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 相手はこの業界で知らぬ者がいないほどの凄腕の殺し屋。
 旅先で現地のマフィア関係者がそれと知った上で声を掛けてくることなど別段それほど珍しいことではない。獄寺自身もそういった理由でよく荒事に巻き込まれることがあるが、多少なりと業界に顔を知られているという自覚があるから、そういったときは大抵適当にやり過ごす。
 だから総括して云うと、
(相手がリボーンさんなら……まあ、それも別におかしなことじゃないが…)
 辿り着く結論としては、声を掛けられても不思議ではないといったそれ。だがそれでも聞いた時から何かがずっと胸に引っ掛かっている。
 それはまるで―――特に意味もなく無造作に詰み上げられているだけの荷物に実はとんでもないお宝が放り込まれていて、けれど奥にありすぎて、そのまま見過ごしたことにも最終的に気付かぬままで終わってしまうかのような―――微細で微妙な、正体不明の……奇妙な「何か」が。
 その杜撰な放置の仕様に、なんとなく自らの直感が引っ張られてことだけはわかる。小さな島国の言葉では、確かこういった場合、虫の知らせと言うのであったか。
 はっきりとしないそれに否が応にも不快感が募る。
 だがその「何か」が自分にとって掴むべき重要なことであるというのもなんとなしに漠然とわかるので、獄寺は眉間に皺を作りながらも一人考え続ける。
 姉からもたらされた情報の、そのうちの何がこうも自分を性急に駆り立て、考え込ませるのかを。
 考える。
 考える。
 考え続ける。
 ただひたすらその回答を得る為に。
 姉はこちらの安静を考えてか、むやみに話しかけては来ず、沈黙を保って看病に終始している。なのでその点においては獄寺は安心して己の思考に没頭することが出来た。ずっと瞳を閉じているので時間の感覚は薄かったが、一度隙を見計らって目を開けてみたらカーテンの向こうが薄暗かったので夜なのだということはわかっていた。となると朝からぶっ通しで自分は倒れていたことになるのか。昨晩からほとんど寝っぱなしで少々自分が情けない。
(…今頃十代目はとっくにスペインか)
 旅行先で偶然知り合ったというクルゼア・ファミリーのもと、心配ではあるが、守護者もいることなのでおそらくは無事に夜を過ごしているはずだ。そうでなければこんなにも無用心かつ簡単にファミリーを総括するドンを彼の家庭教師が送り出すわけがない。
 きっと何か意味があってのことだ。
 そう獄寺は睨んでいる。
(見合い(それ)――だけじゃないはずだ)
 大体にして旅先でマフィア関係者と知り合うというのは、先述の理由からしてまだ多少なりの理解は出来るものの―――
 思ったとき、ハタ、と思考が止まった。掠めていく違和感にはっとする。あの時、姉は何と言った?
 何を、どう…言った?
 相手が、この業界では至極有名な殺し屋であることを前提にして―――、


『スペインの旅行先で偶然知り合ったマフィアの頭がいてね、ちょうど年頃の娘さんが……』


 偶然、と。
 そこに有り得ない二文字を紡ぎ出してはいなかったか。
(そんな偶然、あるわけ……)
 断じれば、暗闇の中で光が閃き、違和感を作り出していた壁へとふいに指先が触れるのを感じた。確信が胸に生まれる。けれどこれだけではまだ足りないとも思う。これだけでは、まだ原型を掴み、正体を看破したとは言えない。引き摺り出した疑念はこれだけには留まらず、


