( さよなら、さよなら、さよなら ) 明日来る「明日」に、今は出会う為に。 |
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「 僕らは世界を歩いていく 」 (未来編終了後・綱吉&骸) |
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視界の両端を彩る色は白。 むせかえるような花の香りは未だ消えず、瑞々しくもその美しさを綺麗に咲き誇らせている。仮にもしタイムトラベラーの時間調整がうまくいっていなければ、これらの花は全て枯れ果て、朽ちた色を覗かせていたことだろう。 そんなことをぼんやり考え、調整がうまくいって本当に良かったと改めてこの世界の現実に安堵する。 過去の自分だけでなく、大空のアルコバレーノ、ユニの協力もあって無事白蘭率いるミルフィオーレファミリーは消滅させることができた。おかげで取りこぼしてしまった多くの命が戻ってき、幾つかの抗争が過去の事実より消えた。 もう大丈夫ですと。目覚める間際に聞いた、慈愛に満ちたその声の主を、だから自分は 生涯忘れない。 もうこの世のどこにもいない少女。 消えてしまった尊き一つの魂。 (……ありがとう、ユニ) そっとその名を呟いたあと、瞳と意識とを今度は真っすぐに目の前へと向けた。 白が青へと一瞬にして切り替わる。 「――綺麗だ」 素直な感想がするりと出た。心が歓喜に震えているのがわかる。そのまま他に何をするでもなく静かに空を眺めていると、しばらくし、まるで見計らったかのようなタイミングでふいに視界を遮るものが現われた。 澄んだ青に交わるはそれよりも更にずっと深い色をした青。それから毎度のことながら血のようだと思う対なる赤……それらが一緒くたになってこちらの目を惹き、 (いや……見事にぴったりだな、服) 今度のことで首尾良く――というよりちゃっかり復讐者の監獄より脱獄を果たした男、六道骸の存在を改めて視界に入れた。 十年間。 たとえ「夢」という媒体を経ての接触があっても、その身を見ることもなければ、実際に触れることさえ叶わなかった。そんな男が今確かに自分の前にいる。けして幻覚などではなく、まごうことなき生身の本人として。 白蘭のこともあったが、この事実もまた綱吉にとっては嬉しく、安堵すべきことの一つだった。良かったと素直に思う。 (きっとクロームたち、喜んだだろうな) 微笑ましさにつと相好を緩めれば、薄く落ちてくる影がぴくりとその片眉を器用に吊り上げた。さっきまで無表情だった面に、急に露骨な「不機嫌」の三文字がぶら下がる。 「何をしてるんですか、君は」 呆れ顔でそう問いかけられ、 「え。いや。何、って」 当たり前の返答をごく端的に。 「……ええと、空? 見てるんだけど」 「それはわかります。見ればわかります。僕が訊いているのはその前の工程であって、一体、何故。今更そんなことをしているのか、ということです」 声に若干の険が籠もる。それは己の理解を超えた、不可解なものへと対峙するときによく男が使う声音。これまでも夢の中で何度も耳にしてきた。 「そんなに……おかしい?」 「―――ええ。わかりました、そんなに死にたいのでしたらお望み通り、今すぐ、ここで、切り刻んで殺して差し上げます」 「って、うわっ!? ちょっと待て……っ、ストップストップ!」 視界のど真ん中で銀色の凶器がキラリと光る。切っ先が三又に分かれた鋭利なそれは、幻術を操る術者のくせに体術まで得意とする男の愛用の武器――三又槍。 出し入れ自由ならぬ具現化いつでも自由で、意識の切り替え一つでどこにだって持ち込める。こんな手品師みたいな暗殺者がゴロゴロいたら、世の中さぞかし迷宮入りの未解決事件ばかりで、警察の面子を軒並み丸潰れにして回っていることだろう。 (まあ……なんていうか……傍迷惑な奴だよなあ) やがて鼻先一センチのところでぎりぎり静止している武器を手に、「――で?」と、おもむろに男が口を開いた。 何を言いたいのかは、背筋に走った震えとともに嫌という程よくわかった。 「……ちゃんとは説明できないと思うけど?」 それでもいいのか。 と、言外に尋ねると、男はかるく肩を竦め、 「いつものことでしょうそれも。