃身を振りかざしたままでクルゼアが顔を赤くして怒鳴った。
「当たり前だっ! もしボンゴレがこの騒ぎに気付きでもしたら面倒なことに……ああ、いや、うまく事が進んでいればそちらは心配ないやもしれんな……もっともライが抜かりなくやっていればの話だが」
「お嬢様が?」
 思わぬところで思わぬ名を聞き、叱責を黙って聞いていたウェンは眉を潜めながら顔を起こした。ふっと嘲笑するかのようにクルゼアがその頬を小気味良さげに歪める。
「そうだ。あの娘はあれでなかなか使える。縁談がうまくいけばしばらくはそれでも良いかと考えていたが……昔のこととはいえ、あれの母親の素性を調べられたら面倒なことになる。情報ではどうやら中国のほうで一騒動があったらしいからな。その前に手を打つことにした。もともと甘いと噂されているボンゴレだ。女ならば気を緩めて油断するやもしれん、そう思ってライを行かせた。駒など掃いて捨てるほどいるが、やはりあれが一番従順で、母親と違い、聞き分けが良くて助かる。お前同様、目をかけて正解だったわ。だがここを切り抜けられぬようでは不要だ。覚えておけ」
「は…、」
「いいか、手早く済ませ……」
「―――そうか。オレが見たことがあると思ったのは彼女の母親の写真だったんだな。道理で似てるはずだぜ」
 もうもうと湧いていた白い粉塵にゆらりと淡い人影が映る。
「親子なら、なッ」
 凛と通る声とともに銀色の光が鋭く閃いた。飛び込んでくるそれに「クルゼア様…っ」ドンッとクルゼアの身を後方へと突き飛ばし、守るようにしてウェンは自らの身をその場へと強引に割り込ませた。腕はすでに動いており、懐から取り出した拳銃を斜めに滑り込ますと、ギィンッ! と金属同士のぶつかる、濁った轟音が辺りに響き渡った。衝撃に瞳を眇める。なんとか銃身で刀身を受け止めることが出来たが、一歩間違えば致命的な打撃を受けていたかもしれない。しかも視界の悪いなか、声だけでこちらの位置を判断し、寸分違わず攻撃してきた。
 予想以上に相手の戦闘能力が高い。なにより壁を破壊され、廊下を一時的とはいえ分断し、間を取ったというにも関わらずこちらへと到達するのにかかった時間は僅か数分のことだった。これは完全に想定外の成り行きだ。
(俄かには信じがたいが…あちら側の部隊は完全にやられたな)
 しかも数名いるこちら側の部隊は未だ白煙に視界を遮られ、混乱のさなかにいる。落ち着くまでまだもうしばらくかかるだろう。位置を把握している自分ならまだしも、わからぬままに下手に銃を乱射されては同士討ちの危険もある。
「他の者は視界が定まるまで決して撃つな! 動ける者はクルゼア様をお助けして、安全な場所にお連れしろ」
 指示を飛ばしながら冷静にウェンは目の前の男を睨み据える。
 飄々としているが眼に灯る光はさすがに鋭い。本気の、戦いを知る者の眼差しだ。それでいて物言いはあっけらかんといやに明るい。まるで友に語るような気安い口調にウェンは憎悪の眼差しを向けると、
「ま、思い出したのはついさっきなんだがな。先の中国での任務とまさかここが繋がってるとはさすがに思わなかったぜ。関連ファミリーの名をチェックする前に慌ててツナの護衛に付いた所為だな……人身売買のリスト写真は行きがけ一応目を通しては来たんだが」
 あんまり良いもんじゃねーよな。
 哀れむ瞳に更に憎悪が募る。
「そこに彼女そっくりな人物が映ってたんで思わず本人かと思っちまったが……二十年も前の古いリストだ。そんなわけねーよな、ははっ」
「…っ!」
 白い刃と黒い銃身を交差した状態での純粋な力と力の押し合い。ギリギリと耳障りな音が万力のような音を立てる。切った口腔から血の味がしてその苦さに僅かにウェンは顔を歪めた。
「だが、ま、親子なら似ててもおかしくはないよな」
「………」
「でも、だったら彼女は何なんだろうな。実の娘にしてはどうも扱いがぞんざいで物騒だ。まあ、マフィアっつっても色々あるからそういう家族の在り方があるってーのは、認めはするさ。ま……理解はできねえけどな。そんでうちのボスは任務と人助けを一緒くたにするようなマフィアらしからぬ甘いボスだから、もし彼女が困ってるなら何がどうあれ必ず助け…」
「……べらべらと、煩い男だ」
「つっ!?」
 驚いた。
 まさか下から刀を跳ね返されるとは思っていなかったので、掛けていた力を押し返されて山本は息を呑みながらたたらを踏んだ。はっとする間もなくすぐに視界の左隅からウェンの脚が飛んでくる。崩れる重心の力を利用して咄嗟に廊下を蹴って背後へと飛び退ってこれを避ける。
 ギリギリ攻撃範囲外。
 逃れることは出来たが安心するほどではない。予想通り、最初から避けられると思っての攻撃だったか、何もない宙を滑った脚が地に着くと同時に跳ね上げていた腕が下りてきて、真っすぐ水平に、山本を標的として捉えようとしていた。
(疾い!)
