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 小さな肩を丸く、丸く。
 そうやって縮ませて、まるで叱られた子供のようにこちらの機嫌を窺って小さくなる少女に、雲雀は隠すことなく、迷惑だと言わんばかりな眼差しをハッキリと向ける。するとますます所在無さげに項垂れて少女がしゅんと落ち込むので、子供が思う以上に子供であったことを嫌でも認めざるを得ない光景に、
「…もういいよ」
 面倒だし。
 そっけなく言って、手元の書類にパラパラと目を通す。実際そんな終わったことを今更責めるような暇は自分にはない。またあの爆弾男が不用意に気絶などしたせいで仕事が増えた。するつもりはなかったのだが晴れの守護者はこういった内々の事務処理は苦手で、雨と霧は彼の地へと赴いており存在すらなく、雷に至っては問題外の人手不足。
 全て嵐が不甲斐無いせいで、自分にまでこうして望まぬ被害が及んできている。
(……礼は十倍返しだね)
 目に止まった書類の一枚を抜き取り、ざっともう一度目を通してからくしゃりと無造作に握り潰す。古い情報だ。目を通している段階ですでにそれは過去のものとなっている。現在には必要ないのならそれはゴミだ。放ろうとしたとき、
「あ、あのっ!」
 それまで部屋の片隅でびくびくとしていた少女が意を決したように顔を上げてきた。ゴミを手に目を向ける。
「……何。別にもう用なんてないよ。こんなところまでわざわざ来てくれてなんだけど、忠告はそもそも必要とされてなかったんだからあとは適当にイタリア観光でもして帰ったら?」
「で…でも……そんなの本当に……本当に大丈夫なんですか? だってサワダさん知らないんでしょう? まさか自分たちが今会ってるファミリーがこの前の中国の……」
「例の―――人身売買の件とも繋がってるって?」
「は、はいっ!」
「ああ、知らないかもね。赤ん坊も行く前には敢えて教えなかったようだし」
「そんなっ!? どっ、どうしてです……わっ」
 鋭い眼光に若干押されつつもイーピンは勇気を振り絞って雲雀へ詰め寄ろうとし、丸まった紙がその言を遮るように軽く放られて驚いて足を止めた。右肩に当たり、ぽんと跳ね返って咄嗟に出た手がそれを捉える。
「無自覚の罰だよ」
 さして面白くもなさそうに呟いた雲雀により放られたゴミを手に、それをどう解釈したものかとイーピンはそっと視線を落とし、項垂れた。
 何故そんなことをする必要があるのか……意味はわからないが、結局仕事が終わり、今度はスペインに行くと言って別れたあとに、その当の地に関連した情報を知り、慌てて追いかけてきた自分の判断はすべて無駄であったのだということだけはなんとなく理解することが出来た。
 加えて不用意に嵐の守護者を動揺させてしまったので彼は今持病の腹痛でまた倒れているとのこと。
 よかれと思ってやったことがどうにも裏目裏目に出ている状況に、いくら明るい性格だとしてもさすがこれでは落ち込みもしてくる。更に不興を買っている相手は、あの雲雀恭弥、雲の守護者だ。
 手持ち無沙汰に困ってどうしたものかとイーピンは手の内の丸まった紙をなんとなく引き伸ばし、そこで「クルゼア・ファミリーの内部調査における結果」との文字が伸ばしかけた紙の一部に踊っているのに気付き、
「……え?」
 と、目を丸くした。
 慌てて中を広げてもっと詳細な情報へと目を走らせる。
 イーピンは息を呑んで、それから雲雀のほうを再度その意図を図りかねるようにして見た。
 男はつまらなさそうに告げる。
「それに仮にもファミリーのボスならこの程度のこと、なんとか自力で乗り越えてもらわないとね」



