(だって思ってること全部言っててそうなのよ? 理解できるなんて思ったら…ああ、もう! 自分のこともよくわからなくなりそうよ)



正直言ってよくわからない。





 ハートの国でただ一人の時計屋・ユリウス=モンレーは根暗で陰険で、思ったことをそのまま口にしてはフォローの一つもない、口と性格の悪さではひどく有名な男だ。
 およそ建前というものを知らないのではないかと疑い、呆れるばかりだが、そんな訝しげな疑念は滞在初日にて粗方正しい見解と共に遙か彼方へと吹き飛んでいった。
 ユリウス=モンレー。
 彼は建前を知らないのではない。
 そんなもの、知ったことかとただもう周りがどうあれ、単に本音しか口にしない男なだけだった。
(そうよね……大体初めて遭った時から普通に失礼な人だったし)
 なので訂正。
 うん、と一つ心の中で頷いて。
 本音しか言わない人だった。そう思う。
 そしておそらく彼の、アリス=リデルへの初見も未だ変わってはいまい。

「……大体食事など塔ですればいいだろう、面倒な女だ。どうして私がお前の気分に付き合ってこんな天気の良い日に外に出て行かねばならない……仕事もまだやらねばならぬというのに……面倒な………こんなことをしている暇は私には……仕事だってまだ……」

 そう、今まさに言っているように。
 仕事があるんだ仕事をしなければとぶつぶつ呟くユリウスは、その間、幾度も自分のことを面倒な女だと名指しで口にしては愚痴り続けている。


 ……。


 果てしなくうざったい。



(……面倒な女、か)
 しかしそれがユリウス=モンレーがアリス=リデルへと向けた、最初から最後までそう貫き通すつもりなのだろう見解なのだ。相変わらずコミュニケーションというものを端から蚊帳の外に置く男だと心底呆れながらも、まあ自分もそれほど人付き合いのよい方ではなく、寧ろ根暗で陰険、口も性格も悪いというのはユリウスだけに留まらず自分自身にも適用されるものであるのだから、人のことはそうあまり強くは言えない。
 素知らぬ顔で聞き流すだけだ。

(でも)

 だがしかし。
 ―――しかしである。
 スルーしようとするも、仕事、仕事、仕事、と。耳には聞き慣れた二文字の単語が絶え間なく踊り続けている。いや、というよりもはや踊り狂っている。アリスが横にいることなどお構いなしだ。

(私は………ここまで酷くないわ。取り繕うくらいのことはするもの)

 自分が、自分一人では生きていないのはよおく知っている身。だからまだまだ体面だってそれなりに大事にしなければいけないし、気にもしなければならない。
 そういう我慢をしなければ、成り立たないものがこの世の中にあることくらいはいくら年若いからといってもアリスだって理解している。無知はそれだけで罪に、そして自分はその無知を周囲に振りかざして優雅に微笑んでいられるほど人生高らかには生きていない。身の丈を知っている愚か者、せいぜいがそんなものだろう。
 無知は愚かな人間の纏うものではあるが、愚者と賢者が紙一重であるように、罪でありながらもそれ自体はとても強くもある。知らないからこその強さというのか。……まあ知らないということを知らないのだから、云ってしまえばそれは強くにしかなれないものなのだろう。だが最初から最後まで端から気にしない強さというのは結構わりと、保ち続けるのは難しくもあるのだ。
 それこそ。

 愚者でもなければ、賢者でもなければ、といった感じに。

(ユリウスは……無知ではないけれど愚者でも賢者でもないわ)
 強いのだけど、自分とよく似て、弱くもある。
 だのに繕うことをしない。
 そして自分で考えたことに平気で落ち込むくせに思うことを止めない。そんな無意味な堂々巡りに、この男、一体何がやりたいのか……と疑うことしばしばだ。

(…………なんだか不毛だわ。結局どっちなのかしら。こんがらがってきちゃった)

 実はとてもわかりやすい男のくせに、わかりにくい。ああ、なんだろうこの気持ち。もやもやとしてとても気持ち悪い。

(すっきりしない)

 面倒な。思ったとき。


「お前は…!」

 ぱしんと額を覆うものがあった。

「え」
 強制的に歩を止めさせられたそれに、ぐるりと驚いて視界を回せば、「………ユリウス?」どうしたの? ―――言い掛けて、自らの歩みを止めたユリウスの手のひらを額に、目の前に大きな看板があることにアリスは大きく瞳を見開いた。鼻先十センチ、わりとすれすれ、気付かずあともう一歩でも踏み出していたら思い切り顔面からこの看板に突っ込んでいたことだろう。
 しかしそれはあまりにも。

 あまりにもあまりにもあまりにも。



 ドジっ子属性全開の、非常にベタな展開ではないか。



「……………」
「……………」


 額に手を乗せたまま、重い沈黙がざくざく身に突き刺さる。


「ご」


 顔が強張り、頬が引き攣る。背筋には嫌な汗。思考ではドジっ子属性という単語がリフレイン。ベタ。王道。お約束に古典的。
 ……自分には似合わないと自覚のある単語ばかりが矢継ぎ早に飛び交う。
(ああ、ほんと、なんて似合わない)
 感謝の気持ちと声に出そうとする言葉がうまく噛みあってくれない。口に出してしまえばそんなドジっ子的失敗を認めざるを得ないからかもしれない。
(だってそんなの自分の柄じゃない)
 けれどそれでも人としての礼儀を放り出せるほどいい加減な躾をされてきたわけではない。それは、人として当たり前の行為だ、常識だ。
 だから。

