* ここが過去いた場所でなくとも * |
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新規メールの宛先を選ぶときが一番うれしい。 頬を緩めながら次に件名。 件名はすぐ用件がわかるよう、できるだけ簡潔なものにして、本文はほんの少しだけ絵文字や顔文字などを使って今時っぽいものにする。無駄に目がチカチカするような派手なものは使わない。黒子はそういうものはあまり好まないだろうから。 (結構古風なんだよね) さすが文学少年。思いながら、本文を打ち終わって送信ボタンに指を置く。 ここが何気に一番緊張するところだった。 顔を突き合わせているときには、相手の状態を見ながら話すことができる。けれどメールではそれが当然できない。いま時間あるかな。送っても平気かな。そんなTPOのズレを懸念すると、よくよく不安になって送信ボタンをすぐには押せなくなってしまう。それについて、目の前にいない相手の機嫌まで気遣う必要はないと呆れながら言われたことはあるが。 (でもやっぱり) タイミングというものは、できることなら外したくない。 まごつく指を眼下に、今日もほんの少しばかり躊躇ってから勇気を出して送信する。すぐに画面上でメールの飛んでゆく映像が映り、ああ、いっちゃった……と胸の上擦る思いを一人静かに味わう。 何度メールしてもこの瞬間だけは本当に慣れない。 やっぱり会って話すほうが好きだな、と、メールをするたびに幾度となく思ってしまうのだ。 だが現実問題として黄瀬と黒子の物理的距離はそう簡単にどうこう出来るものではない。通う学校も住む場所も違うのだ。ならば時間の合間、隙間を見つけてなんとか会えるよう努力するほかない。それだけが再会してからの自分と黒子との関係を繋げている。 もちろんバスケという接点はある。だがそれも中学時代のようにはいかない。嬉しいとき、共に笑いあったり、すぐにその肩を叩いたりはできない。今の自分たちには紛れもなくそれだけの距離がある。 以前にはなかった、それだけの隔たりが。 「遠いなあー……」 メールでは一瞬で届く言葉も、今こうして零す言葉がすぐに相手に届くことはない。それは当たり前のことだが、ひどくさみしいことだと思う。 (やっぱり同じ高校行きたかったなあ) だから何度となくそんな想いが生まれるのだろう。 黒子には黒子の事情があって、仕方のないことだったのだとわかっていても。 でも、そうわかっていても。 「オレ……黒子っちとは離れたくなかったスよ」 他の仲間たちに対してもそういう気持ちはある。けれどそのなかで特にそう強く思うのはやはり黒子だ。彼だけが何故か、特別の枠を飛び越して誰より強く黄瀬の心を揺らす。 「なんでだろう」 呟いてから腰かけていたベッドにぱたりと半身を倒す。 目を瞑れば幼さの残る中学時代の黒子、それと少年らしさが抜けた今の黒子の姿が浮かぶ。どちらも自分にとっては同じ尊敬しうる黒子に違いない。けれどやはり今の黒子を想うとき、抑えきれぬさみしさが胸を過ぎるのだ。 ―――同じ高校に行きたかった。 何度も何度も、人生最大の後悔のように、それを何度も思ってしまう。すでに当の本人には丁重にお断りされているというのに。 「……しつこい男は嫌われるっスかねー」 (でも……) 手の内が微かな振動を伝えてきたのは、そうやって諦めることのできない願望を胸に、何度目の落胆を繰り返しているときだった。 はっと我に返って瞳を見開く。慌てて電子画面を見れば「わかりました」という了承を示す言葉のあとに、せっかくの週末に付き合わせてしまってすみませんとの控え目な謝罪が続いている。言い出したのはこちらだというのに相変わらず謙虚すぎるその姿勢はまったく今時の高校生らしくない。 けれど一方で。 (黒子っちらしいな) 落胆から一転、和む気持ちで胸があたたかく満たされてゆくのがわかる。起き上がって急ぎ「おやすみ」と返しのメールを打つ。語尾に明日晴れますようにと願いをこめ、太陽の絵文字をさりげなく入れてみる。鬱陶しいかなと一瞬不安に思ったが、送信すると律儀な黒子はすぐに折り返し「おやすみなさい」と短いメールを送ってきてくれた。すこぶる端的な一言だ。けれどたったそれだけのことに頬が柔らかく緩む。週末の約束を思えばもっと嬉しい。 (何着て行こう) わかりやすく気分が上昇した自分に苦笑いを零しながら、モデルとして身バレしない程度の服装をいくつか頭に浮かべ、 「週末には黒子っちとバッシュ巡りー」 ばすんと再び背中からベッドに倒れ、改めて今週末を心待ちにする。 