***



 基本的に。
 最終的な自分の言動を止められる者はファミリー内には存在しない。
 というのが多くの義務を持つ、ボスたる我が身に預けられた一つの権利であり、特権であって、その一つをまかなう為に残る全ての責任が寄せられているのだと裏家業に足を突っ込み、それを理解して幾年が経ったある日。
 何がきっかけだったか、女性の気配が薄かった自分へと、跡取り問題が急に浮上してきた。
 降って湧いたかのような同盟ファミリーの内の一つである令嬢との見合い話――は、しかしどうも突然と思っていたのは自分だけであったらしく、周りからしてみたら別に急でも何でもなく至極当然のことのように考えられ、心配されていたことであったらしい。
 そして自分だけがまるで気付いていなかった罰のように、
「どうやら娘はボンゴレの誠実な人柄を気に入ったようです」
「あ……ありがとうございます。あの、でも」
「見合いは嫌だと最初はひどく渋って、こちらが手を焼くほど突っぱねていたのですが……いやいやどうして、今では自分のことを気に入ってくれているかどうかとても心配する有様で……どうです、ボンゴレ、うちの娘は。ボンゴレの目に少しは適ったでしょうか? いえ、正妻でなくとも愛人の一人でもいいのです。もしボンゴレさえよければ是非うちの娘を貰っては頂けませんか! 娘もボンゴレなら喜びます!」
「え、ええと? それは…その……」
 自分の娘に愛人の座を勧めるのは実際問題どうなのだろうと思いつつ、父親の凄まじい勢いに押されてあたふたとしているうちに何故だか袋小路のようなキワにまで追い込まれてしまった。
 現実でも背面が壁にぶつかっていつの間にかに四隅に追い込まれており、後がなくなってしまって逃げようにも逃げられない。
 口約束だけでも一先ずなんとか取り付けようとしている積極的な親心(なのか、それは)にたじろぎ、
「そ、それは」
「どうです、ボンゴレ、うちの娘はっ」
「え…えぇとー」
(ち、近い近い近いって! とりあえずーっっ)
 押し迫る顔面と気迫の籠もったその言葉に、悪意がないだけ、そう無下にも扱うことが出来ず、固まったまま、内心で綱吉は身の細るような大悲鳴を上げる。
 同盟ファミリーの者は嫌いではない。
 寧ろ全体的に自分を慕ってくれる者たちばかりで、その気質にはさすが古い歴史を持つだけあるボンゴレ、その格式の高さは馬鹿に出来ないものだなあと常々感心しながら思っていたそれは本当に、まったくもって真剣に馬鹿に出来ない代物であったとこんな時にも改めて綱吉は実感させられた。
 強烈すぎて引くことしか出来ない。
(こ、こんなの初めて、だし)
 どう対処したらいいのか、混乱しすぎてさっぱり見当がつかない。…自分のことを好きだという相手にこんなふうに壁際にまで押し迫られた経験……は、確かにあるが、これはそれとはまた話が違う。
(そ、それにそもそもアイツは)
 なんだかんだと自分の嫌がるようなことはしないから、答えを聞くまで解放しませんよといった今の空気にまで発展したことは一度としてない。が、今はそうではない。真剣に追い詰められている。
(……きょ、極限だ)
 これぞまさしく。
「ボンゴレ!」
「う、うう。は、はい…」
「うちの娘、どうか貰って頂けませんか!?」
「あの、だから…オレはまだそういう……」
 必死すぎてもしかしてオレこのまま食われるんじゃ、というような勢いに、すでにもう俄然逃げ出したい心境に駆られ、
(とりあえず頷いたら離れて…くれる、か…な…?)
 半泣き状態で半ば自棄気味にそれを思って悶々と葛藤していると、室内の扉を誰かが勢い良くノックした。会合をしているとわかっていてのノックに嫌な予感がつと過ぎる。こういった場合、訪れるのは大抵が何か問題が起こったことを知らせるものでしかない。
 追い込まれていた状態から一転して意識を切り替え、「……どうぞ、入って」身を整えながら落ち着いて指示を出すと部下の一人が深々と頭を下げて入室してきた。
「申し訳ありません、失礼します。―――十代目、これを」
 小さな紙片をそっと手渡される。
「――?」
 何かと思いながら中を見て、端的な情報を伝えるそれに―――身体中の、活動と名の付く活動が全てその瞬間止まったような気がした。
「…ボンゴレ、どうしました」
 綱吉の異変に見合い相手の父親が心配するように声をかけてくる。情けないことだが、そうやって声をかけられて初めて綱吉ははっと我に返ることが出来た。
 あとのことはもう無我夢中だった。
「す、すみません、急いで帰らなくてはいけない用ができてしまいました。この話はまた後日に……!」
「あのっ、ボンゴレ!?」
「―――すみません!」
 呆気に取られる話し相手をそのままに、バタバタと急いで部屋から出て行く。その脳裏に今見たばかりの情報が何度もリフレインされ、繰り返し刻み込まれてゆく。
(そ…んな、馬鹿なことあるわけ…っ!)
 けれど、ない、と言えるような保証などどこにあった?
 どこに―――それはあった?
(…っ!)
 考えるのも愚かなことだ―――そんなもの、ない。
 どこにあるわけもなかった。考えれば考えるほど己の思考に蒼白になってゆきながら、手の内の紙片をぐしゃりと乱暴に握り潰して駆け続ける。力を籠め過ぎて手のひらを爪が赤く傷付けたが、そんなこと、どうでもよかった。
 やがて自らの部下が背後から取り忘れていた自らのコートを持って、慌てて追いかけてきてくれたのだが、それにもしばらく気が付かぬほど何をどうすればよいのかわからない現実からただひたすら綱吉は逃げるように、


『 霧の守護者 任務にて重傷との連絡有 』


 握り締めた白い紙切れの上に青インクの滲んだ文字が自らの血によって赤く染め替えられてゆくのにも不吉な気をして、それらを振り切るようにして一分でも一秒でも早くと帰途を急いだ。








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