「………………ご……ごめ、ごめん、なさい、ユリウス」

 震える口元に幾許かのぎこちなさを乗せたまま、果てしない屈辱とともになんとかそれを言い切る。そうしてちらりと視線だけを動かし、隣の男を見やれば、呆れた眼差しになんとなくその言いたいことがわかり、

「お前…」
「…………言わないで」

 言わなくてもわかってるから。わざわざそれを私に直視させるのは止めて、と。額に当てられた手をそのままに懇願するも、




エースみたいだぞ、それでは
「―――っ!」



 願い空しくユリウスは躊躇うことなくそれを口にした。
 さすが本音しか口にしない男。
 こちらのダメージなど歯牙にもかけず、意識の片端にすらかけていない。しかも言っておいてもはや明後日の方向を見ている。ああ……仕事が、という呟きに、凹まされた分、俄然ふつふつと気持ちが高ぶる。

「ユリウス! 言わないでって言ったのに! なんで言うのよ?! いやよ、私! エースみたいだなんて、そんなの! 絶対絶対断固お断りなんだから!」

 認めたくない。
 というより――。

(あの人と一括りにされるのは、た、耐え難いものが……!)

 ささやかな矜持が、そんなことになったらいい具合にがらがらと音を立てて崩れ落ちることだろう。そしてその頂きで相変わらず無駄に爽やかな笑みで以って高らかに笑い声を上げているエースを見ることになる。
 思い描いて俄かに頭痛が巡ってき、

(柄じゃない、柄じゃない柄じゃない柄じゃない!)

 本当に。

 あの人と一緒にされるのだけは耐え難いものがある、と眉根を寄せ、断固拒否をすると、心情的にはわかってくれたか、それ以上の追及はなく、代わりに淡い吐息が洩れ落ちた。

「それは……私に言ってもしょうがないことだろう。お前がきちんと前を見ていないのが悪い」
「そっ――そうだけど!」
「睨むな。私の所為ではない」
「む。わかってるわよ」
「………だから睨むなというのに」

 はあと呆れきった溜め息がもう一つ追加で零される。ついで、何故私が……と、微かなぼやきまで聞こえてくる。嘘でも励ますということをしない、実にユリウスらしい反応だ。

「大体何を考えていたんだ。人のことをこんな外にまで引っ張り出しておいて上の空とは……面倒な上に失礼な女だな、本当にお前は」
「何をってそりゃあ」

(……ん?)

 貶されつつも素直に口を開こうとし、あれ? と瞳を瞬かせる。そのまま眼球だけを上に動かし、額にある手を見、そこから腕を伝って横へと視線を流し、もう一度、あれ? と、今度は声にも出して。


「……………ユリウス……の、こと?」


「は?」
 意味がわからないと怪訝とする男に、呟いておいて即座に自分もまた同じように困惑する。

(え? え? ……え、あれ??!)

 糸を引き寄せるようにして記憶を辿る。けれど行き着く先で見い出したものはまさしく言葉通りのもので、それに間違いはなくて、ハートの国でただ一人の時計屋・ユリウス=モンレーは根暗で陰険で、思ったことをそのまま口にしてはフォローの一つもない、口と性格の悪さで有名な男で………………そんな彼のことばかりをつらつらと、もやもやと。
 考えて考えて、考えて。

「…………」

 目の前の看板に気付かぬほど、上の空に、それほどまでに真剣に?
 この男のことを考え、思案していたと、この頭一杯の疑問符はそう告げるのだろうか。
 だが何故。
 愕然とわけのわからぬ衝撃が内に走る。
 ユリウスはそんなアリスの動揺などまるで気付かず、いつものように眉間に皺を寄せて口を開いているところだった。その口から悪態が出てくるのはもはや容易に想像出来る。出来る、けれど―――
(な、なんで、ユリウスのこと、なんか……っ)
 疑問に新たな当惑が細かく、不可解に重なってゆく。
 そんな自分はあまりにも想定外。ぱちぱちと目を丸くしては瞬きを繰り返していると、相変わらず呆れた様子で偏屈な男が小さく自分の名を呼んだ。誰彼構わず嫌味ばかりを紡ぐ、その唇で。
「……もういい。行くぞ、アリス」





 そうして面倒なことだと言いながらも結局自分の我が儘に付き合ってくれる男の、けして甘くも何ともないその声を聞きながら、若干頬に熱が灯ったような気がして、ああ、確かにこれはなんだか面倒なことになるかもしれないと幾許かの予感めいたそれにそれからアリスは二度目の看板激突がないよう、俄然瞳を見開いて前進することに終始したのだった。



fin.











07/11/26(ちょっとだけ改訂)

ハトアリ本「正直言って、よくわからない。」の表題収録。
あとボリアリも収録してましたけど、そっちは勘弁で。

確かユリアリED迎えて衝動的に書いたものでした。
普段しないんですけどロゼ風に強調太文字使って
ゲームの雰囲気でるようにもしてみました。

本家はもっとぐいぐいくるよ!(笑)