かくも恋とは侮りがたし。




- 恋ひ余る -

(10年後マフィア話)



「暴力を振るう男は嫌いです」

 突然真顔で言い出した男を、まずはちらりと軽く見て、書類の最後にサインをする。A4サイズの四角い紙面にびっしりと書き連ねられているのは当初書くことも読むこともままならなかったイタリア語。沢田綱吉という日本人が慣れ親しんだ母国語ではないそれ。寧ろ今では逆に、そんな母国語のほうが――この地に降り立って以降、なかなかお目にかかれない代物へと移行してしまった。
 プライベートでは、まあ同じ母国の仲間たちがいるのでそれほど寂しくはないのだが、彼らも彼らで自分の下した任務地へ駆り立てられることの多い身。その地で扱う言語の多種多様さを思えば、頻度的には自分のそれとあまり変わらないように思う。まったく、この世界の情勢がこれほど日々不安定に暗転するものだとは思いもしなかった。おかげで今では変に何ヶ国語も扱えるようになってしまった。
 いつも赤点だった英語のテストが今ではとても懐かしい。
 サラサラと名前を、というより肩書きを綴って、書類のチェック、ひとまず終了。
 似たような書類がまだまだ山のように控えているのは知っているが、急ぎのものはこれでなんとか強引に終わらせることが出来た。肩にのしかかってくる疲労感がそう思うと不思議とほんの少しだけ軽減された。終わった書類を処理済として横にやる。
 と。
「―――ボンゴレ」
 再び仏頂面の男が自分のことを呼ぶのが聞こえた。…若干先ほどより声音が低い。その理由はわかっている。
「聞いているんですか、ボンゴレ。暴力を振るう男は嫌いだと言ったんです、僕は」
「ああ、うん。聞いてる」
 まさかお前からそんな言葉が出てくるとは夢にも思わなかったからそれはもう充分に。
 手にした羽根ペンを殊更ゆっくりと卓上に置き、静かに顔を上げる。そうして焦ることなく目を合わせた男の額には、予想通り苛々とした皺が幾つも刻み込まれ、浮かんでいた。機嫌が悪いことが一目でわかる。
 その、いくらも隠そうとしない男の不遜さはいつものことだ。当然といった調子で紡ぐ。はっきりと。それはもう馬鹿馬鹿しいと言わんばかりな勢いで。
「なので僕はあの暴力的なトリのことが大嫌いです。」
 言った。
 真顔で断言である。なまぬるく瞳が緩むのがわかった。
「………うん、知ってる」
 仲が良かった試しなど、出会ってからこっち一度としてなかったのだからそれはもう嫌というほど充分に。
 そんなのは今更だ。今更宣言されてもそうだろうねとしか言いようがない。それ以外にどう反応しろというのか。…思いながら、
「なに、また喧嘩したの?」
 確信に近い事実だけを胸に、端的に状況について尋ねてみる。
 相手の機嫌が現状のままでは焦りは禁物、変なことしたら男を付け上がらせる原因にもなり兼ねない。それを懸念していたのだが、実際の返答は綱吉の予想に反して実にあっさりしたものだった。
「………。しましたが、それがなにか」
 言いながらそっぽを向く姿に一瞬きょとんとしてから、その不機嫌な横顔を黙ってまじまじと見つめ返す。……不機嫌。不機嫌なのは見たとおり。それは変わらない。だがその仕様にいつもと少し違った不可解な色が浮かんでおり、想定していた以上の大人しめな態度にどうしてかと内心で軽く首を傾げてから――――ああ、そうか。そういえば、と思い至る。
(今度騒ぎ起こしたら本気で怒るよってそういえば言ってたんだっけ…)
 まあ何の抑止力もならないだろうけど、と。言いながらすでに諦めがその胸中にはあったのだが。もしかして少しでも効果があればよいなあと呑気に思いながら紡いだあの発言は、予想以上に思わぬ効力を発揮しているのだろうか。
 今まさに。
(オレに……本気で怒られると思って?)
 俄かには信じがたい。だがおそらくそれがこのローテンションな不機嫌を誘発している正体であるのだろうとなんとなくそれは素直に受け止められた。苛立ちを抑えきれない理由や正直にそれを告白したはいいが目も合わせられないその理由と同じように。
(なんだ)
 だったらしなきゃいいのにと苦笑いが頬に張り付く。だが今は敢えてそれは言わなかった。
「それで被害の方は?」
「理由は訊かず、トリの心配ですか」
「そんなこと一言も言ってないし。ああでも雲雀さん、明日から確か上海のほうに行く予定があったような………」
 大丈夫かな。呟くと不機嫌極まりない男の眉間にまた一本、新たに深い皺が刻まれた。我が物顔で男が座っているソファーが――身動きもしていないのに――ギシリとどういった質量の変移でか激しくたわむ。思わず衝動的な破壊活動にでも走るつもりかと嫌な懸念に少しだけ胸の片隅が震えたが、さすがに物に当たるような行為はこのところあまりに幼稚と思い直したか、綱吉の予想を更に裏切って男はそれ以上他に動く気配は見せなかった。代わりに「…ええ、そうですね。最近旅客機の事故、多いみたいですし、心配です」と平坦な声で呟くのを聞いた。何を想像してかクフフとある種の暗い笑みがその面にありありと浮かぶ。それを見て若干軽めの溜め息が洩れた。そちらは隠す気もないのか。
(暴力と謀略…って、全然意味違うのに、同じに思えるこの不思議……何でなんだろうな)
 少しは成長したかと思えば物騒なことを平気でのたまう。そんな十年も前から在る、男の悪癖は未だ何一つとして変わっていない。変わったとすればそれを受け止める自分の在りようだろう。まったく困ってしまう。
(まあ…十年も一緒にいればね)
 なし崩し的な感が非常に否めない。ないけれど、おのずとそれはもうしようがない、仕方ない、とそんな諦観の念が簡単についてしまうほど、あれから自分は目の前の男に対し幾つかの変化を赦してしまった。―――言動の殆どが不穏当且つ身勝手極まりないものであるのに、その反対側では、聞きようによっては微笑ましいばかりの響きを宿して届ける。
 他愛ない。
 それは自分へと向ける彼の心の在りよう。その柔らかさを抱え込めないほど与えられた。
 その所為で。
「―――骸」
「何ですか」
 昔と違って物怖じしない自分が気に入らないとでもいうようにその左右色違いの眦が厳しく吊り上がる。瞳が眇められ、きつく睨まれた。けれどその根本となる理由は上記の通りわかるので、敢えて自分は気付かないふりをする。しても、多分男が本気では怒らないとわかっているのもまた享受した変化の一つ。
 なので男の不機嫌な様子に、綱吉は素知らぬ顔で罰という名の一つの命令を下すことにした。
 曰く。