『山本は確か中国の任務で帰ってきたばかりじゃ……?』
『リボーンが付いて行くように言ったのよ』


 そうだ―――全てが必然であるというのならば。
(守護者、も)
 任に就いた守護者もまた誰でも良かったわけではない…ということではないか。けして無作為に選ばれたわけではなく、それもまた当然のようにごく単純に必然に沿ったものだったと。
 これはそういうことを暗に告げているのではないだろうか。
 何故なら。
 ―――何故なら、そのとき、自分は本部にいた。そして予定には空きがあった。単なる護衛の任務であるならば別にわざわざ帰還したばかりの雨の守護者にその任を預け、向かわせるよりも手近にいた部下でそれは充分であったはずだ。
 結果として自分はその前日の夜に不幸にも倒れてしまったわけなのだが、それを無視しても、そのとき本部に滞在していた守護者や幹部の面々は山本の他にも数多く存在していた。
 それなのに。
 否、それを素通りしてまでも。
 家庭教師が守護者の指名をした、ということは。
(骸や……山本でないといけない理由があったから、か?)
 考えればそれ以外にぴったりと該当するような答えはどこにもないような気がした。それこそが答えであると、たった今自分はそこに突き当たった気がした。数秒の間を置いてそれを確信する。そして今ある疑問を超えたことを確認するや否や、次の問答へと獄寺は思考の中身をすぐさま切り替え、すげ変えた。
 では、その理由とは何だ?
(重要なのは……骸はともかく、リボーンさんがわざわざ帰還したばかりの山本を指定したっつーことだ。…理由はある。絶対に何か裏があるはずだ。山本でないといけない、そんな理由が………だが前日まで奴は中国にいて十代目のいるスペインとは何の関係も―――)
 ……情報の少なさに思考はあっけなく袋小路へと迷い込む。
 突き詰めて考えようにも、自分の手にしている情報はあまりにも少ない。倒れてしまったことによるタイムロス――つまりはツケが今まさにここにきて払わされているのを自覚せざるを得ない。
(くそ…ッ)
 もっと厳密に、平たく言えばそれは自らの忌々しい体質が原因となって出来てしまった隙だ。
 ………姉は悪くない。
 悪いのはそれを克服できぬ、いつまで経っても治せぬままでいる不甲斐無い自分なのだ。もう何百、何千とついたか知れぬ苦渋に満ちた舌打ちをいつものように胸の内に放ち、
(……とにかく情報がいる)
 事の起こり、全ての始まりからもう一度洗う必要がある――と。
 思った直後、部屋の外が急に騒がしくなり、乱れた歩調で誰かが徐々にこちらへと近づいてくるのに気付いた。視界を手で遮りつつ、怪訝と瞳を開ける。
「あら、何かしら」
 姉もそれに気付いたふうに間近でのんびりと呟くのが聞こえた。
 バタンッッ! と室内の扉が勢い良く、豪快に開く。
「……んだ?」
 訝しげに眇めた瞳に小柄な人影が映る。それから、まるで嵐のように何の予告もなく飛び込んできた影が、ゴクデラさん! と、本来のイントネーションとは若干ずれた発音を辺りに撒き散らし、甲高く自分の名を口にした。
 そんなふうに自分のことを呼ぶ相手など、獄寺はこの世界でたった一人しか知らない。
「…ッ、お前!?」
 やがて驚きに何かを問いかける―――その、前に。
「―――ゴクデラさんッ! サワダさん、今、いないって本当ですか!? スペインに行ったって―――ほ、本当に…っ!?」
 見知った少女が一人。
 矢を放つように鋭く、それでいてひどく切羽詰った様子で、獄寺の待ちかねていた情報を携え、予想もしないところで大きくそれを叫んで立っていた。





