「というわけでもー昨日は散々でさ」
 ふわあと堪えきれず欠伸が零れた。せっかくの冬休みが初日からこんな調子で、しかもその理由が説教、小言である。やってられないよとぼやくと隣を歩いていた山本が「あー、それで、んな目の下にでっかい隈、作ってるのか」と、ようやく合点がいったとばかりに大きく頷き、苦笑いを浮かべた。
「悪かったな、ツナ。なんかタイミング悪ぃときに呼んじまったみたいでさ」
「あ、ううんっ、べつにそんなことないよ。だって山本の勇姿見てたら、オレもなんか頑張んなきゃって思ったし。それに最後の満塁ホームランはほんとすごかったし!」
 それはもうお世辞抜きの素晴らしさで。
 言うと「そんなことないって」との一言が明るく返ってきて、そういった謙虚さにもやはり深く好感を覚える。こういった友だからこそ最後の満塁ホームランも手放しで褒め称えたいと思うのだ。
「さすが野球部のエースだよね」
 重ねて言うと、山本武は観念したふうに面映そうな照れ笑いを浮かべてみせた。
「んー……サンキュ、ツナ」
 それにますます友の成した功績を我が事のように嬉しく思い、うん、と綱吉は頷きかけ、
「―――ケッ、あんなヘナチョコボール。オレでも打てるっつーの。だいたい相手チームのピッチャーがだらしなさすぎだぜ!」
「ご、獄寺くんっ?!」
 山本よりあたふたとその視線を左に変えれば、案の定、もう一人の友人。獄寺隼人がひどく物騒な表情を作り、憮然とその唇を尖らせているところだった。
「だってそう思いませんか十代目、あんなへなちょこボール、十代目なら楽勝で連続ホームランっスよ!」
 絶対っス! と、高らかに、確信を以って叫ばれる。だが当の綱吉にしてみれば一体何の根拠があってそんなことを……と、頬の引き攣る思いで一杯だった。
 運動音痴の自分がホームランなどそうそう簡単に打てるはずもない。
「ぜ、絶対無理だし……獄寺くん」
「いいえ、そんなことはありません! 十代目なら必ず――」
「いや……あるから。あと何度も言うけどいい加減、敬語止めようよ。幼馴染みなんだから」
 と、これまで幾度となく繰り返した口上を今日もまた繰り返しながら、友であり幼馴染みでもある獄寺を、肩を落としてしみじみと見やる。が。
「そんな! 十代目相手にタメ口なんて滅相もない!」
 恐れ多いですとの言葉に綱吉は淡い溜め息をそっと吐いた。
 相変わらず妥協してくれるつもりはないらしい。つまりそれだけ向こうにとってもそれは譲れぬことであるのだろう。それはわかるが、しかしそれでも綱吉とて言うのは止めることはできない。それはそうされるたびにとある過去の出来事が脳裏を掠めてゆくからだ。獄寺が自分を慕い始めたきっかけ、名ではなく十代目と呼び始めた発端…それは決していい思い出ではない。だというのに獄寺にとってはそれは感謝と敬愛を抱いて当然といったものになっている。
 輝ける美しい思い出なのだ、彼の中では。そうわかるだけに無下に扱うこともできず、さりとて気にせず相手の好意を平気な顔で受けとめ続けることもできず……結局いたちごっこのようなやり取りだけが幼い頃よりずっとこうして続いている。そしていつものように却下が成されたところで、
「あれ……?」
 見慣れた我が家、その門前に誰かが立っているのを見つけた。獄寺、山本のふたりも遅れてその存在に気付く。
「誰かいますね、十代目」
「お客さんか、ツナ?」
「え、うん……そ、そうかな? でも母さんからは何も聞いてないし……それに」
(なんか、若くない?)
 疑問は胸の中だけで口にした。家を訪れる者は大概キャッチセールスの人間や町内会の連絡を伝えてくる者と、みな大人たちばかりだ。けれど今門にいる人物は綱吉たちとさほど年齢も変わらぬ、同世代の少年のように見える。町内会や、或いはと疑う家庭教師との繋がりにもあまりピンとくるものがない。
(誰だろう?)
