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「――――、」
 赤い空が見えた。
 赤々と燃える空は夕焼け空。陽は傾き、夜の帳をおろす前の、そのひととき。
「ちょいと通しておくれよ、お嬢ちゃん」
 ふいに風が頬を撫でた。
 それと一緒になって、足早に自分の横を通り抜けていく人影があり、黙って道端に身を寄せながら、その主以外にも道往く人々の足が自然と足早なものになっていく光景を無感動な眼差しでじっと見つめる。
 そうしてふと。
(止めてしまったらどうなるんだろうね)
 たとえば今。
 そんなふうに急ぐ、その足を、と考えてみた。
(止めてしまえば)
 何かが――誰かが、悲しむのだろうか。戯れにそうした想像を軽くしてみる。…ああ、と感嘆が唇より思わず零れ落ちた。
 それは、その想像は、案の定ひどく自身の心を湧き立たせるものであった。
 自分という小石を投じただけで簡単に歪む世界。変わってゆく未来、そして運命…。あまりにもそれは容易く捻じ曲がる。
 それがおかしかった。ひどくひどく、おかしくて。
「そうしようか? ねえ、」
 問いかけるように呟き、残酷なその光景を更に頭の中で黒々と展開させてゆく。
 けれど――その時。
「今日は綺麗な空ねえ。見てごらん」
 先と同じように自分の横を通り過ぎる声を聞いた。今度は性別も数も違った。
 目を向けた瞬間、それを知って、沸き上がっていた興味は波が引くように霧散し、あっさりと消え失せた。
「…………」
 声に、導かれるようにして赤い空をもう一度見上げる。それに付随してぼんやりと思い出すものがあった。
(どうせお前は忘れてるんだろうけど)
 それでも、あの朱を。
 あの日のことを。
 忘れぬようにと胸に何度も刻みつけ、思い出しながら自分は今日までの日、地を這うようにして生きてきた。それは決して忘れられない記憶。屈辱の日々だった。忘れてなど、してやらない。するものか。
 念じるように思っていた。
 だから。
「―――まるで、あの日のようだね、千鶴」
(もうすぐ、迎えにゆくよ)



 この未来だけは、けして奪わせないと決めている。