――深い傷跡と不可解な軌跡

(ヒバツナ/シリアス)




 今にして思えば並中の屋上がきっと彼はお気に入りだったのだ。
 平生はとてもただの学生とは思えぬ、常識的にみても明らかにおかしいそんな待遇ばかりを受け、当たり前のように学校の応接室を私物化しながら―――
 それでもきっと。



 ―――綱吉、そこ、邪魔だよ。



(雲雀さんは、本当は)
 部屋と名のつく閉じた場所ではなく、開け放たれた広い空間が好きだったのではないだろうかと、今にしてそう綱吉は思うのだ。
 たとえばこの屋上のような、彼にとっての「世界」が広々と一望できるそんな場所が。
 彼、雲雀恭弥は好きだったのではないだろうかと。
(……最後に居たの、どこだったかな)
 鉄筋コンクリートの固い地面をわざと靴底を当て、大袈裟に踏み鳴らしながら歩いていく。自分で歩いたその道筋をそのまましかと心に刻み込むように。或いは、今頃になってそんなことをしている自身の愚かさを、深くこの身に刻み付けたかったのかもしれない。
(まあ、別にいいんだけど)
 どっちでもいい。どっちにしろ、ここであったことがけして変わるわけでも、なくなるわけでもないのだから。
 カツカツと硬質な足音がいやに甲高く耳に響く。自分でしておきながらそれにふと首を傾げた。
 通りが良過ぎる。
 しかしそう思ったのも束の間。
(……あぁ、そっか。今日、部活、どこもしてないんだっけ)
 野球部もサッカー部もテニス部も柔道部も剣道部も。
 およそ部活動と名のつくものすべて、中間試験という学生の本分を前にして現在自動的に休みに入らされている。
 普段放課後。
 そうやってすることが決まっている者たちほど、それらを取り上げられてしまえば、単純化した自由のなか、提示された通り素直に帰途につくか、或いは仲間同士つるんでどこかへ遊びに行くか―――思い浮かぶ選択肢は大概そんなもの。
 子供だとか、未成年だとか、学生だとか。
 制約された肩書きの上で思いつくものなど数少なく、選べることも、そして所詮その程度のもの。
「はあ……」
 なのに、そんな身の上でありながら、自分は今一人屋上にいる。
 それは部の制約を受けない、つまりは年中休みだらけの帰宅部だからという気楽さで、尚且つ、遊びに誘ってくれそうな友人たちとはここのところクラスのHR終了が互いに早かったり遅かったりとうまくタイミングが合わず、その食い違いから、自分の方が早い場合はもうそのまま先に帰るようにしていて、今日はたまたまその早い方だったからだ。
 彼らを待っていても別に自分は一向に構わないのだが、そうすると友人の一人がひどく恐縮するので、今では暗黙の了解として、早ければ先に帰る、といったそんな取り決めが自然と出来上がっている。
 だから先に帰るはずの予定を変えて自分がここにいることを、もうとっくにどのクラスのHRも終了しているだろうから、まさか友人たちの誰も思ってはいまい。今頃帰宅して、テスト勉強の一つでもしている頃と思われているかもしれない。
 去年と違って、今年の自分たちは一応これでも受験生だ。
(若干一名、勉強しなくても平気なひとはいるけど)
 だからこそ―――綱吉がここにいるとわかったら、きっとそれを何より優先して動いてくれるであろう友人に、あまり変な気遣いだけはさせたくなかった。
 これは自分の、言うなれば単なる私用でしかないのだから。何かをしてもらうようなことは何もない。
「前なら、それでも絶対一人で、とか認めてくれなかったんだろうな」
 斜めに空を仰ぎ、駄目人間の代表のようであった以前の自分を思い出し、それもそうだろうと苦笑いを深める。
 昔と違って、今では四六時中守って貰わなくても大丈夫なようになった。平気だよと、言えるようになった。
 この変わりよう。
 マフィアだのボスだの散々言われ、日々怯えながら過ごしていたのがまるで嘘のようだ。
 実際にはまだそれほど昔のことでもないというのに。
 時間とは、これほどまでに人を変えてゆくものなのか。
 その事実をリアルに実感して、感慨深く綱吉はそれを思う。
「……でも」
 空を見つめた。
(雲雀さんは、オレがどんなになっても変わらなかった。貴方は、最初から、最後まで、最初の時のままだったんだ)
 思いながら、今はもうここにはいない人間を、心の中でひっそりと呼びかける。そんな変わらない彼が、この学校を去る、その最後に立っていた場所に一人佇んで。
 そのまま静かにコンクリートの地面を見つめた。
 雲雀恭弥。
 この名を告げるとこの学校の大半の者が、教師を含めて何か空恐ろしいものでも見たかのようにその身を大きく震わせ、表情を凍らせる。