 不思議に思いながら近付いていく。
 自然と三人の口数が減り、会話が途切れた。そうして門前まであと二メートル…といったところで、物言わぬ彫像のように微動だにせず静かに佇んでいた人物がふとその顔を上げ、綱吉のほうへと首を巡らしてきた。すでに綱吉たちの存在には気付いていた様子であったが、どうやら自らが立つ家の者だとは思っていなかったらしい。足を止めた綱吉を見て少し驚いたようにその目が軽く見開かれる。それから何故か顔をしかめられた。失礼だといって過言ではない反応であったが、綱吉のほうはそんなことよりも相手の双眸が日本人のそれではないことに気付き、驚いて気にかけるどころではなかった。
 一対の青い瞳。青みがかった黒髪の下でそれは綺麗なサファイアのように嵌め込まれており、
(外国人!?)
 予想外の展開。同じ外国人繋がりで思いがけず家庭教師の線が急浮上してくるのに驚きが二乗になった。だが同時に何の直感か、リボーンとこの人物とはあまり反りが合わないような気もした。
 やがて何と言うべきか考えあぐね、門前にてしばしの沈黙を保っていると、
「――並盛高等学校」
「へっ?」
 唐突に聞き馴染んだものが綱吉の鼓膜へと静かに入り込んできた。素っ頓狂な声を上げて目を見開く。だがそれを放った相手――青い目をした少年は綱吉の驚きなど意に介するふうもなく淡々とその続きを口にしてゆく。
 その続き。
 即ち。
「二年三組 出席番号十四番 沢田綱吉」
「――――」
 紛れもなくそれは綱吉の並盛高における肩書きの幾つかだった。身知らぬ相手から滔々と語られるそれに言葉もなく立ち尽くす。何を言われたのかわからない。いや、違う。わかってはいたが、それに脳の処理が追いついてこない。驚きばかりが先に立ち、置かれた状況についての理解が何一つとして頭の中に入ってこない。そんななか、佇む面々のなかで一番最初に我に返ったのは獄寺だった。
 ピン、と、均衡を保つように張られていた緊張の糸と空気を、まさしく切り裂くように。或いは破る捨てるように。
「なっ……なんなんだっ、テメー!」
 獄寺の喧嘩腰に、ようやく綱吉のほうもはっと我に返る。見れば獄寺の手はすでに固い握り拳を作り上げ、攻撃態勢に入りつつある。――まずい、と青褪め、慌てて綱吉はいきり立つ獄寺と謎の少年との合間に割って入った。
 獄寺は、殊、自分に関してのことでは冷静になれぬことのほうが多い。それは自分を大事に思ってくれてのことだとわかるが、それでも些細なことで騒動を大きくされるのは後々のご近所付き合いにも支障をきたす場合がある。
(ただでさえうちは父さんのことで色々と噂されてるんだから)
 綱吉は知っている。出稼ぎで家をしょっちゅう留守にしている父の、実の息子ですら疑う不貞の有無を口さがなく噂する近所の密やかな噂話を。べつに同情の目で見られるのは構わない。けれど。
『いくらお金を入れてくれてるからって我慢することはないのよ』
『そうよ、奈々さん。ガツンと言っちゃえばいいのよ』
 そうやって自分たちの勝手なものさしで母の気持ちを一方的に決められることだけは我慢ならなかった。
今まで一緒にいて、不幸だと、母は一度たりと自分に嘆いたりしたことはない。
 いつも笑っている。にこにこと、それが当たり前のようにごく自然に。それを、自分に心配をかけぬ為にと思っての配慮かと疑ったことは何度かある。だが。
(母さんは、そんなこと思ってない。我慢して一緒にいるわけじゃないんだ)
 だから笑っている。それはただそれだけのこと。そうして、そういった大らかでお人好しな……心やさしい母親だからこそ、綱吉も父のことをあまりよく思わないでも、最後の一線で見限ることができないのだ。それは母の気持ちを無視してしまう勝手な行為だとわかっているから。
 母は、けして不幸などではないのだ。
「ご、獄寺くん、落ち着いて、オレは大丈夫だから」
 そんなことを思いながら、今にも相手に突進していきそうな獄寺の勢いに慌てて声をかける。
 まだ何をされたというわけでもない。ただ素性を述べられただけの話だ。そう言って綱吉が止めると、獄寺は途端に不安そうな顔をして眉尻を下げた。
「ですが…っ」
 叱られた子供のようなそれに、
(心配症だなぁ)
 と、思えばほんわかと胸の辺りがあたたかくなった。
「大丈夫だから。ほんと」
