ひとは思考する。 永遠に、延々と。


White color



「 雨の日の選択 * 蘭丸×春歌 」(恋愛ED後)


 失敗した、と気付くのは大抵それに直面したときか、概ね事態が終わってからのことだ。
 後悔するのとよく似ている。
 もはや打つ手もなく、どうしようもない。
「ったく、失敗した」
 薄暗さをまるでヴェールのように押し広げる空を、赤い天幕を張った狭い軒下で舌打ちを零しながら憮然と見上げる。
 視界のなかで忙しなく斜めに落ちてくる透明な雫。
 天気予報は、確かに夕方から降水確率40%という数値を叩き出していた。
 40%――結構な高確率だ。けれどそれを自分は「ま、大丈夫だろう」と適当に思考の隅へと追いやった。馴染みの洋食店、キッチンパセリから自宅まではおよそ二駅ほどの距離。急げばさほど時間のかかる距離ではない。それに、夕方になる前には移動する予定だった。だから大丈夫だとタカを括ってしまったのだが、そんな自分の過信を見抜き、或いは嘲笑うかのように残り60%の確率を押しのけて雨は夕方になるよりも前に突然降り始めてきた。しかもキッチンパセリを出て半分ほど過ぎた辺りでだ。間の悪いことこの上ない。
 おかげで帰る途中で急遽予定になかった雨宿りをしている。
 完全に失敗した。
(素直にばばあの申し出受けて、カサ借りていきゃ良かったな)
 雨もまだ降っていない空の下、わざわざ借りてゆくのも悪いと思い、カサは遠慮して置いてきてしまった。悪いこととは本当に重なるものだ。




「 花咲く前の、キミのこと *藍×春歌 」(非パートナー)


 けっして女性らしくないというわけではない。寧ろ見た目だけで言えば、七海春歌、彼女は充分女性らしい人物といえる。
 大分そそっかしく、そして大分人見知りのきらいもあるけれど、それでも女性らしい見た目とともにふんわりと漂うその穏やかな空気に癒され、和まされている者は藍が知る限りわりに多いと思う。
 まずシャイニング早乙女学園での級友たち。
 彼らは一様に彼女の才能もまた強く認めている。来年の三月の歌謡祭にて成果を出さねばデビューできないと知り、心配や励ましの声を次々に掛けてきたのは記憶に新しい。藍も横目にそのやり取りを見ていた。
 相対するその一人一人に少女は微笑んで応えていた。
 人見知りのくせに、がんばりますと実に前向きな言葉を添えて。どうやら内輪の人間であるなら萎縮せずに応対できるらしい。それに大体の人間が逆に励まされていたように思う。
(ショウなんか特にね)
 わかりやすくやる気を出していた。
(普段から熱いのに、あれ以上熱くなってどうするんだが)
 そんな級友たち以外で、近頃ではカルテットナイトのメンバーたちもその心を開きつつある。元々好意的であったレイジを除き、言葉尻もきつく、噛み付くように対応していたランマルの軟化した態度や、尊大な物言いでありながらも徐々に一人の人間として尊重する発言の増えてきたカミュ。二人とも自分の当初の予想にはなかった興味深い変化を見せ始めている。
 それを言えば、リンゴからは自分もまたそんな変化を辿っているうちの一人だと笑いながら言われたのだが、自分にそんな自覚はあまりない。寧ろ自分からしてみればまだまだ少女には物申したいことが多い。自己主張をもう少しきちんとし、声を大きく発していればデビュー一つにここまで追い込まれるようなこともなかっただろうにと思うのだ。
 まったく不器用にも程がある。




「 変化の兆し *藍+翔+那月 」(パートナー)


