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 どうもきな臭い匂いがする。
(つっても、まー、何が引っ掛かってるんだか)
 てくてくと滞在先の廊下を一人すっかり暇を持て余しながら歩きつつ、そんな自らの意識を引っ張るものが何であるのかを熟考しては掴みきれぬまま霧散する―――といったことを今朝から何度か繰り返して。
 本来こういった頭脳労働は他の守護者の担当なんだがな……と、もどかしさも込めてガリガリと頭を掻き、山本は困ったように苦い溜め息を一つ零した。
 大体自分はその時々の閃きで問題の突破口を見出すような、習うより慣れろな種類にある人間である。こういったじっくり物事を考察するようなことは大層不慣れであるし、そもそもが得意でない。
 普段ならばそれに適した人間が他にいるのでなんら問題はないのだが……。
(今回は……ちょっとあれだな)
 適任者でこちらにいる人員には、どうもそれが期待出来そうにはない。というかそれ以上になにかとデリケートな問題が勃発しているようなので、協力を要請するのは難しいところだろう。
(となると自力っつーことだが)
 ぐるりと回って、結果、問題がまた自分へと戻ってくる。ぐるぐる手元で無造作に自らの刀を操りながら、
「戻ってから調べてもいいか……。気にはなるが別に気をつけてさえ………ん?」
 長々と悩むのは性に合わないとばかりに肩を竦めたとき、前方の渡り廊下をウェンが歩いていくのが見えた。その背後を屈強そうな背の高い男たちが幾人か付いていく。
その姿をしかと見たのは僅か一秒ほどのことだった。
 すぐに角の向こうへと男たちは吸い込まれるようにして消えていき、廊下にはまた山本だけがぽつんと一人残される。
 相手がこちらに気づいた様子はなかった。
 だが山本のほうはそれに気づいた。
「あいつら……?」
 ウェン以外にも見た顔があった。
 それは今みたいにこの屋敷の中で会ったというわけではなく―――ここ以外の場所でつき合わせた顔だった。もっともあの騒動のさなかで向こうはそれを覚えているかどうか。
 軽く思ってすぐさま首を振る。
(いーや、覚えてる……か)
 あちらは大人数でも、こちらはごくごく少人数。
 しかもボンゴレファミリーにおいては六人しかいない守護者のうちの二名と、そしてその現ボスだ。顔を知っていなければ襲撃など出来なかったはずだ。
(あー……面倒なことになりそうだな。もともと最初からそういった予定だったか、それとも予定が外れて今なのか……)
 手にある刀をぐるんっと勢い良く回し、担ぐようにしてトンと肩に置き、鞘へと首を傾け、頬を寄せる。まあなんだ、と一人ごちるように前置いて。
「…ったく、確かにその通りだぜ」
 脳裏に、スペインに到着したばかりの昨日、六道骸がどこに行っても人気者――と、ツナのことを揶揄するように言って笑っていたが――――
 なるほど、まさしくその通りな局面に今自分たちは滞在二日目にしてまたも偶然遭遇しようとしている。
 否、それはもはや必然か。
 笑うしかないよなあと呑気に、そして本気で明るい笑みを浮かべながら、山本は自らの佇む場所をゆっくりと首を回し、確認する。
 前方にはウェンを含むクルゼアの襲撃者たち。
 そして後方には――。
 軽く斜めに眼差しを投げ掛けたところ、向けた視界の隅で華奢な人影がラベンダーのスカートの裾をひらと静かに翻し、迷いのない足取りで通り過ぎるのが見えた。
 その向かう先は自分たちが客人として滞在させてもらっていた客間があった。が、今はおそらく誰もいないはずで……と、思っていたらその廊下をやや先に行った場所で自らの守護すべき青年が勢い良く曲がってゆくのを窓ガラスごしに確認した。
 途切れる廊下の角にその姿が消えてゆく。
 …………。
 視線を戻す。
「えー…っと」
 予期せず二者択一な場面に立たされている己を否応もなく理解する。もしかしなくてもこれは少々困った展開になりかけているのだろうか。
(………オレはどっちに行くべきなんだろうな)
 やれやれとばかりに苦笑いを浮かべて、しばし立ち止まって考える。

 だが―――どちらを選ぶにせよ、一波乱起きそうな気配であるには違いない。

 無言で首を回し、夕刻の迎えまでには決着はつくだろうかとその手に愛用の刀を握り締め、もう一度後方へと目を向けて……それから己のすべきことに判断を下し、山本は走り出した。
 リミットは夕刻まで。
 それまでになんとか諸々決着をつけ、可哀想なパイロットが今度こそ心安らかな操縦をして本部へと帰還出来るよう、その協力に努めようと自らの足を速めることに終始して。




***




 ――――バン……ッ!