 今一度告げてから寄せてくれる相手の気遣いに心から感謝する。
「ほら、落ち着けよ、獄寺。ツナもこう言ってんだし」
「……うるせーよ。十代目ならともかく、お前に言われるとなんか余計イラつく」
「おっ。よしよし、うん、冷静になってきたな」
「だ、か、ら! うるせーって言ってんだ!」
 振り返った獄寺の怒りが今度は山本のほうへと向く。いつもの、いつも通りの二人のやり取り。不穏だった空気が綱吉のよく知るものに戻ってほっとする。こうなればもう心配はいらない。一息つき、それから今まで静かに現状を見守っていた青い瞳へと改めて向き合った。
「えっと、」
 向かい合うと、青い双眸がやはり一番に綱吉の視界に飛び込んでくる。静かな一対の青色。年齢的には自分とそれほど変わりないように思えたが、その静謐な青が妙に研ぎ澄まされた圧迫感を放って、綱吉よりは確実に上だという空気を伝えてくる。だが、たとえそんな空気がなくとも綱吉はきっといつ見ても相手が年上に思っただろう。その理由をあからさまな物言いで言ってしまえば、相手が迫力ある瞳に似合いの、またひどく整った容貌をしていたからだ。
 容姿端麗とはまさしくこんな人間のことを言うのだろう。一歩身を引いて、遠巻きから眺めて終わるような美しい顔立ち。表現としてはあまりに陳腐だが、まるで彫像のように思う。さっきも思った。ぱっと見の印象だったが、今、まじまじ見ていてもそんな感想を抱く。
 一見して近寄り難い…そんなところも年上を思わせる。綺麗だけれど、どこか酷薄な気配。生活感をあまり感じさせない。本当に同じ歳の、同じ子供なのかと思わず疑ってしまう。
 そういった気後れするなか、綱吉はふと相手の量るような眼差しがずっと自分へと注がれているのに気付いた。けして突き刺さるような鋭いものではないが、居心地の悪さを覚えるには充分な物怖じせぬぶしつけな視線…。何か、責められているような気がしなくもない。だが責められる理由がない。そうわかっていたが、物言わぬ青い瞳から逃げるようにしてつい綱吉は視線を外した。そうすると今度は首からの下の、男の着込んだ制服が目に付いた。
(あれ? これって……黒曜高の?)
 見ればそれは隣町の制服だった。
 正式名称、私立黒曜高等学校――。
 隣町の高校ということもあるが、あの学校の制服が近隣じゃ一番かっこいいよね。と、黄色い声を上げながらクラスの女子たちが楽しげに談笑していたことを覚えている。が、けれど言うなればそれだけでもあった。黒曜校のことを知識として綱吉が蓄えているのはたったそれだけ。だからこそ、その高校の制服を着込む少年と家との繋がりがますますもって綱吉には謎に思えてしょうがなかった。
 繋がりなどどこにもないように思える。
「これ。君のでしょう?」
 鞄から何かを取り出して、ふいに相手が口を開いた。見目麗しい外見によく合った、丁寧な口調が心地好く鼓膜に響く。落ち着いた声だった。同性相手に思わず聞き惚れてしまい、そうしたあとで、はっと視線を落とした。
「…………嘘」
 昨日とよく似た、底の抜けた白い声がぽろりと零れる。誰に指摘されずとも間抜けな声だとは自分自身でよくわかっていた。だがそんなことよりも意識と目がそれに強く奪われて他に声が出ない。
「……必要ないなら捨てますけど」
 反応の鈍さに焦れたように、視界よりぱっと白い紙片が宙に舞った。相手が手を離したのだ。事態が呑み込めず茫然としていた綱吉であったが、それには慌てて手を伸ばした。
「わ…っ」
 ドジョウ掬いの要領でなんとか地に落ちる前にそれをはっしと捕まえる。
『並盛高等学校 二年三組 出席番号十四番 沢田綱吉』
 面に記されている字を確認する。
 間違いない。昨日なくしたはずの綱吉の成績表だった。
「ど、どうして?」
「拾いました」
「え、でも、だって住所……」
「学校に電話をしたら担任と思しき男性から住所を言われ、届けてやってくれ、と」
「…………」
 淡々とながらきっぱり言われて、そのにべもない態度に困惑する。だがおかげで綱吉は彼がどういった経緯でうちまで来たのかを薄々ながら察することができた。おそらく相当無理矢理だったのだろう。そうに違いない。体育会系の綱吉の担任は、家庭教師と似たり寄ったりな性格をしており、よく強引に人に物を頼んでは「これも人生勉強だ、コラ」と、勝手に場をうまく取り纏める。