気にしません」 飄々とそんな風にのたまう。まるで動じないそれに、言ってくれると無言で笑い、ならばと口を開き、 「いや、言っちゃえばなんとなくなん…ったたたた!!」 「なんとなくで君は生きたまま棺に入る、そんな奇特で変質的な趣味をお持ちなんですか」 「ていうか気にしないって今言ったばかりでそれか……っっ!」 一秒後。鼻先から移動した切っ先がひゅんっと空を震わせ、半回転したあと、そのままドン! と、己の肩の辺りに重い音と鈍い疼痛を走らせた。槍の切っ先が今度は上空に見える。槍底を叩き付けられたのだと気付くや否や、痛みが更に膨れ上がって、喚き叫ぶ。すると「まぁ凶器ですから」と、呑気に答えられた。 手加減しての攻撃だとはわかるものの、それでも圧迫してくる痛みは地味に鎖骨を軋ませる。 「気が短いにもほどがあるだろっ!?」 「君のほうこそ……僕をそういうふうにさせているのは君のその、要領の得ない、ぐだぐだな問答が原因だとそろそろ真摯に受け止め、気付くべきではありませんか?」 「…………」 加害者が堂々と責任転嫁を寄越してくる。それに慣れてなどしてしまいたくないのに、もはや何を言っても無駄と、こちらも同じくほんの一秒足らずで男に対する説得の空しさを覚えて、ついいつもと同じように諦めが入る。 いつの世も慣れというのは恐ろしいものである。 「相変わらず容赦ないな! オマエほんともう」 話していると時々本気で泣けてくる。 「お褒めに預かり光栄ですね」 男がにこりと微笑んだ。 何の害もないような紳士のような笑顔。 だが。 「このエセ紳士め……」 「おや。ボンゴレにはもう口は必要ないと?」 「ちょ……っ、お、折れる折れる! 本気で折れる……っ」 「クフフ、いい悲鳴です。やっぱりそういった悲鳴をあげてもらわなければ色々と楽しめませんし、面白くないですね」 口を失くすのは止めて差し上げましょうとさも親切げに告げられた。一体どんな都合のいい思考回路で、どれだけ堂々と加害者になる気だと内心でそんなツッコミが留まることなくダラダラと入る。後半、主に冷汗とともにだったが。 (ああもう) けれど。 否、そうしながら。 (……これ、待ってるんだよなあ?) 男がこちらの返答をその実ずっと待っているのがわかり、日本で見るよりもずっと青いイタリアの空へとその視線をずらした後、観念するよう、ぽつりと呟いた。 「……オレが死んだからだよ」 視界の端ですぐさま男の眉間にシワが寄る。 「意味がわかりません」 それを笑って受け止めた。 「そう言うって思ったから、だから最初にちゃんと説明はできないって言ったんだよ」 笑って思い出すのはミルフィオーレとの会談時のこと。 兼ねてよりの計画通り、自分は仮死状態になって過去の自分をこの時代へと送り込んだ。つまり死んだように見せかけて、その実、本当は死んでなどいなかったのだ。 (それだけ、だったんだけどね) 当初はそれだけのつもりだった。それ以外のことなど何も考えていなかった。 それが、なのに今。 その目を見開いて見える空が、ほんのすこしだけ前と違って見えた。大切なものは変わらない。愛しい気持ちもずっとこの胸にある。けれどその影でほんのすこしだけ。 「……お前もそうだと思うけど、今のオレには過去の記憶がある。未来を変えようとして戦った、新しい過去のオレの記憶がね。思い出すとすごく懐かしくなる。そんなこともあったなって懐古することができる。だけどこの気持ちは……前のオレにはなかったものだ。新しく出来た。だからここにいるオレはもう前とは違ってるんじゃないかって思ったんだ。それで、だったら前のオレはどこにいったんだろうって考えたら―――」 導き出される答えはとても簡単なものだった。 生きている今の自分。 今の自分が生きているのならば前の自分はおそらくその反対。 「それでわざわざ自らもう一度棺に入ったと?」 「そうだよ。肉体のない死なんてお前は笑うかもしれないけどさ……、でも、せめてオレだけでも前のオレを悼んであげないとって思ったんだ」 言えば男の瞳が注意深げにこちらをじっと見下ろしてきた。「それはつまり……」とさぐるような目で言ってくる。 嫌な予感がした。 