ヒジリSルート・ネタバレ注意!
( 歌が聴こえる ) |
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『 Lost World , Last Song 』(仮)
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何故、エピフォンだったのだろう。 最後の戦いの後。 ヒジリがヒジリとしていられたその人格のほとんどをもっていかれたと知った時、それはごく自然と浮かんできた、それでいて今更ながらでもある一つの疑問だった。 以前のように飄々とした物言いも態度ももう二度と見ることは叶わない。今となっては過ぎゆく時間をただ寡黙に漂い続ける、そんな壊れた「ヒジリ」がいるばかりで。 ヒジリとエピフォン。 二人が似ているとそれまで自分はあまり思ったことがなかった。もしかすると気の合うところも多々あったのかもしれないが、それでもそれは、傍から見るだけであった自分にとっては一見してわかりえぬことで、寧ろまるで対極的な性格を有していたように思えるヒジリとエピフォン、この二人があの海辺でレゾナンスしてみせたこと―――それ自体に自分は驚きを隠せず、意外だと、本人たちを前にしてそう言ったことももしかしたらあったかもしれない。 けれど未だその全てを把握しきれていない紅の世界の住人とのレゾナンス。驚く一方でその不確定な要素を持つ部分にそういうものかと受け止め、納得するのは容易いものであった。今のようにそれが心にわだかまることはあまりなかった。 「ヒジリくん。はい、ご飯だよ」 「…………」 噛み締めるように笑顔を浮かべ、黙したその横顔に「はい、しっかり持ってね」と、空いた手に茶碗と箸を握らせる。 「食べ終わったら今日は庭に出てみようか。天気もいいし、水遣りでもしたらきっと気持ちいいよ」 「…………」 返事をする代わりのように、ゆっくりとした所作で箸が動き始める。その手つきがまるで幼子のようにぎこちなく、たどたどしいのは彼が未だ箸を使うことに慣れていないからである。 彼、エピフォンの生まれ育った紅の世界にはそもそも箸というものが存在しない。故に異文化のものであるそれをうまく使いこなせないのは道理であり、丁寧に丁寧に……もう自分の意思では何も出来なくなってしまったヒジリの代わりに、アキラは箸だけでなく、他にも様々なことを生まれたての赤子のようなヒジリ――エピフォンに教え込んだ。 寂しさが襲ってくるのは決まってそういった時だった。 そこにいるのに、もうどこにもいないヒジリ。 その後、何故ヒジリのレゾナンスの相手がエピフォンだったのだろうとの疑問がよく浮かぶようになった。 けして似ているとは思えなかった二人。片方が太陽であるならばもう片方は月。静と動。或いは白と黒。 (それとも、私が気付かなかっただけなのかな) 「ヒジリくん」 最期の最期まで己のことではなく、自分(アキラ)のことを案じ、守ると言い続けて壊れてしまったヒジリ。 その一途な想いにいつの間にか心が揺り動かされていた。 限界を超えた力の放出により廃人のようになってしまったヒジリへと口づけたのは、だからそれはとてもごく自然な行為であったように思う。愛しいと、彼を慈しむ気持ちが自然と湧き上がり、強く自分の心を突き動かした。 (でも、ぜんぶ遅かった) 衝動を覚えたあとに訪れたのはどうしようもないほどの絶望だった。そのことを思いだすと今でも胸が潰れるようにして痛む。どうしてあの時、もっと早く、そしてなにより強く、ヒジリの無茶を押し止めなかったのか。 どうしてあの無茶を自分は許してしまったのか。 (許さなかったら……こんなことにはならなかったかもしれないのに) その仮定はもはや手遅れ。 けして現実にはなりえない、どうしようもなく終わってしまった過去だ。だからこそ後悔ばかりが押し寄せる。苦しい心を掻き抱きながら、物言わぬ恋人を見つめることしかできない。 