 教師としても、大人としても、あまりにありえない押し付けっぷりだが、若い男性教諭に頼られて女生徒たちはまんざらではないらしく、「もー、しょうがないなあ、先生は」と、なんだかんだと頼みをきいてあげ、邪険にしたりすることはあまりない。そしてそんな女生徒たちではないが、綱吉もどちらかと言えば担任の無茶振りは諦めて容認しているほうだった。
 しかし今回ばかりはあまりのイレギュラーさに綱吉は赤面して身を縮めた。
「ご、ごめん……あの……迷惑かけて」
 返答はない。もう一度謝る。
 ごめん、のあとに、今度はありがとうと付け足して。
「うちの先生、ちょっと、その、大雑把でさ……悪い先生じゃないんだけど」
(こういうこと、しょっちゅうで)
 言いかけ、フォローがフォローになってないことに気付き、慌てて口を閉ざす。担任なのだからせめて「頼りになる」くらいは言いたいものだが、すでに強制的に使われている相手に言ったところでそれはあまりに説得力に欠ける話だろう。
(……先生、なんでこういうこと知らないひとに頼むかな)
 個人情報の漏洩もいいところだ。重い沈黙を背負いながら綱吉は続く言葉を探し、物言わぬ相手の様子をちらりと盗み見ては気付かれぬよう淡い溜め息を吐いた。間がもたない。
「えっと……もう中……見たかもしれないけど、バカだからオレ、成績ひどくてさ……あ…あはは、もう、一とか二とかのひどい評価ばっかで驚いたよね」
 言いながら、何が楽しくてわざわざ自ら傷口に塩を塗りこめる発言をしてゆかねばならないのか。と、そんなふうに胸が痛んで泣けてくる。間がもたないせいでそんなどうでもいい、喋らなくてもいいようなことまでべらべら喋っている。
 紙面に記された自分の名を見る。出席番号、十四番。沢田綱吉。
(通称、ダメツナ)
 周囲から常々そう呼ばれているだけあって、決して評価の良い成績でないのは自分でもよくわかっている。だがそれでも。
 ――――それはね、ツーくんが毎日をちゃんと過ごしたっていう証なの。
 デキのいい子どもではなかった幼い頃の自分をそんなふうに励ましてくれた母の存在がある限り、なくていいと切り捨てることも出来ないものだった。
「……見て、呆れたかもしれないけど……それでも届けてくれてありがとう」
 なくした時についた泥だろうか。微かに表面の汚れた成績表を見、改めて感謝を告げる。すると相手の表情にふとした変化があった。
 微笑む綱吉を不思議そうに見つめる。軽く瞬きをして、無言の眼差しをじっと注いで。言葉はなかった。というより相手も自分と同じで何を言えばいいのか単にかける言葉が浮かばなかっただけなのかもしれない。あんまり喋らないひとなんだな、と、それを見て思い、
(ていうか初対面だし)
 そう思えばこういった対応のほうが普通のことなのかもしれないと思い直した。
納得していると「では」という平坦な声が届いた。そのあまりに唐突な物言いにえっと驚き、相手を見やれば、すでにそっけなくその背は踵を返しているところであった。
「え、え、あ、あのっ?」
 淡く踏み出されていた足が静かに止まる。
「……何か?」
 振り返って一言。
 うっすらと見開かれた青い瞳に再び静かに見つめられ、綱吉は僅かにたじろいだ。確かに物を受け取り、礼を言ってしまえばあとはもう相手を見送る――そういった流れであるのはわかっている。だが全てがこともなしに淡々としすぎて逆に変に気になった。
「や、その……あ、ありがとうっていうか」
 咄嗟にそんな言葉しか出てこない。何度目かの礼。馬鹿の一つ覚えじゃないんだからと羞恥に顔を赤らめて思っていると、頭上でほんの少し相手の首が傾ぐのが見えた。
「別に……大したことじゃありませんから」
 止めていた足を再び運び始める。それを見てさすがにもう声をかけるような真似はしなかった。終始淡々としていた背がゆっくりと遠ざかり、角を曲がって、やがて消えてゆく。
そして。
「なんか、すげーあっけなかったな」
「うん……」
 山本の率直な感想に同じようにどこか拍子抜けしつつ綱吉は頷いた。それから。
(あ)
「……名前、聞くの忘れた」
 もはや意味がないとわかりつつも、そんなことをふと遅ればせながら呟いたのだった。







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