そう思ったからこそ。




―――生と死と幸福

(10年後マフィア/シリアス)



 そもそもそれを一体どこまで本気として受け止めるべきか、非常に迷う……というより、 俄然はりきって冗談として受け流したいのが自分としての間違うことなき心情であり本音であるのだが、いかんせん、本人は至って大真面目に、制止しなければいつまで経っても俗に愛の言葉というべきものを自分に向けて囁き続けてくれるのである。性別という概念がないのかと恐怖に駆られて叫べば、君が女性でしたらもっと話は簡単だったんですけどねと朗らかに、なにやらとても話がややこしく、更に物騒になり兼ねない言をさらりと吐かれて微笑まれた。恐ろしすぎて深くは追究できなかった。
(お前、俺のことボスだっていう認識はどこにやったんだ……)
 寧ろどこに落としてきたのだと尋ねたい。
 まず言うことは聞かない。(いつものことだが)
 次いで好き勝手はし放題。(主に自分に向けてなのが問題だ)
 更には無茶を無茶とも思わぬ、その豪快な仕事への取り組み方。(事後処理を増やしてくれるな)
 ……時々その自由気ままな奔放さは雲の守護者のそれと大して変わらないんじゃ……と、 頭痛の種を何個も何個も撒き散らしてくれる霧の守護者―――そんな六道骸の性質に10年経っても未だ悩まされ続ける自分の立場というものをツナは時折空しく思うときがある。
(ああ、でも霧と雲ってなんか似てるもんなあ)
 双方ともに揃って自分勝手に浮遊してる、そんなところが特に。
 当人たちが聞いたならば、得意の暗殺武器を用いて剣呑と発言の撤回と訂正を要求してきそうなことをごく自然に、何気なく思いながら、深い溜め息を零して階下を歩く。まあ、そんなこんなで無駄に事後処理を増やしてくれる困った部下ではあるが、悪い奴ではないのは確かなのだ。昔は色々あったけれど、現状、それだけはボスとして見誤ってはならない。
(家族…なんだし)
「入るよ、骸」
 コンコンと軽めのノックを二回。
 返事は待たず、それだけしてドアを開けた。
 一応鍵というものが各部屋ごとについていることはいるのだが、この部屋の住人はあまりプライベートに関して大した頓着をもっていないらしく、大抵がこんな感じにアッサリと扉は開け放たれる。今日という日もまた例外なく簡単に開いたのがその良い証拠だ。
(無用心な奴だよほんと)
 元々の本質が霧であるからか、確かに鍵があろうがなかろうが骸のプライベートについては未だ謎が多く、ツナ自身もあまり知るところではないのだが、それでもがちゃりとドアを開け放てば、無頓着・無防備にも程がある景気の良さでソファに堂々横たわるその姿には思わず瞬間に肩を落として思いきり心の底から脱力させられた。
「わかってた……わかってたよ……お前がそういう奴だってことくらいはさ………」
 がっくりと開け放ったドアに傾斜した肩をぶつけ、引き攣った笑みを頬に浮かべる。やがて最初の落胆が過ぎれば今度は次第にふつふつとした怒りが内に込み上げてきた。
「……っ、お前は!」
 つかつかと遠慮なしに大きな足音を立て、ソファのそばへと歩み寄る。背もたれから覗き込むとこれみよがしに放り出した足の長さに怒りとはまた別の、複雑に入り乱れた感情がちらりと胸を過ぎっていきはしたが、いや、今はそんなことはいいのだ。
 今はそんなことより。
「…………馬鹿だろう、お前は」
 眼下にて目蓋を落とすその静かな面に、どうしようもない怒りと、もはや諦観の念しか浮かばせないでいる現状への呟きがふと空しく零れ落ちた。けれどそれはしようがない。傷一つない顔で飄々と眠る姿に、何故なら、今、自分は何の安堵も覚えないのだから。
(だってこいつ、生きて、帰ってきただけだ)
 呼気すら忍ばせた静寂の中で、そのまま本当に誰に知られることもなく息を引き取ってしまうのではないかと――――そんな寒々しい錯覚を覚えさせるほど、凪いだ骸の身体は、ボンゴレ直属の医療班の報告によれば、まさにそんな懸念が今この瞬間に実現してもおかしくはない程の非常に危うい状態であるのだという。一刻も早く正規の治療を、というのが昨晩電話越しで自分へとのぼってきた大まかな現状報告だった。
 自分の命じた任務の後、そんな状態で猫のようにふらりと骸が姿を消して約半日。
 つまりは一晩。
 方々手を尽くして捜させて、やっとその消息が判明したと思ったら本部の自室へとちゃっかりひっそり人知れず戻ってきていたのだというから、もう笑うしかない。
 けれどそんなくだらないオチ付でも、ようやく本人との対面だとそれなりの覚悟と緊張を以って自分はこのドアを開けたのだ。そうしたならば、
(これだよ)
 重症を負っているはずの当の本人はこっちの気も知らず、悠々と寝ているのである。誰もが羨むであろう整った容姿と長い手足を惜しげもなくさらして。
 まったく自由気ままにも程がある。
「人がどれだけ心配したと思ってんだ」
 否、今だってそれはしている。していないわけがない。怒鳴りつけて殴りつけて(今生きてるなら多少のことをしても大丈夫だ)、首根っこ引っ掴んででも医師にもう一度診てもらい 、それでもまだ姿を消す素振りを見せようものなら、後のことなど知ったことか。病室のベッドに直に括り付けてでも逃亡を阻止してやる! との、実に固い決意を以って自分はこのドアを開けたのだ。
 無茶ばかり―――……本当に、無茶ばかりをする、お前は困った部下だから。