ちくりと胸を刺す棘にアキラは唇を噛み締める。 瞳を細めた。 「……好きだよ、ヒジリくん」 そっと己の気持ちを告げる。 あたたかく、そしてやさしく響くはずのその愛の言葉を。 けれど愛を告げても指一本、睫毛すら動かさぬ無言のヒジリに、絶望の色が更に色濃く、自分の心へと落ちてくる。 だがこの愛惜こそがヒジリを想う証であり、この想いがあるからこそ自分はここにいるのだという……そういった心の支えのようなものでもあった。 だから過去に後悔はあれど、この現在にアキラは後悔はしていなかった。 「……大好きだよ」 壊れてしまったヒジリと共に生きること。 その選択に後悔などないと胸を張って言えた。 国が気前良く用意してくれた洋館はとても立派なもので、寧ろ二人で住むには少々広すぎるくらいのものだった。 十代にしか見えぬ二人で、丘の上での洋館暮らし。 傍目にはとても贅沢な光景で、実際そうした話を下世話な噂話も込みで話している近所の人とバッタリ出くわしたこともある。だが現実にはそんな悠長なことを言っている場合ではないのがアキラの実情であり嘘偽りなき本音だった。 たとえそこに住むのがたった二人であろうと、生活するとなれば様々な問題が浮上且つ付いて回る。その上で日常、ひとが生きていく為に要することの全てを今はアキラ一人がまかなってゆかねばならず、となれば四六時中ヒジリと一緒にいられるわけもなく。 「……ヒジリくーん? ヒジリくん、どこー?」 家事に追われて一人きりにさせている時、ヒジリがどんなふうに己の時間を過ごしているか……それは共に暮らすアキラだとてわからぬことだった。 基本的には部屋で静かに過ごしているようだが、それでも何かの拍子で稀に部屋を抜け出すこともある。 初めてそうしていなくなった日には軽くパニックに陥り、泣きながら町のあちこちを走り回ってヒジリのことを捜した。 けれど町での捜索が無駄に終わったのち、疲れ果てて家に帰ってみれば当のヒジリが庭の隅でぼんやりと立ち尽くしていた。ヒジリは、いなくなったわけではなかった。 後にも先にも安堵であれほど泣いたことはない。 子供のようにわんわんと大声を出して泣いて、一人にしないで無言のヒジリに散々八つ当たった。勝手にいなくなったと誤解し、勝手に不安になったのは自分のほうだというのに、言い返されないのをいいことに、これでもかと言わんばかりにヒジリを責めて、詰って、その存在に甘え倒した。思い出すと子供じみた己の癇癪に羞恥が募るが、どこか困ったような顔でずっと自分の相手をしてくれていたヒジリがいて良かったと、あの時ほど強く思ったことはない。 深くは何も考えず、ただ、嬉しかった。 ヒジリがそこにいてくれて。 茶化すような言葉はなくても、その存在があること、それが嬉しかったのだ。 けれど。 『あいしています』 その日から数日経って、急にエピフォンから告げられたその愛の言葉には戸惑うことしかできなかった。 「ヒジリ……くん」 思い出すと足が止まった。そのまま呼ぶ声までもが小さく、尻すぼみとなる。項垂れるようにして俯くと、つい先日のエピフォンの言葉が耳元に甦ってくるようだった。 その言葉が親愛からではなく、純然な慕情からくるものだとは、言われてすぐにわかった。ヒジリではなく、エピフォンの心がそれを自分へと紡がせているのだと。 ずっと――壊れてしまったヒジリだけを見ていた。そんな自分を、そしてエピフォンも同じように見てくれていた。 ……けして自分を見てくれないひとを見つめ続ける。 そのもどかしい辛さと切なさがわかるだけに、エピフォンの言葉はアキラの胸に深く杭を打つよう突き刺さった。 あの突然の告白から数日経つが、未だアキラはエピフォンへの返答をどうすべきか決めかねている。愛を告げても特に何も望んではこないエピフォン。そのやさしさに甘え、戸惑いながら、いつも通りの生活をこれまでと同じように過ごして返答を保留にし続けている。 (だって…どうしたらいいのかなんてわからない) エピフォンの想いには応えられない。 それは動かしようのない事実。 何故なら自分が好きなのは「ヒジリ」なのだから。 けれどそのヒジリはエピフォンの助けもあって死なずにいる。レゾナンスしたことによって精神が壊れてしまったというのに、レゾナンスしているから今でもなんとかその肉体は現世に留まっている。皮肉な話だ。 (だけどそれが真実――) 額を払うように風が前方より流れてくる。フワッ…と、肩口に届くようになった髪が宙に浮いた。 ……ちりん。 小さな音が耳に届き、顔を上げる。するとすぐに視線がそれを見つけた。 「ヒジリくん?」 ちりん――ちりん。 硝子の儚い音が二つ返事を寄越してくる。それを追うように浅黒い背中がフッとその背を巡らしてきた。一方通行だった視線が重なり合うようにして絡まった。 「ヒジリ……」 くん、と最後まで言うより先に、ふわりと微かな笑みが向けられる。全てを包み込むようなやさしい微笑。それを見てぎゅっとアキラは胸の上で拳を握り締めた。 「エピ、フォン」 頬が、若干強張ったよう気がした。 「……どうしたの。なにか、あった?」 ちいさな子供に言うよう、一言一言、ゆっくりと呟いて近付いてゆく。ヒジリはいつかと同じように中庭の一番軒下に近い木の下に立っていた。寄り添うようにその傍に立つ。 「……オト、が」 「音?」 「キレイな……音が、歌のように……きこえて」 ちりん、と風と共にまた繊細な音が空気を揺らす。その正体に気付いてアキラは「…ああ」と納得の声を洩らした。 「音って、風鈴のことだったのね。それね、昨日町で見かけて、綺麗だったから買ってきたの」 透明な硝子に描かれた、涼しげな赤い金魚柄。 「そろそろ夏に近付いてきたからいいかなって。でも飾ったばっかりなのによく気付いたわね」 「…………」 アキラを見る目が殊更やさしく和み、不意打ちのそれに思わずドキリとする。 「きれいな、音です。ヒジリと同じ……我のココロを惹きつけます」 動いたその表情は僅かなものだが嬉しそうだった。言っているのはヒジリではなくエピフォン、そう、頭ではわかっていたけれど。 「……気に入ってくれた?」 更なる不意打ちで訪れた胸の痛みを抑え付けながら問いかける。うまく笑えているかどうかはあやしかった。胸の奥がズキズキと痛む。それは、けして無くならない心の痛み。抑えつけてもそれが無くなることはけしてない。アキラのなかでヒジリを想う気持ちがなくならないのと同じように。 (……ヒジリくんも、喜んでくれてる?) はい、と静かな肯定が返った。 それに背を押されるよう、笑うヒジリの姿を脳裏に思い描く。ほんの僅か、目頭が熱くなった。 「そっか……」 空を泳ぐ赤い模様が、再び、ちりんと頭上でその風を受け止める。聴きながら、「じゃあ、――良かった」そっとそのまま空を見上げた。 視界に映る、曖昧に入り混じった夕陽と空の青。夏の夕焼けは……どこかしら淡く、そして儚くアキラの目に映って見えた。 「…………、」 肩口で揺れる髪を黙ったまま見つめる。良かったといいながらそれはひどく寂しそうな横顔だった。 無理をしているのが一目でわかる。 かつて自分とレゾナンスした男、ヒジリもそうだった。無理をしながら平気なふりをして笑い、時折こんなふうに寂しそうな一面をふと垣間見せていた。 己の心情は誰にも暴かれぬよう常に冗談で覆い隠すようにしていたが、レゾナンスしていたからなのか、自分には彼の気持ちが痛いほどよくわかった。 アキラ、と呼ぶたびにその心が軋んでいたことも。 諦めるしかねぇよと絶望を口にしながらも、その実、奥底ではいつもそれと真逆のことを叫んでいたことも。 彼は常に目の前にいる彼女のことを考え、その未来を守ろうとしていた。力が及ばないのであれば一緒に死んでも構わないくらいの、そんな強い気持ちで。 だから最後のレゾナンスを――その覚悟を、自分は躊躇いながらも受け入れたのだ。 (ヒジリに……後悔は、なかった) それが無月ヒジリとして在れる最後のときであっても、己の選択に、彼は心の底から満足していた。自分はそんなヒジリの気持ちに当初戸惑うことしかできなかったが……今ならばその心を誰よりも正確に汲むことができる。 (……アキ、ラ) 名を紡ぐだけで己の中の何かが揺らぐ。ざわざわとさざめく。 当初はヒジリの心の名残がこちらに影響を与えているのだと思っていたが、拙いながらも、その日々を彼女と共に過ごすようになって、それが間違いであることに遅まきながら気付いてしまった。 そして決定打となったのはとある日の出来事だった。 いつものように部屋で過ごしていたら、外から鳥の囀る音がした。それが耳に心地良く、もっとよく聴いてみたくなって、初めて自分から庭のほうへ足を伸ばした。きれいに整えられた中庭をフラフラと歩き、やがて音の出所である木の下へと辿り着いた。 それから、鳥の囀りと世界を構成する他の様々な音に耳を傾け、無心になりすぎて時間という時間を忘れた。 (歌が……聴こえる) 一体どれほどの時間が経ったか。 突然、腹部に強い衝撃を受けてようやく我に返った。俄かなことに驚いて振り返ると、そこに彼女がいた。 幼子のように全身で泣いている彼女が。 何故そんなふうに泣いているのかわからなかった。 だが彼女が一人にしないでと呟き零したとき、ようやく自分のこれまでになかった行動が、結果彼女を苦しめ、追い詰めたのだと理解した。一人にしないでと嘆くその言葉が、けして自分に向けられたものではないとわかっていても、それでも、彼女を泣かしてしまったという事実がひどく胸がざわつかせた。 触れてくる手にそっと触れれば、縋るようにそれ以上の強さで握り返された。その必死さに。懸命さに。最後の戦闘で彼女が受けた、心の傷の深さを改めて知った。 もう二度と戻ってはこない恋人を愛し続ける。 それは言うほど簡単なものではない。思うほど簡単なものではない。 一日一日と深まる愛もあれば疲弊してゆく愛もある。 そして。 「アキ、ラ」 「うん? なあに?」 笑顔で振り返る。その髪が左右に揺れた。 「この赤い……生き物は、何ですか」 「あ、えっとね、それは金魚っていうの。見たことない?」 「……はい」 LAGの奥で眠り続けていたせいもあるが、それ以上に、青の世界の音楽にしかほとんど興味のなかった自分には、もとよりこの世界に対する知識が他のサブスタンスたちに比べやや劣る。肯定すると彼女は、そう、と、小さく呟き、じゃあ教えてあげると笑った。 「他にもね、黒い金魚とかいるんだよ。これには一匹しか描かれてないけど、もっといっぱい、いろんな種類の金魚がいるの」 「黒い……」 「そう」 復唱すると嬉しそうに笑う。とても嬉しそうに。 けれど。 「……さみし……そうです」 「え?」 その浮かべられた笑顔に、確かに黒い金魚も他の金魚も見てみたいとは思ったけれど。 「一匹だけは……とても……さみしそう、です」 けれど―― 空に揺れる一匹だけの赤い金魚を見て、自分がまず一番に感じたのはそれだった。そこに一匹だけでいる金魚が彼女と同じようにさみしそうに見えた。 困ったように彼女の柳眉が下がる。 「そんなこと……ないよ」 自らに言い聞かせているように紡がれたそれに、そっと目を伏せ、吐息をつくようにちいさく謝る。すみません、と。 「なんで、謝るの」 言葉を受け、彼女がおかしいよと苦笑した。言葉通り、何か苦いものでも呑み込んだように。 だがおかしくなどなかった。 それはおかしくはない。 (貴女が……泣きそうだから) それはきっと、自分が泣かせているのだろうから。 (それでも貴女を……あいしています) そしてそんな一番の理由とともに……謝る理由は確かにそこにあった。 Next book … |
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「 あーあ、ほんと、お前ってうぜえ。んなこと、最初から……わかってたぜ 」 |