 骸の嫌味と姉の証言による情報が正しければ元々スペイン行きを決めたのは彼の家庭教師だった。
 その決定を阻める者など、実にこの世の誰も出来ぬことではないだろうかと獄寺は常々思っているが、けれどもその阻めることのできぬ決定が、もし気に入らなければ、
「―――おい、雲雀!」
「うるさいよ、こんな時間に」
 蔑むように自分に睨みをきかせてくる目の前の男、雲雀恭弥は間違いなく許さないのではないかとも思っている。気に入らなければ相手が誰であろうと男は容赦なく咬みつく。多少丸くはなったが、そういう凶暴な性格を未だもって平気で形成している。
 だがそれは。
(逆に――言えば、だ!)
 扉を叩くのももどかしく、ノックの手間を省いて、転がるようにして目当ての部屋へと飛び込む。すでにそれだけで、意外と礼儀を重んじる相手の機嫌が一気に下降していくのがわかった。だがそんなことで自分の抱えている問題を躊躇する義理はどこにもない。構ってなどいられない。自分の中での優先順位……天秤は、大事なものを乗せたほうに今現在も延々と傾きっぱなしなのだから。
「…何? 何か用でもあるの?」
「大アリだッッ!」
 叩き付けるようにしてそう怒鳴る。実際、平然とした相手の様子が気に食わず、眼下の執務机に痛みも何も関係なく、気付いた時には力一杯拳を叩き付けていた。憤然とした苛立ちが怒りを徐々に込み上がらせてくる。
 どうして、など、問うべくもない。
 家庭教師の決定がもし気に入らなければ平気でそれに咬みつくであろう男が今回のことを何も知らぬわけも、見過ごすわけもないことと同じように―――
(だったらそれは、わかってて許したっつーことだっ!)
 つまりこの目の前の男は全てを知った上で今を受け入れている、ということに他ならない。
 ギリッと奥歯を噛み締め、射殺すような勢いで相手を睨む。それでも相手の眼差しは何一つ揺らがない。獄寺が感情的になればなるほど、それは落ち着いた様子にも見え、それが更なる嫌悪を生み、ともすればわかりやすい糾弾―――暴力に走ってしまいそうになった。
 だが殴らない。自分は殴ったりはしない。
 仲間内での暴力はどんな時でも絶対禁止と常日頃から散々口にしている自らの主の声が頭の隅で響いている限り、自分がそれを台無しにすることは到底許されるべきことではなかった。叩き付けたままの拳を、爪で内側を傷付けるほど強く握り込む。
 十代目の願いはどんなことであっても叶えて然るべきものだ。
 それだけの我慢を彼はしている。
 睨みつける先で男がチラリと視線を下向け、
「…盲信的だね、相変わらず」
 力を籠めすぎて震える拳を見て、実にどうでもよさそうにそれを呟く。指摘された獄寺もまた、そんなことはどうでもよかった。
 自分の誓いを他人にどう思われようと知ったことか。
 今はそんなことよりももっと大事なことがある。
「雲雀、テメェ、知ってたんだろ!? 山本の任務内容っ!」
「相変わらず情報が遅いね、君。いや、珍しく早いのかな。一体誰の助けを借りたのか、……現地案内はあの三つ編みの子がしたって話だし……まあ十中八九、その辺りってことで間違いはないだろうけど」
 飄々と応える姿に積もり積もった憤怒がとうとう爆発した。固い握り拳を作る右手を、そのままザッと勢い良く横に滑らせる。置かれてあった書類や時計や、コップやらが共に纏めて仲良く宙を舞い、一瞬の空白後、ガシャンッ!! とけたたましい金属音がして、それに切れ長な雲雀の目尻がほんの少しだけ細められた。
 言外に、耳障りだと告げるように。
 だが興奮状態の獄寺は、バンッ!! とまたも激しく自らの憤りを机上へと叩き付けた。局地的な振動が机を上下に揺らす。
 それを追って激しい怒号が室内に響き渡った。
「っ、ざけんなッッ!! そんだけわかっててなんで十代目を行かせた……っ!」
 もはやここで言っても遅いことだとはわかっていた。
 今頃討議してもすでに遅い。だがそれでも。それでも、獄寺はそれを黙認して通した男のことを責めずにはいられなかった。
 知っていたら無理にでも付いて行った。
 それが自分たちの義務で、或いは存在意義とも呼べるもので―――ここに居る意味、そのものだというのに。
 それを―――
「関係なかったからね」
「―――っ!?」
 バッサリと放棄した、迷いもなく切り捨てるかのように宣言する男のそれを聞いて、思わず獄寺は己が耳を疑い、返す言葉を失った。ひたりと至極冷静な眼差しを向けられ、まるで嘲笑うかのように歪められた唇からは更にそんな獄寺の困惑など構うことのない言葉が次々に放たれていく。
 固まる獄寺から熱という熱を取り去り、奪うかのような勢いで。
もう一度言うけど、と、悪びれもない調子で前置いて。
「僕には関係のない話だったからだよ。でも、綱吉にはいい加減必要なことだった。それが何かまでは別に教える義理はないから言う気もないけど、」
 男はただ淡々と告げる。
 その胸にある、自身が認めた事実のみを。それはお前もだろうと、全ての偶然が必然であると気付いたときから、そんな理由とは別に、獄寺が認めたくなかった現実をも敢えてわざわざそこに引き摺り下ろすかのように。
「この件は、最初から最後まで、呼ばれてもいない僕らが干渉できる余地なんてどこにもないんだよ。そもそも今回のことを決めたのはあの赤ん坊だ。文句があるならあっちに言えばいい。夜中に突然押しかけて来て、馬鹿みたいに僕に怒鳴り散らすくらいの暇があるならね」