 怯えではなくその身を震わせるのは、きっとおそらく、綱吉や綱吉に関わりのあった友人、知人くらいのものだろう。恐れよりも、怒りでその身を震わせることのほうが断然に多かった。
 そして全く震えないのは、そんな誰もが戦慄を覚える数々の大胆不敵でありえない自分ルールの所業を、一度もその眼にしたことのない、都市伝説か何かかという程度の噂話でしか「彼」を知らない、今年の新入生たちくらいのものだろう。おめでとうと心の底から言ってやりたい。
(おめでとう、君たちはきっとすこぶる健全で、すこぶる普通の、当たり前で、期待通りの学生生活が送れるよ。誰かと喧嘩したり、誰かと笑い合ったり、悩んだり、泣いたり、嘆いたりして……それでいつか、誰かを……好きになったり)
 そんな、ごく普通の当たり前の学校生活。
 なんて平和なスクールライフだろうと、もし泣いてる子がいたら慰めついでに「彼」が在学中に自分へと成した一番最悪で一番凶悪だった行為の一つでも語り聞かせてあげようと思う。きっと少しは笑ってくれるはずだ。それ何かの冗談ですか、そんな嘘言わないで下さいとかなんとか言って。
 本当だよと、いくらその事実を主張しても、きっとそれは信じてもらえないだろう。
 そんなことなのだ。そんなことばかりだった。
 彼が在学中したことは。
 すべて。
「雲雀さん」
 ……あの人は本当に並中の影というより表立っての中心人物だった。なのに何故か風紀委員長。
 普通そういうときはセオリーでいくならば生徒会長とかだろうに。
 けれど悪く言えば裏番長でもあったから、それはそれでそこが彼の納まりの良い定位置で、ベストポジションだったのかもしれない。何を思って風紀委員に固執していたのか、未だもって綱吉には理解不能だし、真相など何一つとして掴めぬことであるが。
 雲雀恭弥―――あの人は、本当にわからないことだらけな存在だった。それだけはもう理解しているし、知っている。
 突然暴力を振るわれたこともあったし、無理矢理な論理と強引な極論で、こっちの言い分などまるで聞く耳持たず、止めたら止めたでまた理由もなく理不尽極まりない暴力を振るわれ、そうかと思えば、何の気まぐれか、窮地に陥った自分のことを時折助けてくれもした。
(多分助けたって自覚はないんだろうけど)
 ……そんな気がひしとする。
 だがそんなことはいい。
そんなことはまだ瑣末な出来事だ。
「オレが本当にわからないことはですね、雲雀さん」
 地上では、桜の舞う季節だった。
 三月。
世間一般で言うところの卒業シーズン。
あんなとんでもない人でもやはり卒業するのだと、卒業証書を受け取る際に彼が壇上へとその姿を現したとき、綱吉は在学中における一番大きな衝撃をそのとき確かに受けた。
 卒業式が近づくにつれ、周囲がその準備に浮き足立ち、忙しく日々を回す最中でも……綱吉は彼が卒業するという実感が実に乏しく、まるでふつとも湧かなかったというのに。
(だってあの雲雀さんだよ?)
 いつだって校内を堂々と闊歩していた。
 そんな彼が、そこから巣立つ為に壇上にあがる。
 当然のように、当然のような顔をして。
(ありえないよ)
 幾度も思った。
 だが事実、彼はそこにいた。
 そして俄かに緊張し始めた教師陣に見守られ、薄っぺらい一枚の紙片を手に、ごくごく普通に卒業の認定を受けて、壇上を降りた。
 正直、まだ卒業しないんじゃないのかとさえ思っていた自分の予想はその時ものの見事に外れ、なんでそんなことを考えたのやらと今となっては不思議に思うことなのだが、型破りで常識外れ、モラルというモラルを平気で蹴倒してゆくような人間だったから、彼の毒気にもしかしたら知らず知らずのうちに当時の自分は中(あ)てられて、侵されていたのかもしれない。でなければ普通そんなことは考えない。そしてだからこそ、そんな彼から解放された今、この心を自分はやや持て余しているのだろうと思う。
 いくら考えたとしても理解できるはずがなかった。
 世間一般の常識というものを、細々と、それでもそれなりに平和に培ってきた平凡な人間としては。
 あんなもの、理解してはいけないのだ。認めるわけにはいかない。認めていいわけがない。
 もし、仮に、そんなことになったら……
「……破滅だ。そんなの、オレの人生、この先真っ逆様の混沌だよ」
 だから理解してはいけない。
 理解できると思ってもいけない。
 だけど、でも、あぁ、何故だろう―――気付けば考えてしまう。
考えまい、到底理解不能とその意思を貫こうとしているその矢先から。
 それは最後に彼があんなことをしてきたからか。



(―――綱吉、)