「あー……骸? できたらそれ言わないで欲しいんだけど」 へらりと言えば、フ、と男が優雅に笑った。 (あ、だめだ) 読まれた、と思った。 もうこれは完全に完璧に余すところなく隅の隅まで容赦なく。 「つまり君は死んだ自分が羨ましかった、ということですね」 「…………」 「目を逸らすなんてベタなことまでしてくれて肯定をどうも。相変わらず甘い男ですね君は」 「お前は嫌なとこ突いてくる奴だよな?!」 「それが性分ですので」 男が笑ったのがわかった。けれどすぐにその気配は取り下げられた。空気が変わる。水中にほんの一滴、薄墨を落としたような、そんなさみしい気配に。 声がひそりと小さく零れた。 「……君は死にたかったんですか」 静かに問われるなか、肩からの圧迫がふっと消失した。槍底が外されたのだと知る。その、ジンと痛む、自由になった腕を交差して背けた顔を暗く覆った。 「違う」 死にたいわけではなかった。 寧ろその逆。 「結局オレは……どこまでもダメ人間なんだ」 「知っています」 「死ぬのは怖いし、血を見るのも今でも慣れない。というかすごく嫌いだ。血なんか見たくない」 「ええ、知っていますよ」 「いい加減だし、だらしなくて本当は毎日ダラダラ怠けた生活がしたいって思ってる」 「……それも知っています。夏場には風呂上りのアイスが未だ止められない。時間がなく、できもしないゲームソフトを、それでも発売されれば日本に留学中の中国娘に代理で購入してもらって送ってもらう。ゲームをするどころか実家に帰る余裕すらないのが現状でしょうに」 「そうだよ。できない。何もできないよ。だけど……これがオレの選んだ道だってわかってても、」 未だに甘い夢を見る。 叶わないその願いを望みたくなる。 「だから消えた前の自分が羨ましかった? そんなふうに葛藤する自分とはもう向き合わずに済むから?」 だが、選ぶものが確定しているその葛藤は、どうしたところでどうしようもないこともよく自分は理解していた。思うたび。願うたび。何度も何度もその葛藤をループし続けてきて。 (それこそ) 「……そうだよ。オレは、これからもずっとそんな葛藤をしていかなきゃいけないんだ」 (廻り続けたお前のように) 「だから羨ましいけど、でも死にたいわけじゃない。これはオレなりのけじめだ」 新たな自分へと踏み出す為の。 変わらぬ日々を、ほんの少し変わった自分と、共に歩んでゆく為の。 「なんだか戒めっぽいですね。しかも捻くれた」 「お前が言うなよ、そういうの」 (人がせっかく痛いのや怖いの我慢して、それでまた前向いて行こうって……思っ、て?) 「――――、」 真っ暗闇のなか。 ふと、己に触れるものがあった。 ほんの一瞬。 星が瞬くような、そんな束の間に一瞬に。 確証はなかった。 だが慌てて腕の暗幕を解き、視界を開けた。 「む、骸!? お前いま……っ」 「おや? 僕が何か?」 しかし広がった世界、男は視界を閉ざした時と同じ位置、同じ体勢で、特に何もなかったかのようにそこに佇んでいた。 「へ? え、あ……あれ?」 ぱちくり、と大きく瞳を瞬かせる。視界に再び青い空が覗く。 男同様、こちらもやはり何事もなかったかのように。 (え、え? でも、今、なんか、く、くち……に) 何かが触れた、そんな気がした。 それはまるで――― 「…………あの、骸?」 思考がそれ以上を言葉にすることを拒絶した。 それでも、まさかと思いながらおそるおそるその名を呟けば、 ――――ざくり。 と、音がした。 「へ?」 「クフフ」 「え? え? う……あ? んなあああああああっっ!?」 何の前触れもなしにいきなり痛覚が刺激され、とりあえず我慢など遙か彼方、空を切り裂くような悲鳴が迸った。それを聞いて、あろうことか加害者である男はいい声ですと悪びれることなく不敵にのたまう。わざわざ明記するまでもないがひどく嬉しそうだった。ひどく楽しそうに、そうして笑い、 「もし葛藤するのに疲れたら僕に言えばいい。死にたくなったら僕がいつでもこうして殺して差しあげます」 「だだだだからって今実践しなくていいだろ!? しかも今度は尖端でっ……うわ、駄目だ、ぬっ、ぬるぬるしてきた。すごくぬるぬるしてきた! さっきの倍、痛いんだけど! すごく痛いんだけどっ!?」 串刺しを。 