 軽く肩を竦めることもしない、それは正論すぎるほどの正論だった。まさか常に傍若無人なこの男に、そんな真面目な説教をされるとは夢にも思わなかった。―――が、確かに不満をぶつける相手を違えているのは自分であり、その通りの自覚もある。
 結局のところ、置いてきぼりを食らったことへのこれは八つ当たりじみた行為でしかないのだ。呟く男もまた、自分と同じ境遇であることに変わりはないだろうに。男は冷静にそれを受け止めている。―――或いはそれが気に入らなかったのも、自身の過熱する怒りの中に含まれていたのかもしれない。
 まったくの平静。
 関係ないとまで言い捨てた男の胸中など、別段理解したいとも思わないけれど。
 唇を噛み締めて、前髪に影を落とす。
「リボーンさんは……知ってて、山本を…?」
「愚問だよ。そんなの君ももうわかってるんじゃないの」
 わかってるからここにいるんじゃないの、と逆に問うように言われ、返す言葉もなく沈黙する。
 全てを決めたのは彼のヒットマン。なのに当の彼がそれを知らぬはずがない。男の言う通り、まさしくそれは愚問だ。
 では一体いつ頃からこれは計画されていたことなのか。用意周到とはとても言い難いそれに、一旦は落ち着いた思考が理解を求めてあれこれと巡り始める。すると運ばかりが頼りのような方程式がすぐさま脳裏で展開され、あまりの行き当たりばったりさに思わずくらりと眩暈が起きた。無計画とまでは言わないが無茶にも程がある。
 ヒントを与えられても、それがヒントであると気付けなければ人はその意味を正しく読み取ることもなく、ましてや有効活用しようとも思わないことだろう。それと同じだ。今、自分の最も敬愛すべき主は何も知らされぬままに彼の地にいる。自身の思っている以上の事態がすぐ近くにあるとも知らずに。
「なんで………何が目的でリボーンさんはこんなことを……」
 目の前の男はその目的に心当たりがあるような言い方をした。
 だが獄寺にはいくら考えても家庭教師の思考をトレースすることが出来ない。さっぱりだ。
見合いがやはり最終的な目的でないのはわかった。当人を置いて、各々の思惑がどちらともにあるのはわかった。わかっても、疑問が浮かぶ―――そもそも何故こんなことをしようと思った?
「……決着をつける為だよ」
 不意に、静かな声で執務机に座る男が呟いた。意味を掴みかねて、胡乱な眼差しを向ける。
「決着?」
「そう、決着。大体君もあの子と似たような問題を抱えてるんだから、もっと早く気付いていいと思うんだけどね。その頭が単なる飾りだってこれ以上証明する前にさ」
「ハア? ――ていうかテメエ、人のこと何気にさらっと馬鹿にしてんじゃ……っ」
 ねえよ! と、怒鳴る前に呆れ調子の男がふとその顔を上げた。自分を素通りし、背後にゆるりと視線を投げかける。反射的に追っていきかけ、
「隼人」
 身体が半円を描きかけたところでそれを聞いた。ぎくりと身体が強張り、即座に動きが固まる。不自然な形で首が動きを止めた獄寺の視界の隅に見慣れた人影が朧気に映り込む。
「姉…っ」
 すぐさまシャットアウトしようと首を慌てて元に戻そうとしたが遅かった。気配を断って、いつの間にか背後に忍び寄ってきていた姉がいかにも心配したといった様子でもう一度自分の名を呼んだ。するりと腕がかかる。否、手のひらが頬へと。
「まだこんなに顔色が悪いのに無茶ばかりして……ほら、休んでないと駄目よ、隼人」
 まるで幼い子供を叱るようなそれ。添えられた手にグイと視界を無理矢理回されて、強張っていた身体中の血液が一気に沸騰し、それから全身を、壮絶としか言いようのないわかりやすい激痛が瞬時に駆け抜けていった。あまりの傷みに身を震わせる余裕もない。ビキンッ、と肉ではなく骨が硬直するような感覚。実際にはそんなことはまずありえないのだが。
「ぐ、…ぁっ」
 咽喉の奥から搾り出すような声を上げると、棒のようになった足から力という力が全てすとんと抜け落ちた。よって視界は――上から下へと、こちらの意思に関係することなく勝手に流れ、落ちるにつれて徐々に薄暗くなっていく世界を自分の眼に映し出していった。
 隼人!? と、自分を呼ぶ、今度はやや切羽詰った声が鼓膜を伝う。不安に叫ぶ声――焦燥に揺れるそれ――、倒れ伏そうとしている途中であったのに、別の違った意味で大きく顔が歪んだ。
(そ…んな、……んの、所為…みてえな……)
 だから―――近寄りたくないのだ。
 判然とせぬ意識の中、倒れる途中で、もはや視界の隅にも映らぬ男がどこからか再度呆れ調子で小さく呟いた。
 拾いたくもないそれを獄寺の耳がついうっかりとそれを拾い、


「ほ
んと、いい加減決着をつけなよね、それ」

 ……露骨に嫌味を滲ませた男の言葉に、なんのことだと言い返すことが出来なかったのは、痛みが、時間が、余裕がそれを許さなかったのではなく、
「まあ―――隼人!」
 折り重なって届けられた姉の声に言い返すだけの疑問が自分の中でそのとき何も浮かばなかったからだった。
 いつか決着をつけなければならないその問題……それを、もうずっと前から自分が放置し続けていたことを知っていたからに他ならず、
(…違……う、姉貴……の……所為じゃ……)
 そのトラウマの間違った在りようをもう随分前から自覚し、知って、いたからだった。







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