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 新選組の幹部たちは総じて皆、仲が良い。
 だから一見して明るく闊達な年若い少年であるように見えても、その実やはり藤堂平助も「誠」という信念の下、この場所に集った、れっきとした新選組の一員であるのだということを様々な瞬間、局面において唐突に思い出しては内心で謝罪と訂正の言葉を投げうつのだが、今宵もまたいつもと同じように隊内最年少の幹部である平助の緊迫したその表情に千鶴ははっとしつつそれを思い出していた。
 同時に、付随して何故か思い出すのは夕方頃に永倉の持っていた五寸釘とロウソクのことだった。一体何に使うのだろうという素朴な疑問は未だ胸に残っており、知らないほうがいいと言ったときの彼の顔を思い出すだに、きっとそれはその通り、自分は知らないほうがいいことなのだろう。何に使うのかよくわからなかったけれど、知らないままでいろと、永倉の瞳は確かにそう告げていた。
 けれど屯所内に突如として漂い始めた妙に張り詰めた空気についてはさすがに黙ってはおれず、ただまんじりと受け止めているだけではいられなかった。
ので、ばたつく廊下にようやく声のかけやすい、見知った人影を見つけたとき、千鶴はほとんど反射的に声を上げていた。
「平助君!」
 今まさに。目の前の廊下を駆け抜けようとしていた平助が、声を聞きとめ、驚いたように立ち止まる。きょろと視線が一瞬彷徨うも、すぐにこちらを見つけて、なんだ千鶴かと言いながら近付いてくる。千鶴も同じように平助へと近寄っていった。
 そして顔が近くなったところで互いに立ち止まり、
「何かあったの? なんだか皆、ばたばたしてるけど……。長州の間者って人から、何か情報でも聞き出せたとか?」
 少し考えてからそう尋ねる。すると目の前で平助がそうそうとそれに軽く頷いてみせた。
「今夜、長州の奴らが会合するらしいんだ。で、オレらは討ち入り準備中ってわけ」
 雑然としていた空気への疑問がやっとそこで氷解する。
 長州の会合。その討ち入り。
 それは確かに緊迫もする状況だ。
「そうなんだ……」
 呟くと、更に平助が隊を二つに分け、別方向から町中を探索するのだと教えてくれた。
 池田屋に向かうのは近藤率いる隊士十名。
 四国屋に向かうのは土方率いる隊士二十四名。
 人数にばらつきがあるのを不思議に思えば、
「土方さんたちの行く四国屋が当たりっぽいよ。……オレは逆方向だから、ちょっと残念だなあ」
 本命と様子見の二つ。
それゆえの人数配分だと言われ、そうかと納得する。
当たりがついているのなら確かにそうするのが当然だ。
だがそれとは別のところで、千鶴には少し引っ掛かることがあった。
「動ける隊士は三十人ちょっとなんだ……」
 狭い屯所内で男ばかりがひしめきあって暮らしているので、衛生面で病人が多いのは知っていた。けれど動ける者のあまりの少なさを知って、正直素で驚いた。二重の意味で、だからこそそうやって当たりをつけねばならなかったのだと、遅ればせながらもようやくそれに気付く。
 困ったように、はあ、と平助が淡い溜め息を吐いた。
「会津藩や所司代にも連絡入れたんだけど、動いてくれる気配無いんだよなあ……」
 つまり今の新選組には何の手助けもない、ということか。
「……大変なんだね」
 そんな大変な山場であるというのに、どこか他人事のような返答しかできない自身にズンと胸が重くなった。何もできない空しさがふいに募る。けれどそんな思いを感じ取ってか、落胆しているはずの平助が、気にするなとでもいうように明るい笑顔を一つ、ぽんと景気良く寄越してきた。
「まあ、任せとけよ。オレたちなら大丈夫だ」
 胸を張って、毅然と言う。
 その笑顔には一片の曇りも無い。
 頼もしいその言には新選組幹部としての誇り、そして信頼を乞う響きがあった。気落ちする千鶴の為に紡がれた平助の言葉……優しさに、千鶴は強張った頬を幾らか和らげ、黙然と頷いてみせた。それだけで多分平助には通じた。
 予想に違わず、よし、と平助がその笑みを深めてくれる。
 そうして「オレたちに任せとけって」と重ねて言い、準備の只中へと戻ってゆく。その背を黙って見送りつつ、
(大丈夫……大丈夫だよね)
 皆なら、きっと、と。
 祈るようにして思う。願った。
 大変な夜になりそうだという予感と現実は幾らも変わりない。
 皆なら大丈夫だと信じてはいるが、不安の影がいくら追い払っても千鶴の胸と頭を薄暗く占めてゆく。
(……大丈夫)
 それに負けぬよう、千鶴は自らの指を固く胸の前で握り締めた。
 今はただ。
(どうか、皆が無事に帰ってこられますように)
 それだけを願って。