「骸は明日は本部から出ないように。自由行動、全面禁止」

 聞いて、男の瞳が微かに揺れた。
 しかしそれも一瞬。すぐに元に戻る。眉間にはまた一本皺が刻み込まれる。さして面白くもなさそうに唇の端が歪む。
「は、知りませんね。あなたの言うことなんて知りません。僕は僕の好きなように……」
「それで、オレの補佐をするように。―――明日一日」
「……………」
 黙りこくる姿にもう一言、追記するように微笑んで告げる。
 追加のように―――微笑んで。


「雲雀さんは上海」


「……、…………、」
 自分勝手にとうとうと開きかけていた男の唇がそこでぴたりと止まり、それから中途半端に閉じる。一、二度、それからもごもごとどう開けばいいのかわからぬように、頼りなげにちいさく唇は震えた。
「ボンゴ……いえ、綱吉くん、それは……」
 何をどう言って良いものか、取るべきか。
 珍しく深く戸惑いみせるその姿に笑みは自然と深まった。それに、それからあともう一つ罰があるんだけど。と、言い置いて。
 おいでおいでと男に向かって軽く手招きをする。すると不審そうな光を湛えながら少しばかりまごついた後、男は素直に自分の近くへと近寄ってき、「…何、ですか?」執務机を挟んで自分からの言葉を怪訝と待つ。その何気ない、けれど男の普段の振る舞いを知る者が見たら驚愕と共に「有り得ない!」と激しく大きな声で叫んでしまいそうなその従順さ、昔では到底考えられなかった微笑ましさに。
(親馬鹿って意味をかなり今痛感するかも)
 ただもう、それでも。
 自分はそれが嬉しいのだと、変化を受け止めた今ではそれはもう認めざるを得ない状態なわけで。
 確信的にそれを紡ぎ、微笑んで手を伸ばす。
「そんなね、どこかの誰かさんたちみたいに迷惑顧みず暴力を振るって、無駄に被害ばっかり増やすのって確かにオレもどうかと思うけど」
「…………」
 指先に宿る、微弱な熱。驚き、見開かれた瞳はまるで不意打ちを食らった子供のそれだ。複数形で口にした叱責に男の身に動揺が走る。頬に触れていた所為ですぐにわかって堪えきれず小さく笑う。ああもう、と声には出さずもどかしく胸の内だけでとある名のつく熱を吐き出した。
(そんなに叱られるのが嫌なら最初からしなきゃいいのに)
 思うも、それが出来たら人はこうも揺れたりはしないのだろう―――それはきっと、そんなふうな両極端なものを時に同じにみせてしまう不思議さを宿し持つものなのだ。
 だから自分も叱っているのにどこか甘い、ちゃんと叱れているのかどうかすら実に怪しい緩めの処分を言い渡してしまうのだろう。
 末期だなあと思う。思う、けれど、とても冷静でなどいられない。いられるはずもない。この触れた熱を辿って、ざわざわと胸にざわつかせるものが自分の気持ちをなぞるようにして甘いと認知できる限り。
 結局のところ自分は、そのわかりやすい嫉妬が導いた、傍迷惑な男の感情の揺れを許してしまうのだ。
 手に余る全てに、そんな一言で説明をつけて。




「とりあえず―――嫌いになったりはしないから明日その件の報告書、提出して」



 それからオレの補佐、一日してね。
 言って、その両極端な、それでも一本に繋がる想いの在り処に、ゆっくりと笑い、もう一つオマケの罰をその頬を小さくつまんで、珍しく困惑しきりで目を白黒させる男へと静かに与えた。






 眼差しは、未だその言葉以上の意味に気付いた様子もない。

fin.



(……甘やかしすぎかなあ)


07/06/17

原稿を上げろというのに書きかけだったツナむく創作を突発的に上げてみました。
自分のあと二週間後の締め切りの切羽詰り具合が今からもう垣間見えるかのようです。
内容は甘くしたいのだかどうしたいのだかよくわからないかと思いますが、
いや、まあ、ツナが「ああ、気付けば落ちゃってたなあ、くそー!」と、

それを嬉しく思ったり悔しく受け止めたり意地を張ってみたり。
そんな恋のおはなし。


そして骸さんは、まさかと思ってるのでまだ当分自力では気付けない。


(笑うところ)