 マリンゼリー、というらしい。
 普段から飲食など滅多にせず、たとえ誰かに差し入れされたとしても「ボクはいい」と、すげなく断り、それがさも当然という顔で厚意をスルーする美風藍が、何の気まぐれか、突然映画スタッフや自分たちへと差し入れてきた青色の綺麗なそのデザートは。
「あれぇ〜? 翔ちゃん、どうしたんですか、ポカンとして」
「え、いや、だって……なあ?」
 そんな奇特な状況を前に、一体何が起こったと現状確認に走りたくなったとしてもなんら不思議なことではないだろう。そのくらいありえない事態なのだ、これは。ビックリした程度では到底片付けられない。
 翔の知る「美風藍」という人物は、まず差し入れなんて気の利いたものは思いつかないし、仮に思いついたとしてもわざわざ実行に移そうとするような人情味の溢れた人物ではない。絶対にない。天地が引っくり返ってもそれはないはず――だったのだが。
「あ、りえねぇ……」
 しかしそのありえなかったはずのことが、いま現実に目の前で起こっている。まじまじと眼下のゼリーを見つめ、
「はっ! これはもしかして何らかの罠……!?」
「なわけないでしょ。なに、ショウ、いらないんだったらナツキに全部食べてもらうよ」
 冷たい声が背後からぴしゃりと放たれる。と、同時に目の前のゼリーがあっという間に取り上げられ、そのまま軽やかに宙を渡って向かいの席へと置かれる。
「はい、ナツキ。ショウはいらないみたいだからこれ二つとも食べていいよ」
「わーい、翔ちゃん、ありがとう〜!」
「お、おい、ちょっ、待てよ!」
 そんなことこれっぽっちも言ってねーだろうが! 言いながら向かいに座る那月へとその手を伸ばす。だがそんな必死の制止も空しく、大柄なその身を丸めて青いゼリーは瞬く間に攫われてしまった。




「 永遠に追い求めるもの *藍×春歌 」(恋愛ED後)


「春歌」
「は、はい?」
 何でしょう。困惑に続く一言は実に簡素なものだった。淡々とした声で「消して」との言葉が届く。
「えっ」
 春歌は瞳を瞬かせた。何を言われたのか、すぐにはわからなかったのだ。
「え、ええと、あの、先輩……消して、とは?」
「消して。それ。ボクのメール」
「………………」
 言葉の意味が脳に行き着き、理解するまでおそらく十秒ほど。
 それを早いとみるか遅いとみるか――わからないけれど――春歌にとってみたら十秒ほどで思考が再起動できたのはわりに早いと言え、感動しえるものだった。まあそれが歓迎すべきことであったのなら、だが。
「い、嫌です……!」
 突然の要望に、ぶんと大きく首を振って否と答える。理解して即座にそう断固拒否した。しかし相手も相手で怯まない。こちらの拒絶を一向に気にすることなく、
「消、し、て」
 届く声音が、更に一段と低くなった。こわい。いつもの耳に心地よいばかりの彼の声ではない。こんなふうに無機質な声を聞くのは実に久しぶりのことだ。出会った当初は確かにこんなふうだった。取りつくしまもなければ、躊躇いもない。実直すぎるほどに実直なストレートすぎる言葉に何度へこまされたことか。
あの頃はこれが藍の通常稼働だった。思い出して思わず青ざめる春歌だったが、しかしいくら愛する恋人の要望でもきけないものはきけない。
「い、いくら先輩のお願いでもこれはだめです……っ」
「なんで? だってボクの出したメールでしょ。出した本人が消してって言ってるのに、それを春歌は拒むの?」
「そ……それは、その、大変申し訳ないとは思いますが……」
 追い詰められる空気に声が尻すぼみに小さくなってゆく。ずいっと藍が身を乗り出して言ってくるから余計にだ。追い込まれ、うまく反論ができない。うう、と情けない声ばかりが洩れる。
 そんな困り果てた春歌を、藍より遅れてラボから出てきた博士が目を丸くして見つめる。
「あれ、どうしたの?」
 一体何の騒ぎ? 訊きながらもソファーで固まる春歌とそこに迫る藍の姿を見て、すぐに緩い笑みを浮かべる。
「藍〜、いくらなんでも人の職場で彼女を襲うのは一般的にみても、道徳的にみても、あんまり良くな」
「外野は黙っててくれる」
 ぴしゃりと告げる冷たい眼差しに「……おっと」と、僅かにその身を引いて苦笑する。けれどおどけた表情には変化はなかった。
「やれやれ。無事目覚められたってだけでも奇跡的だっていうのに、なんだい、今度は反抗期かい? 目まぐるしいことだね」
「……茶化すのもやめてくれる」
「そんなつもりはないんだけどねえ。まあそう感じたのなら悪かった。謝るよ、ほらこの通り」
「…………」
 誠意のまるで見えない謝罪がぽんとかるく放たれる。睨む視線が一際きつくなったのはきっと春歌の気のせいではないはずだ。
「ほらほら、あんまり怖い顔していると彼女が怯えるよ、藍」
「そんなこと……」
 戸惑う声に、いつもの先輩の表情が戻ってくる。振り返って見つめてくる瞳が「そうなの?」と、まるで問いかけるようにしてそっと手向けられる。
 ああ――よかった。
(いつもの先輩だ)
 だがホッと安心し、肩の力を緩めたのも束の間。「大丈……」夫です、と答える前に、春歌、と固い声で名を呼ばれた。
 嫌な予感にびくりと肩が揺れる。
 けれどおそるおそる見上げれば、そこにあったのはにこりとした笑顔で、白い手がひらりと優雅に差し出された。手を出せ、ということだろうか。疑問符を湛えたまま、とりあえず同じように春歌もその手を出し、そのまま藍の手のひらへと自らのそれを重ねる。それだけで胸の奥があたたかくなって笑みが零れそうになったが、
「春歌」
「は、はい」
 ぐっと握られ、
「これ以上博士に絡まれたくないから、貸して。ケータイ。データ消すから」
「!?」
 そのまま引き寄せられる気配に慌てて繋げたばかりの手を払って、出来るかぎり距離を取ろうとソファーの上で後ずさる。
「だっ、だめです!」
 それだけはと脇に置いていた鞄をひしと胸に抱く。
 が。
「なるほど。そこにあるのか」
「先輩!? わ、わわわわ悪い顔してます……!」
「失礼な。それじゃボクがまるで泥棒でもしようとしてるみたいじゃない」
「泥棒はまだしてないけど、でも恐喝はしてるよね、藍」
 どっちにしろあまり褒められたことじゃない。
 のんびりと合間に入ってくる博士のツッコミに藍の眉間の皺が寄る。
「……話し合いで進めてるつもりだけど」
「その言い分は到底認められないね。そもそも今の会話のどこが話し合いなんだか」
 む、と藍の眉間に更なる皺が寄せられる。
「博士は黙ってて。ボクは春歌と話し……あっ」
 今だ、と思ったわけではない。思う間もなく、寧ろ勝手に身体が動いていた。近年稀にみる素早さだったと、あとで振り返ってみてもそのときの自分にそう賞賛の声をかけてあげたい。
 驚く藍に、おや、と遅れて博士の声が耳に届く。そのあとにも何か言っているような声があったけれど、止まって確認している暇はなかった。鞄を抱えたまま驚く二人の横を一気にすり抜ける。藍のほうを見る余裕も、その勇気もなかった。
 とりあえずデータを死守しなければ。
 あとのことは――――
(ど、どうしましょう!?)
 どうすればいいのかまるでわからないけれど、ひとまずデータを消されるのだけは嫌で足を止めることができなかった。