「……本当なら毎日でも会いたいんスけど」 こんな週末がたまにあるなら我慢しようと思う。我慢して、我慢して…… (それで、たまにこうしてボヤくぐらいは……いいっスよね? 黒子っち) 許してほしい。今でも――今になっても――同じ高校であったならと儚い夢を見続ける自分の愚かさを。 まるで大切な秘密を仕舞い込むよう、大事にその想いを心の奥に沈め、瞳を閉じる。目蓋の裏には今の彼の姿。その彼が物言いたげにこちらを見る。よく見る表情だ。中学時代から、何故か彼からはこうやって心配されることが多かった。だからそんな黒子を前に、大丈夫っスよと言い返すのがいつしか自分の一つの癖のようなものとなってしまった。もはや条件反射だ。ちゃんと考えて言っているとは到底言えない。 でも心配はかけたくはない。 「うん……大丈夫、大丈夫っスよ」 だからさみしいけれど、我慢はできる。気持ちは、抑えられる。そうして我慢した分、週末は楽しければいいなと願う。 それを願うだけならきっと罰は当たるまい。 ささやかに――そう願うだけなら。 熱血漢なわりに、笠松のプレイスタイルはコート内の誰よりも冷静なものである。けして空気に呑まれるようなことはなく、ピンチに対しての切り替えの早さは、さすが専門誌に載るほどだと目を見張るレベルの質の高さを有する。 高い身体能力に頼ることなく、努力をけして惜しまぬチームの絶対的支柱。そんな笠松のことを黄瀬は心から尊敬しているし信頼もしている。誠凛に練習試合で負けて以降、その想いは更に強くなったくらいだ。 「……一本だけだぞ。それ以上は無しだ」 しつこい粘りに折れての言葉に歓喜の声を上げる。 「さすが先輩! 好きっス!」 「折るぞ前歯」 「あ、はは……」 それは勘弁と思ったところで一対一の対戦が始まる。互いに私服なので普段の動きで戦えるわけでもない。だがそれで構わなかった。ボールを追う。相手の動きを見る。そこからどう自分が動くか――それらを瞬時に考える。試合ではないけれど、この一連の流れはどんなときであろうとも変わりなく一緒だ。試合では、そこに勝ちたいという強い気持ちが加わる。それは帝光時代にはなかったものだ。いや、違う。最初はあったはずのものだった。だがそれが才能の開花によって徐々に薄れていった。 勝つことがすべて。 勝利をさも当然のように扱い、そうして得たものを自分は顧みることすらしなかった。 勝つか負けるかなど、本来は勝負し終えるその時になってみなければわからないものだ。最善を尽くしたって負けるときは負けるし、努力すれば必ず報われるものではない。寧ろ努力したって報われないことのほうがきっと多い。それを昔の自分は知らなかった。否、考えることすらなかったのだ。勝つことがすべてをいうその理念でずっと勝てていたから。 それが誠凛との試合で少し変わった。 勝つことの難しさや負けることの悔しさを心底から味わった。本来最初に知るべきことをあの時、今になって知ったのだ。帝光時代の自分たちは、たぶん本当の意味で強くなんてなかった。きっと弱かった。だから空中分解をするように壊れてしまったのだ。 「どうした、黄瀬! これで終わりか!」 はっと我に返るとコートを蹴る笠松の姿が見えた。 シュートだ。咄嗟にそれを阻むべく追い縋る。腕を伸ばすと僅かに笠松のボールを持つ腕に触れた。けれどかすったそれは流れを止めるほどの威力はなく、瞬間、ふわりと宙に浮くボールが視界を大きくよぎった。それを視界に入れながら地に足がつく。そのままボールを追って首を巡らせば、それは脳裏に思い描いた通り、とても綺麗にリングの中に吸い込まれていった。 「っし!」 その光景に、拳を握り締め、笠松が嬉しそうに笑う。てらいない、まるで子供のような満面の笑みだった。それが、見ていて黄瀬も嬉しかった。嬉しいと自然に思えた。 (……このチームで、勝ちたいな) 先輩と、他の皆と。一緒に一丸となって。 対戦する相手チームがそんな自分の目の前に浮かぶ。 「先輩」 「あん? ……今度はなんだ」 警戒する眼差しにちいさく苦笑する。 「大したことじゃないんですけど。ええと……勝ちましょうね、次は絶対」 「…………」 沈黙は一瞬。 それでも伝わったと思った。眼差しがふいに半眼となって睨みをきかしてくる。拳はいまだ尚強く固められている。 「たりめーだ!」 誰に、とは言わない。このチームで勝ちたいのなら、それはもう言わずとも知れている。 だから。 (オレも) もうそこに佇む相手を見間違えてはいけないのだ。 ・ ・ ・ ( あのね、と決意して口を開く。 けれどその声がほんの少し、微かに震えてしまったのに黒子は気付いただろうか ) |