★ 喧嘩のあとの、またそのあとで。★

(10年後マフィア話/骸ツナ凪親子)



 困ったことになってしまった。



 佇む場所からそろそろと左右交互に視線をやって、双方の様子を、口を閉ざして静かに窺う。ピリピリと苛立った空気に身の縮まる思いがする。しかしこちらから声をかけるなどもってのほかだった。
 できることなら自分という存在すらもこの場からなくしてしまいたい。けれど仁王立ちする二人の男たち――ボスと骸様は、自分をその間に置き、睨みあったまままるで微動だにしない。故にこちらが少しでも動けば、辛うじて保たれている今の均衡が一気に崩れてしまいそうで、凪は恐ろしくて動くことが出来ない。身を強張らせ、唇を噤んで、ただじっと息をつめて事の成り行きを見守る。そんな仲裁もできぬ我が身の不甲斐無さに、凪の胸はいいようもなくキリキリと痛んだが、だとしてもやはりそうやって悲しむ他、今の自分に出来ることはないのだ。
 勃発した問題は確かに自分も関与することではあったのだが、実際には、自分は映画で言うところのただの脇役にしか過ぎない。
 主役は両脇の二人。
(ボスと骸様。…その、はずなのに)
 なのに何の因果か。
「――――わかった。もういい。だったら骸は置いてくまでだ」
 あくまで冷静に、そして冷淡に紡がれたその言葉に、自分に向けられたものでないとわかっているのに、凪の胸はずきんと痛む。
(…私では、ないのに)
 だが普段から温厚で、優しい微笑みばかりを浮かべるボスからのその怜悧な言葉は、常日頃がそうだから余計とくるものがある。とても考えられないほどの威力で以って周囲の様々なものをバッサリと切り裂いてゆく。
 それはたった今痛んだ凪の心だったり、その言葉を受け、それでも微笑みを絶やさぬ当の骸様自身であったり、静謐な空気そのものだったり。
 何を言われずとも凪にはわかる。その威力たるや、聞くだけで充分なものなのだと。
「ボ……」
「それは命令ですか」
「命令だ」
 はっきりとボスが告げる。
「……そうですか。わかりました。ならばそれに従いましょう。そういう身の上ですからね」
 皮肉げに応え、骸様は微笑んだまま一礼して去ってゆく。それを追おうかどうしようか迷っている間にあとにはボスと二人きり、場に取り残された。
 今から追っても、きっともう容易に捕まえることはできないだろう。もう姿を消している。霧のように。正体をみせない。
 それが―――ボスの霧の守護者である、骸様の属性だから。
「……ボス」
「うん…ごめん、凪。急に呼びつけて話の引き合いに出して悪かったね。でも、ああでも言わないと、骸の奴、絶対ついてくると思うし。けど凪の前じゃ格好つけたがるから、これ以上は食い下がらないと思ったんだ。うん、目論見通り」
 …ボス、それはなんだか私を人質にとってるような発言にも聞こえるのだけど。
 先程までの際どい硬質な空気がまるで嘘のように、ふわりと柔らかく笑ってボスは軽く首を傾げる。けれど言っている内容は今も思ったようにあまりボスらしくない。
 珍しく、言葉に秘めた裏側の意図が意地悪く表層で見え隠れするものだった。
 真意は一つしかない。
 指摘するとあっさりとそれをボスは認めた。
「まあ、そうだね。凪は人質。大事な大事な人質だから、醜態晒したくなくて、骸も素直に引き下がった。無事、問題解決。良かった、良かった」
 骸様と同じように笑んだままのボス。否定すらしない。だけれど、他の部分で、凪の琴線を静かに爪弾くものがあった。それは何、と考えてすぐに思い当たる。
(これは……ボスの)
 まるで彫像の笑みを切りとって、そのまま顔面に貼り付けたような、無機質な笑顔。
抑揚のない声には何の感情も籠もらない。ボスらしくない。凪の胸がずきんと痛む。その理由は明白だった。近寄っていってその手を取る。
「…凪?」
ひんやりとした手だった。いつもはあたたかい手のひらなのに、触れた場所はひどくひどく凪には冷たく思えた。握り締めて、「行こう……ボス」祈るようにして小さく呟く。ボスの瞳が驚いたように見開かれた。けれど……ダメよ、ボス。もう無理だわ。
(ボスの心がこんなにも冷たい。…寂しいのは、いや)
 いくら平静を保っていても、ボスの心は痛がっている。それがわかる。そしてボスの心が痛いのは、自分のこと以上に私には耐えられないことだから。
「言い直しに……行こうボス。命令じゃなくて、お願い」
「はっ? …え、なっ、凪?!」
 お願い。それなら――きっと大丈夫だから。
「骸様は弱いの」
「な、なにが?! ていうか、ままま待って、凪…!」
「…だめ。待たない。今度はちゃんと……役に立つの」
(さっきは何もできなかったから)
 その罪滅ぼしではないけれど、一生懸命、骸様を探すから。
 だから、ボス?
(探し出したらいつもの笑顔で言ってね。命令じゃなくて、)
 骸様に、――骸様にお願いって言って。
 だって骸様はボスに弱い。

 ボスのお願いには、他の誰よりも一番に弱いのだから。





***





 二時間後、無事探し出した骸様に、
「〜〜〜だからっ! 今回は置いてくの! お前来たら、絶対無理するだろ!? 前回の任務の傷だってまだちゃんと治ってないんだから。だから絶対だめ、絶対来んな! ……なあ、頼むよ……無茶しないでよ。それでなくてもいつもお前、ほんと無茶ばっかりで……って、こっ、こら、何っ……ち、近づくッ、なっ、て……んっ、んん〜〜!?」
 と、ボスはそこでまた大変な目に遭うことにはなったけれど。





 大事に想って、想われて。
 そんな喧嘩もあるのだと知った一日は、きっと、平和な一日だった。


fin.









08/01/13
(インテ大阪にて配布ペパSS)
配布分には当日ご同席の浅葱さんのカット込みでした。


「羊は狼の夢を見る?」で、入れる予定だった話を
コンパクトに纏めてペパSSに。本の構想だと
もっと二人がギリギリして(というか主にむく……)
そんな二人を見て、凪がハラハラしてました。

親子は書いてるとほんわかするので好きです。



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