うっかり自覚すると痛みの比率が倍になって跳ね返ってきた。 じわじわと染み出してくる生温かいものが服の内側から大量に染み出してゆく。ああこれは――大出血だ。 「これホント容赦なく貫いたよな、お前!?」 「いいじゃないですか。どうせ晴れの守護者がすぐ近くにいるんですから。細胞を活性化してもらえばすぐに治る」 「そういう問題じゃない!!」 「そういう問題ですよ」 したり顔で一言。 言って得物の先をぐいと引き抜かれた。 「っっ!?」 痛みが増して、出血の量もまた一段と勢い良く増える。 「過去の君はこれ以上の傷を負っていましたよ。君もこのくらいあったほうが五分五分でいいんじゃないですか?」 「いやそれはそうだけど………、ていうか! それはオレばっかりが怪我して損してるってことじゃないのか!」 しかもこれは味方(だと思ってる)男に刺されての傷だ。名誉の負傷でも何でもない。喧嘩にしても一方的すぎて刺される意味がわからない。 「おまえなあっ!」 出血の幅が広がってきたのか、だんだんと思考することも億劫になってくる。次いでいい感じに自棄にもなってきた。 「無茶すんなっ! 死んだらどうすんだ……っ」 そのまま怒りと勢いに任せて、起き上がった。 その瞬間、 「痛みがあるなら死にませんよ」 「――――、」 それは、生きているからだと言われたような気がした。痛いのは生きているから。生きているからそんな悲鳴も出るのだと。 「……骸」 「なんですか?」 棺の両端を僅かに力をこめて握り締めた。途端、ずきりと片側の肩がひどく痛んだ。男の言うようにそれは生きているからこそ生まれる痛み。それに怒ればいいのか笑えばいいのか。 「……未来は変わった。だったら――過去も変わると思うか?」 もしパラレルワールドが本当にあるのだとすれば、おそらく今ここにいる自分と、過去に帰っていった「自分」の存在はきっともう分かたれている。 (そうしたら……過去の骸はどうなる?) 今回の白蘭との一件がなくなってしまえば。 もしかしたら十年経っても、目の前の男は冷たい水牢の中から解き放たれないといった可能性も出てくる。 けれどこちらの懸念をよそに男は不敵に笑うばかりだった。 「さあ? わかりませんね。というより僕としてはもう別にどうだっていいことです。すでに過ぎたことですし。今更悩んだところで過去がやり直せないのは君だって重々承知のことでしょう」 「…………」 その通りだった。 だからこそ後悔という言葉がこの世にはある。 未練という想いがある。 どう制御すればいいのかわからぬ感情に、ぐっと奥歯を噛み締めた。自分が感傷に浸っているのはよくわかっていた。だがそれでも、目の前の男に自分が何を言えばいいのかわからない。 (ああ、またオレ葛藤してる) 巡り続ける想いと一緒にそれはいつまでも離れることなく。 「ですが……一つ、僕から言えることがあるとすれば、ですね」 ふいにきらりと白く、視界を貫く光があった。 出所は男の掲げた三又槍の切っ先。陽光を浴びて、キラキラとまるで鏡のように幾重にも虹を走らせる。 目に眩しい。 思わずその目を細めたとき。 「過去は変えられなくても未来は変わりますよ」 目の前にひらりと何かが差し出された。 ……様になりすぎて、それが何であるかは言いたくない。寧ろあまりのことに固まった。 そんなふうであったから、きっとおそらく自分はひどく唖然とした、鳩が豆鉄砲を食らったようなおかしな顔をしていたのだろう。 男が笑う。それはいつもの不遜で嫌味な笑顔などではなく、瞳を細め、いつかの過去で見た――― 「ただどう変わろうと、君はずっと僕の標的ですけどね」 自分以外の人間に世界を取られるのは面白くないと言って振り返ったものとよく似ており、そうしてそれは、現在に繋がる……今ここに在る男の笑顔となって自分の視界にしかと収まるものでもあった。 …They walk in the World. |
未来編の後日談エピソードを捏造しつつ、
未来編お疲れ様&ありがとうございましたな気持ちを籠めて
スパコミにて無料配布した小説でした。
毎度毎度捻りの何もない骸ツナですが、
打っててとても楽しかったです。このふたりの関係が大好きです。
読んで下さり大変感謝!
10/05/16