 ……三月。
 彼の卒業の日。
 色々とあったが礼の一つでも言おうとその姿を探し、ふと思いついて屋上へと向かった。そこに確かに彼はいて、黙って一人、静かに空を眺めていた。その背中が珍しく寂しそうに見え、そう思えてしまったからこそ、ついうっかりと、迂闊にもそんなのは気のせいだと綱吉は彼の前へと進み出てしまったのだ。
 前に出てみれば、きっと彼はいつもの不遜な眼差しで自分のことをきつく睨み付けてくるだろうとそんな他愛もない予想をして。
 そしてそれに間違いはなかった。―――なかったけれど、邪魔だよと言って、咬み付くように引き寄せられたのはまさに想定外の、あっという間の一瞬の出来事で。
 はっ? とか、へっ? とか間の抜けた声を洩らしながら、目を白黒させている内に、今度は呼吸までもが気付けば勝手に奪われていた。
 何の前触れもなかった。突然のことだった。驚天動地とはまさにこのことだ。
何で雲雀さんの顔がこんなに近くにあるんだろうと呆気に取られているうちに、別に夢見る少女ではないけれど、自分にとって生涯ただ一度きりのファーストキスなるものはわけのわからぬ混乱と衝撃の中であえなく終わり、呼吸困難で死ぬかというような命からがらなオチ付きばかりがあとにはつき、



(……な、な、ななっ何を……っ、雲雀さん!?)



 やっとのことで解放してくれたあと、驚いて身を引いた自分に、彼は相も変わらずいつものつまらなさそうな調子で、
「…綱吉が前にくるからだよ」
 と、なにやら理由めいたものを殊更無表情で告げて、それだけでもう用は済んだとばかりにフイとその顔を自分から逸らした。
 黙り込んだ足元には、いつも付けてあった風紀委員の腕章が外され、鉄筋コンクリートの上に無造作に放り投げられていた。
 それは彼がこの学校を影で支配し、乱暴に守っていた、その大切な証とも呼べるものだった。
 ……思い出など、きっと持ってゆかない人だと思っていた。
 多分、彼はそういった感傷めいたものを引き摺ってゆくような人ではないのだろうと。
 実際、その通り、彼はほぼ毎日、年がら年中付けていた腕章をそのまま拾いもせず、立ち尽くして言葉もない綱吉をちらりと最後に一瞥して、この学校を卒業という名のもとに静かに去っていった。綱吉の足元に、そのまま放置しておくわけにもいかぬ、だがしかしかといって彼以外の一体誰が付けるのだという持ち主不在の腕章――、そして嵐のように過ぎ去って終わった、罪深いその行為を何かの傷跡のように残して。
 それから、四月、五月、六月と過ぎ。
 一学年繰り上がって夏休み前の中間試験を控えた自分に、そんな彼が新しく入学した高校で相変わらず風紀委員に属しているとの風の噂が届けられた。
 一体全体、何がやりたかったのかよくわからない人であったが、どこにいようとまるで変わらない人だということは、それを聞いたとき、何故だか無性に笑い出したくなりながら、綱吉は改めて彼に対しての認識というものを深めるに至った。
 けれど、せいぜいがその程度。
 だから否が応にも思い出されてしまうのかもしれない。
 三月のあの日。
 桜の花びら、その一枚すら、飛んでこない屋上をこの学校との別れの場として選んだ彼が、最後に見せた、その横顔が。
「どうしてくれるんですか、本当にまったく……最後の最後でって……しかもあんな置き土産までしてくれちゃって」
 三ヶ月経って彼の軌跡をひそりと辿る。
 それはこの思い出とともに、ひどく今更なことなのかもしれない。けれど傷跡がカサブタを作ってから綺麗に治るように。
 あの腕章はやはり彼以外の誰にも似合わず、彼のものだと知っている自分は、押し付けられた感傷と若干の苦い後悔を胸に、そう遠くない日、十中八九、来るのが遅いだの何だのと、実に勝手な言葉を押し並べ、平然と罵る彼に力いっぱい殴られながらも、それでものこのこと会いにゆくのだろう。
「……ああもう、理不尽だよほんと」







 三月のあの日、
 あの意地っ張りな横顔へと、彼だけの腕章と応え損ねた言葉を届けに。


fin.









06/12/10
06/12/12(修正・加筆済み)
08/09/23(オフ収録にあたって修正加筆二回目)
08/10/08(ラストにもっかい)

■ひとりぼっち■「お題:さみしいとは言えない」
(配布:フルッタジャッポネーセ様)

言えないというより、言わない人のような気も。
意地っ張りな雲雀さんとその自分勝手さに結局いいように
巻き込まれて観念するツナの話でした。

でもってヒバツナ習作。
…のわりに人様に進呈してみた勇気ある一作。(全くだ)