それはとても美しい世界。




★ たとえ話の結末 ★

(10年後マフィア話)

 たとえばさ。
 週末散々降ってた雨が止んだら急に綺麗な月が空に覗いてた夜だとか。
 たまたま入った小さな酒場の店主がやたら気前の良いイタリア出身の男性で。
 色気もへったくれもない三十前の男二人相手にウォッカ一杯ぽんと景気良く奢ってくれたりなんかして。流れで何か良いことでも、なんて訊いたら、今日は俺の誕生日でねえ、妻がどえらいものプレゼントしてくれたんでさあ、と酒を呑む俺たちよりも随分赤らんだ顔でその先をとても聞いて欲しそうにするものだから。
 奥さんは何をくれたんですか?
 微笑ましい苦笑いを必死に噛み殺しながらそう問いかけたのは、確かに多少なりの好奇心があったかもしれないけれど、酒場の店主はその瞬間、それはもうオー・ディオ!ってな具合にしあわせそうに破顔して。
 よければ教えて下さい。
 ああ、こんな感じ、どこかでよく味わうな、とか思いながらその続きをせがんだ。その隣で連れはウォッカ一杯もうすでに空にしていて、次の注文に忙しく話なんて聞いちゃあいかなった。
 それでも店主はしあわせそうで、それを隠そうともせずにでれでれと笑って。
 妻にねえ……妻に、おお、ほら、なんて言うか………ああ、つまり妻とこれは神様からの贈りもんだ。この俺が父親になるなんてなあ、未だもって信じられねえことでさあ。ねえ、お客さん、俺が父親だっていうんだ。そう見えますかねえ。
 そんなでれでれと緩んだ店主の顔は、もうすでに充分子供に甘い、優しい父親の顔をしていて、それはおめでとうございます、元気なお子さんが産まれると良いですね。
 生まれて初めて訪れた街の、生まれて初めて入った酒場、そして生まれて初めて言葉を交わした店主の未来をそう言ってささやかながら祝福なんかしたりして。
 ありがとう、うん、ありがとうなあ。店主はそれから礼ばかりを言って、途中で客をほったらかしに自分もウォッカを煽ってぐーすか先に寝てしまった。残された俺たちは最後に出された酒を飲み干してからカウンターに紙幣を数枚。硬貨も一緒に残し、ついでに看板も引っ繰り返して店を出た。