「骸」


 だけれど悪い奴ではない。
 まあ全部が全部、良い奴というわけでもないのだが、けれど決して悪いばかりの奴ではないのだ。
 それを自分は知っている。
 誰よりも、知っている。
 だから。


「心配した。本当に、すごく、心配したんだ」
 苦い薬を呑み込むようにして気持ちを胸に滴り落とせば、途端に堰き止めていた感情が一気に溢れ出して身体の芯をぎゅっと握り締めるように締め付けた。心が掴まれる。
「………死んでるんじゃないかって……思ってた」
 淡い影を落とす前髪へとそっと触れ、それを軽く横に払って現れた額につと指を這わす。すると指先から伝わる体温は常人のそれとは随分違い、ひどく心許無いもので、いっそ頼りなげと言っても過言ではない冷たさを宿していた。額からは血の気が失せ、いつも以上に白く、まるで血が通っていないのではないかとさえ思わされる。そんな儚さがそこには確かに浮き上がっていた 。
 だが―――そんなことすらも、納得する材料になるのだコイツの場合。
 たとえば、仮に、もしも本当に死ぬとき。


「だってさ」


 それは「俺」であっても。


「お前、自分の死ぬとこ、誰かに見せるの嫌だろう?」


 だから任務で重症を負って消えたという報告を受けたとき、心のどこかで漠然と、このままお前は帰って来ないのだと思っていた。このまま帰らず、姿を消して、一人静かに世界の底へと堕ち、またお前にだけ背負わされた重い輪廻の果てを人知れず巡るのだと。
 ずっとそう思っていた。
 たとえその死の間際、そこに自分がいなくても。