 扉を開け放ち、勢いを抑えきれずベッドに転がるようにしてダイブした。赤らんだ顔をシーツに押し付け、頭を抱えるようにして結局自分は三年前と何も成長できてないのではないかと擦れた声を洩らし、愕然と突っ伏す。
(そうだよ、結局何もオレは変わってないんだ!)
 骸のことを超人か何かのように思って、傷付けば、普通に血を流すことすらうっかり失念していた三年前のあの頃と同じように。
 その時、自らの愚かさに猛省したはいいが、本当の意味で気づくべきはもっと違う、別のことだったのではないか?
 今更ながらにそれを思い知るのだからまったくもっていかに自分が愚かであるか、嫌というほど痛感する。振り返るとそんな自分が恥ずかしくてしようがない。
 それでは――決着をつけろ。いつまでも迷ってるんじゃない、と、呆れながら自分を叱咤してきた家庭教師はすでにとうにそれを見越し、見抜いていた上でこうした手段を取ったということではないか!
 一度目の見合いで気づかなかったことを二度目のそれで気づかせようと目論んだのだ。
(雲雀さん、も……だよね?)
 それはおそらくわかってないねと言って自分を突き放した彼もまた同様に。
 自分だけが自分のことに気づいていなかった。
 そのことに今更気づいて愕然とする。これで愚かでないというのなら、他に一体どんな人間を愚かと呼べばいい。
(………骸…は?)
 彼はそれ――自分の恋心に気づいていたのだろうか。それだけはあまりよくわからなかった。自分が気持ちと現実の合間に「家族」という線引きをしていたのには気づいているようだったが、それをどう受け止めているのかについては、曖昧なまま、男は何も言ってこなかった。
 ただ可哀想だと言った。
 自分のことは二の次にして、綱吉のことばかりを気にかけていた。
 思い出した途端、胸の辺りがツキンと痛み、その生まれたばかりの痛みをなんとか和らげたい衝動に駆られたが、愚かな自分を受け入れることを、今は遅ればせながらでも省いたりはしたくなかった。
 家庭教師の言う通りだ。
 過去の自分に今更後悔などしていてもしようがない。それを認めたうえで、
「…………これからを考えなきゃ…」
 ぽつりと独白し、何からどうしてゆくべきかと悶々と綱吉は考え始める。手っ取り早くは自分の今思っていることを洗いざらい伝えるべき相手―――骸へとぶちまけるのが一番早くてシンプルなのだが。
「…………うっ」
 自業自得だとはいえ考えただけでそれに甘い眩暈が起こる。
 ――よくもまあ十年も。
(こんな気持ち抱えて、なんで平気でそばにいれたんだか……)
 溜め息が零れるのを止められない。
 それどころか、今日まで骸はそれで何か不満を言うでも、まして諦めるでもなく自分のことを好きでい続けてくれたのだ。愛していると何度も素直なその気持ちを自分に贈って、見返りなど特に求めずに優しくしてくれた。……自分はずっと、男の好意に甘えてそれらを全て背後に流し続けてきたというのに。
(なんで骸は……諦めなかったのかな)
 自分だったら諦めたかもしれない。
 好きな相手に十年もの間まったく相手にされずに、頼られるだけ頼られるような、そんな苦しくて切ないばかりの関係を思ったら…想い続けることに疲れて、いずれ離れてしまうかもしれない。
 だのに骸は自分のそばに居続けた。
 吐息が落ちる。今度のそれは、胸を切なく苦しめる気持ちを吐き出さすにはいられない、そんな甘さの宿るものだった。
(なんで……)
 それはもちろんあなたが好きだからですよ。自らに随分都合の良い幻聴がふいに耳元へと届き、サッと羞恥に顔が赤く染まった。
 だからなんでそう自分に甘いんだオレ!
 甘く耳元で囁かれるところまで明確に想像できてしまう辺り、自覚したばかりの自分の気持ちというのは呆れるほど男への慕情でいっぱいになっており、それをもう認めざるを得ないとはいえ……ああ、なんだか色々とのたうちまわりたくなってくる。
 今度は違った意味でえらく恥ずかしくなり、カッカッと身体が熱く火照る。
マフィアのボスとしてあらゆる気持ちのベクトルが自分に向けて複雑雑多に絡み付いてくるのはもう仕方のないことだと思って諦めていたし、馴れてもいた。
 だがこういう……恋愛ごとについてははっきり言って相当不慣れとしか云いようがなく、自分の気持ちに今頃ようやく気づくあたりで知れてもいる。
(…………母さん)
 そしてそんな愚かな息子を故郷にて待つ母親、は。
 それを知ったら悲しむだろうか。嘆くだろうか。たった一つ、ささやかな願いをかけて贈ってくれた、あの、やさしい想いを宿す贈りものを自分はどうしたら傷付けずに―――
 こん。
 差し迫る問題に頭を悩ませていたら、部屋の扉が小さく鳴った。
「えっ。あ……は、はい、どうぞっ?」
 慌ててベッドから跳ね起きる。居住まいを正し、乱れた髪を手でとりあえず撫で付けていると、がちゃりと蝶番の動く音がして、開いた扉の隙間からラベンダー色の波がひらと揺れるのが見えた。
「……ボンゴレ」
 彼女の口からこうして自分のことを呼称されるのは実に初めてのことではないだろうか。
 驚きながら、「どう、しました…か?」今朝のことがどうしても心を掻き乱すものとして脳裏を過ぎり、若干ぎこちなく上擦る声に、それでも精一杯の微笑を乗せて綱吉は表情をやわらげようと努力する。
 黙ったままライがスッと部屋に入り込んできた。
「あの……?」
「……守護者の方はいらっしゃらないのですね」
「え、あ…ちょっと、今…は…席を外していまして……」
「そう」
 良かったわ、――と。
 こともなげに彼女が呟いたあと、綱吉の前に見慣れた物体が静かに持ち出された。水平に構えてその照準をぴたりと自分に当てる。
 頭か、胸か――どこを狙おうとしているのかはよくわからなかったけれど、「自分」という標的に銃口が向けられているのだけは間違いなかった。
 動揺を少しも映さぬ無感動な瞳にじっと見据えられ、銃口を向けられて、
「どうして……?」
 綱吉は小さく問った。
 対する返答は抑揚のない実に短いものだった。
「死んで欲しいからです」
 端的に。
 これ以上わかりやすいものなどないように告げられる。
 空気が緊張を孕んでピンと張り、肌に慣れた不穏な気配をじっとりと辺りに漂わせ始める。ライは動きが取れぬ状態の綱吉を見て、微かに首を傾げたふうだった。









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