 雨の止んだ外は地上の汚れを軒並み洗い落としていったみたいに清浄な空気に包まれていて、表に出た綱吉の肺にしんと冷たい空気を送り込んできた。頭のてっぺんから爪先まで、身体中の全てを機械のパーツのように綺麗に入れ替えていってくれるような気分だった。気持ちが良い。
 調子に乗って吐息を一つ。
 吐き出した呼気はぼんやり淡い靄を放って自分の目の前を薄く染めた。
「……それで、一体どうするおつもりですか」
「どうって?」
 コツコツと濡れた石畳を叩く。その二人分の足音が夜の街にひっそりと響き、耳を打った声に顔を上げればすぐ近くに不機嫌な……といかないまでも、それでも納得がいかないといった様子の連れがいて、言いたいことはわかったけれど、なんだかそうしたい気分だったので空っとぼけて聞き返すことにした。
 僅かに瞳が渋面とともに眇められる。うん…まあ、そんなのすぐバレると思ってたけど。
「あなた、さっきの店主に有り金全部あげたでしょう。ご丁寧にポケットの硬貨まで全部。元々それほど持ち合わせがなかったのにどうするんですか、帰り」
「空港のチケットはあるから別に平気だと思うけど」
「そうですね、空港のチケットはありますね。―――ですが、空港までの道のりを今晩夜通し歩き続けるおつもりですか。まさかあなた、自分が風邪を引きやすい体質だってことを忘れたとでも? 僕はよく覚えていますよ。一昨年ですか、正月にファミリー対抗争奪戦をしましたね。雪合戦の最中に行方不明になって、ようやく発見されたと思ったら、それから二週間は風邪でベッドとお友達になりましたね。おかげで僕は二週間も心配し通しでした。昨年は守護者の任務地からの帰還を冬の寒空の下、屋敷の中で待っていればいいものを何を好き好んでかわざわざ外で待って、僕らが凱旋帰還した途端、君が倒れました。一体なんの為にあなたを置いていったと思うんです? マフィアの抗争と全く関係ないところであなたまた一週間ほど死線彷徨いましたね。これも大変心配しました。そして問題の今年ですが………これはもう最悪です。最悪を通り越して吐き出す言葉すらも浮かびません。雲雀恭弥。どうして君が彼の修行に付き合って、仮にもボスが、ボスともあろう者が、逆に谷底に突き落とされて死にそうになってるんです? このとき引いた風邪は確かに大したことはありませんでしたが、問題はそれを未然に防いだ雲雀恭弥の行動です。君の意識がないと思ってあの男、君にぴったり寄り添って」
「――た、だけで、何もなかったよっ。それはもうあの時散々説明したし、謝っただろ!?」
「それはそうですが、何度思い出してもトリには殺意を覚えます。ああ、ほら、また。…決めました。帰ったら今度という今度こそ彼の息の根を止めましょう。そうしたほうが今後のファミリーの為です。ね、いいですよね、ボンゴレ」
 不穏な笑みを張り付け、静かに微笑む。
 一見すると極上の笑顔を前にはあと肩を落とす。
 ふわりとまた靄が放たれた。
「笑顔で物騒なこと言うの止めてほしいし殺戮禁止だって前にも言ったと思うけど。より険悪になるだけだってそろそろお前も自覚してくれたら、白熱したお前らの雪合戦に巻き込まれて俺が行方不明になることも、派遣地で雲と霧の守護者が仲間割れ起こしたって現地報告に他の守護者たちの心配して外に出て待たずにはいられないこともなかっただろうし、そのあと胃痛を発端に風邪で倒れることもなかったと思うんだけど。ちなみに今年のはそもそもお前の修行に俺が内緒で付き合ったのを得意げにお前が雲雀さんにバラしたりするから、部下には平等にって言質取られて脅されてどうしようもなく俺は行くしかなかったんだよ、この馬鹿! 馬鹿骸! ていうか言ってて改めて再確認したけど、悪いのやっぱり全面的に全部お前じゃないかっ! 毎年毎年どうしてお前は大人しくしててくれないんだ。どうして俺ばっかり不遇な目に遭うんだ。自覚してほしいんだけど! そろそろほんとに自覚してほしいんだけど!?」
「……そうやってまた僕ばかり悪者扱いです」
 君も大概ですよね。
 呟く言葉に。
「だって雲雀さんには怖くて言えないし。」
「……………」
 きっぱり言い切ると何とも言いようのない表情をして、……不条理です、とぼやく骸がいた。拗ねたようにそのまま隣を黙って歩く。それから一体何の話をしていたのか、もはや忘れそうになりかけていた頃、「とりあえずそれはそれとして…」不意に目の前がグレーに染まった。
「せめてこれでもしておいて下さい。寒そうで見ている僕が耐えられません」
 自身のマフラーを解いてふわりと首に巻かれる。歩みを止めることはなくそれはとても器用に、特にこれといって何ら特別なことでもないかのように。
 あまりにも自然な、当たり前の動作で自身のマフラーを骸はくれた。
「…いいよ、骸。お前がしてろって」
「駄目です。寒いんですから。もし本当にこのまま夜通し歩くおつもりならしてて下さい。でなければこれからどこかマフィアの一つでも殲滅してきますよ」
 妥協という名の譲歩の仕様を高らかと提示し、それでいてどこか憮然とする骸に思わず笑みが零れた。狙っていたわけではない。けれど結局こうして自分の勝手を赦してくれる相手がいること、それを知っている。……ああ、だから。




「骸、たとえ話をしようか」
「はい? 何のです?」
「うん。たとえばね、初めて訪れた街が訪問中ずっと雨で、これからやっと帰るって時にようやく止んでくれて、その空に見えた月がものすごく綺麗だったり、初めて入った酒場で出されたお酒も美味しくてこれから父親になるんだって気前の良い店主が目の前ですごくすごくしあわせそうに笑ってたり、これをしたらきっとあとで自分が困るんだろうなってことをしても逆に気付けば優しい気持ちを寄せられたりなんかしたら、さ――――まだまだだなあって思うよね」
「………もう少し噛み砕いて言ってもらえませんか。時々君は僕の理解の及ばぬことを平気で言い出します」
「そんなことない、簡単なことだよ。すごくシンプルなことだ」
「やはりよくわかりません、ボンゴレ。一体何を……」
「だからこういうことだよ」



 言って一歩、足を横に詰める。それから外に放り出されていたその手を取り、ひやりとした冷たさを躊躇わずきゅっと握り締めて。



「こういうことだ」
「…………」


 繋いだ手に、寄り添って歩く。



 たとえばさ。
 そんな日に隣にいたのがお前でよかったな、こんな気分良く思える、多分俺は今とてもしあわせなんだろうと思うから。



(世の中、まだまだ捨てたもんじゃないよなあ)



 月も綺麗で酒も美味い。
 イタリア親父の未来に乾杯!




 そんなしあわせな道を自分たちも歩いてる。

fin.









07/02/20
■恋人へ■お題「月が綺麗で酒も美味い!」
(配布:フルッタジャッポネーセ様)

原稿・イベント、終わったのでやっとのんびりとお題創作をば。(たまには甘めで)
ちなみにこのあと最終的に疲れ果てた綱吉に、ほらご覧なさいとばかりに
隠し持ってた所持金で(骸に持たせるとロクなことに使わないとの見解で
綱吉同行のときは常に没収されている)、骸が車を拾って一件落着。(明け方

持ってたんならもっと早く出せとか愕然と綱吉が喚いたら、
そんな勿体無い事できませんとか上機嫌で車の中で横抱きされて
疲労でもはや抵抗する気力もなく羞恥のままに空港到着。

運転手さんは振り返れませんでした。この話のほんとの結末はそんなとこ。(台無し!)