「お前はきっと、独りを選ぶんだって」


 そう、思っていた。
 そうやって、自分の知らないところで、知らないとき、知らぬ間に手の内から零れゆく生命の、あまりにも軽いその扱いに、そして俺は恥も外聞もかなぐり捨てて、目の前の認められない現実へとみっともなく取り乱しながら信じないと何度も何度も喚き叫ぶのだろうと――――ああ、本当にずっとそう思っていたんだ。
 白い額を、思いながら今度はゆっくりと手のひらで覆い、そこに籠もる微弱な熱を静かに手繰り寄せて少しでもそんな自分の内に仕舞い込んだ気持ちがこの困った部下に伝わればいいと本気で願う。
 骸、と。
 そうして手のひらの下の熱にもう一度その名を呼ぶ。
 本当はこんな悠長なことをしている場合ではない。暇もない。
 一刻も早くこの身柄を治療班へと引き渡し、治療してもらわなければならない。けれどそんな冷静に判断を下す気持ちとは相反するところで、ここで一旦離れてしまえば今度という今度こそ、本当にこの手の内から「骸」という名の生命が失われてしまいそうで、怖くて、ここからどこに行く気にもなれなかった。
「骸。骸、なあ……お前はここにいるよ。ここにいるんだ。だから死なないよ。お前はきっと死なない」
(だって独りじゃないんだから)
 祈るようにして小さく呟けば、
「…………、……」
 不意に。まるで息を吹き返すかのように今まで微動だにしなかった額が、急に手のひらの下で動きをみせた。
 唇が、動く。
「……つな、よし…くん?」
 瞠目する先で弱々しくもはっきりとした声が続き、直後、ふっと水面から顔を覗かせるように静かにその両瞳が見開かれた。
 左右色違いの両目がそのまま迷うことなく真っすぐツナを射抜く。その頬にぽつりとたった今落ちたばかりの一滴の雫を乗せて。
「綱吉君…? ……どうして、泣いてるんですか?」
「……っ!」
 あまりのことにすぐには声がでなかった。
 けれど声にし、言葉にしなければ、コイツには結局のところ何も伝わらないのだ。熱く詰まる咽喉を無理やり抉じ開け、肺を新しい空気でめいっぱい満たす。それから、
「お前が…今世紀最大の大馬鹿野郎だからに決まってるだろっ?!」
 拳を強く握り締め、これ以上ないほどの怒気を込め、激しく怒鳴った。
「………。起き抜け早々になんだか酷い云われようですね」
「当たり前だ、この馬鹿!!」
 やがてそれだけではないその他諸々の余罪を叱責に変えて、八つ当たりにも近い怒声を止まることなく言い放つも、けれどその叱られている真っ最中だというのに、骸は白い顔に綺麗な微笑を浮かべたまま殊の外嬉しそうに瞳を細めてみせた。のろのろとソファに放り出していた腕が宙を彷徨い、そっとツナの罵詈雑言の間を縫うようにして眦にあった涙を指先で丁寧に拭う。
 そうして。
「死んだのかと、思いました」
「―――――」
 あっけなく。
 それはあまりにもあっけなく告げられた、ここにはない、もう一つの未来だった。
 笑いながら軽々しくそんなことを言うものだから、瞬間、カッと身の内を焦がす憤然とした怒りにツナはどうしようもなく目の前が真っ赤に染まってゆくのを感じた。何故ならそれは、こんな無茶をしたら自分の身がどうなるか、よくわかっていたと堂々宣言するようなものだったからだ。
「お前っ……!」
 けれどそんな怒号をまたもあっさりと無視して。
「せっかく、初めて生きようとここまで足掻いて来たのに……あなたがあんまりやさしいので、もう死んでしまったのかと思って今の今まで落胆してたところです。こんなにもぬるい現実、生きてるうちにはなかなか望めませんから」
 そうはっきりと言い切る骸に今度はハッとその目を見張った。
 すぐには二の句を継げられず、息を呑んだまま返すべき言葉をしばし見失う。
 そんなツナを骸は静かに見返し――――やがて、



「倖せです。だから死にたくありません、綱吉君」



 飄々と「助けて下さい」と半日もかかってようやく告げる、その懇願とは到底思えぬ救いを求める声と、気付けば額にあった手をまるで当然のようにして引き寄せ、そこに口づけて微笑む骸を、その後、誰が死なせるものかと声の限りを尽くして怒鳴り、子供の悪戯を前にしたように大いに叱りつけた。



はい、と短く返ったその素直な声に、半日ぶりの安堵の吐息を吐き出せたのはそれら全てが終わってからのことだった。


fin.








06/12/12(には終わってたんですが)
06/12/24にアップ。
■愛しい■「お題:あなたがあんまりやさしいので」
(配布・フルッタジャッポネーセ様)

「空には、」の対になるような10年後マフィア話。
あっちはツナが重症人でこっちは骸が重症人の話。
出来としては「空に、」のほうが良いかな…? と思いますが、
どうだろう……シメ方ちょっと手を抜いたので。

しかしこの話の構想メモで最初のほうに「10年後。捕まってしまった」って
打ってあった んですけど……名残があるようなないような。
しかも捕まってないというか多分これから絆されて絡め取られてしまうだろうな
って、思います。(言わんでいいことを……)


リボでのリンクの報告(初めてだった!)お礼に、人様に贈らせて頂きました。