 感心と判断を一瞬にして行いながら、剣を垂直に、横に捌くように振るう。キィンッと跳ね返る甲高い音に、銃弾が僅かに遅れて発射され、その軌道を視界の側面に描いた。逸れた弾道が当たったのか、背後でまた、ガラスの盛大に割れる音がした。
「お嬢様のことを…何をどう勘違いしてもらってもいいが、勝手な思い込みでこちらの邪魔をしてもらっては困る」
 対峙しながら淡々と男が言う。
 それに合わせて、ちゃき、と山本は刀を構え直した。
「―――何がどうあれ、それがもとよりお嬢様の運命だったというだけの話だ。母親がクルゼア様に買われていたのは事実。父親も間違いなくクルゼア様だ。お嬢様が生きる場所はここにしかない。それをお嬢様も理解されていらっしゃる。不要な横やりは止めてもらおう」
「…倖せそうには見えなかったけどな」
 淡白なこの目の前の男と同じように。
思ったことを正直に告げると男の瞳に僅かに翳りが帯び、揺れ動いたような気がした。
(動揺した?)
 思うもゆっくりと考える時間は与えられなかった。
「それが最後の言葉か。―――撃て」
 晴れた視界に幾人か男たちが佇み、気付けば山本を取り囲んでいた。各々の手には黒光りする銃器がしかと握られている。合図され、その内の何人かが腕を構えて引き金に指をかけた。照準は今いる場所。自分。――その前方には。
 幾度も死線を乗り越えてきた反射によって再び地を蹴り、勇敢とはとてもいえぬ、一見無謀にも思える特攻を前へとかける。
 背後の弾道が自分の背をうまく捉えればそれでアウトだ。それを踏まえて、身を低く、空を切るようにして走り寄る。そのまま……背を曲げたことによって男たちの視界に自らの主の姿が映るように。
 間違っても手元の狂いなど許されぬその光景に、発砲への僅かな躊躇いを背後に感じ取って山本は微かに口の端を緩めた。それはほんの僅かな、時間とも言えぬような一瞬のことだった。だが山本にはそのほんの一瞬の間で充分であった。―――充分、形勢を逆転し得る、腕を一振りできるだけの間だった。
 狙いは一点、クルゼアに絞る。
「な、何をしている! 早く撃て……っ!」
 転んだまま、矜持も何もなく金切り声を上げてクルゼアが喚く。
 きつい叱責が背後に――クルゼアにとっては前方へと飛ぶが、
「悪りぃな、こっちもそうそうゆっくりはしてられねえんだわ」
 夕刻に着くであろうパイロットの心安らかな操縦の為、自らの主を無事イタリアへと送り届けてもらう為、鋭くその腕を振り上げたとき、…黙れ、と掠れた呟きが間近で落ちるのを聞いた。
「希望など……持たぬほうがいいのだ。要らぬ希望など抱いて、期待して、裏切られて、今以上の絶望を覚えて苦しむくらいなら――――それならば、端から希望など……!」
 憎しみを込めた眼差しが横合いから飛び込んでき、身を呈してそれを守ろうと男が動いた。振り下ろしている最中の剣筋に躊躇いもなく自らの身を投げ捨てる。だがそれを更に押しのけて、
「やめて…っ!」
「なっ!?」
 思いもしなかった人物が突如現れ、まったく予期していなかったそのタイミングで二人の前へと踊り出てきた。振り下ろした白い光が吸い込まれるように落ちてゆく。その切っ先に狙いをすましたかのようにライが柔らかなその首を晒し、恐怖に瞳を閉じるでも顔を歪めるでもなく、今まさに自身へと注がれようとする白刃の行方を黙って見つめる。
「くっ…」
 慌てて剣を引こうと山本が腕に力を込める。けれど勢いの付いた剣は動きこそ鈍りはしたものの、その流れを止めるまではいかなかった。
 広げた白い腕がそれを受け止めようと微笑んで伸ばされる。
 …兄さん、とその青ざめた唇に微かな呟きをのせて。
 微笑んで迫りくる死を受け止めようとするライはいっそ倖せそうにも見えた。今までで一番嬉しそうに、少女のような可憐な笑みを浮かべてさえいた。
 それが見えた。
 ―――見えたが、山本には動きを止めることが出来なかった。
 ビュッと風を斬るその音、諸共、
「リィ……!」
 肉を斬る確かな手ごたえに激しい血飛沫が辺りに飛び散り、白い刃を朱に染めるまで……その刀を止めることは出来なかった。











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