「 ハッピーハロウィン! *藍×春歌 」(恋愛ED後の10月)


「Trick or treat.」

 それが「ご馳走をくれないと悪戯するよ」という意味であるのは情報を検索すればすぐにわかった。他にもどういった行事で、いつ行われるかについての詳細な情報も頭の中にあった。大体の一般常識はアップデートされるたびに自分のなかに蓄積されてゆく。
 毎年十月三十一日のハロウィン行事。
 日本で生活する自分にその情報が必要であるとは到底思えなかったけれど、しかしあったところで別段に困るものでもない。
 そんなふうに受け止めていた。
 去年までは。
「ト、トリックオアトリート!」
 しかし今年の十月三十一日は、何の悪戯か、その情報を引っ張り出さねばならないようだった。
 しばし呆然と相手を見つめる。
 それから頭痛めいたものがよぎるのを感じつつ、
「……春歌」
「ト、トリックオアトリートです!」
「いや、恥ずかしいくせにそんな二度も言わなくていいから」
 見ているこっちのほうが恥ずかしくなる。恋人である少女のことは好きだ。好きだが、いかんせん、
「無防備すぎる」
「ひゃあ!」
 剥き出しになった両肩に鋭いまなざしを向けて、そばにあったシーツを掴むと頭からそのままバサリと覆い被す。上がる悲鳴は無視した。我慢しようとしても溜め息ばかりが落ちる。
「せ、先輩、あの、前が……前が見えないのですが!」
「うん。だろうね。だと思うよ」
「あああああのっ! あと、い、悪戯するのはわたしのほうだと思うんですが!?」
「却下」
 わたわたと揺れ動く場所を、わし、と遠慮なく上から掴めば更なる悲鳴が上がる。これで悪戯をするのは自分だと言うのだから呆れるしかない。





「雨の日の選択」
「花咲く前の、キミのこと」
「変化の兆し」「永遠に追い求めるもの」
「ハッピーハロウィン!」(収録)