「まぁ、記念だ」
そう言って豪快に笑い、餞別と称するそれを放り投げてきたのは、
あとにして思えば奴なりの気遣いだったのかもしれない。

 それは数日前に告げた、別れの日でのことだった。


「 のこされるものたち 」



しばらく会えなくなるなと言ったとき、奴はそうかとしか言わなかった。だから私もそれ以上のことは何も言わなかった。おそらくそれは他の何かを言ったところで、きっと互いに何も変わらないことをわかっていたからだ。
遊びに行くわけではない。
仕事として私はその地に赴き、奴には奴の仕事があってこの地に残る。互いの役割が、そんなふうにわかりやすく一緒には行けないことを示しているのをわかっていたから、だからそれは結局のところ、現状を告げた、ただそれだけのことで、それ以外にどう転ぶことでもなかった。
それを。
奴も私もわかっていた―――ただそれだけのこと。
だから見送りに来てやったぞ、と、別にこちらが頼んだわけでもないのに恩着せがましくそう言って、別れの日、奴が私に会いにきたのは予想外のことでもあった。来るとも来て欲しいとも、聞かなかったし言わなかった。言うつもりもなかった。
だが驚く私をよそに、顔を付き合わせた途端、奴は笑いながら何か平べったいものを無造作に放り投げてきて、それを受け取り、確認してから―――
「……で?」
「ん?」
「何だこれは」
「だから餞別だって」
「………。何も入ってないパスケースが一体なんの餞別になるって言う………おい明神、まさかお前」
「おぉ! わかった? いやぁ、澪ちゃんは察しが早くて助かるなァ」
言って。
おもむろに背中から更に取り出されたものに思わず私は頬が強張り、一歩背後にあとずさった。次いで腰が引ける。
「い、いやだ! お前、そんな、なんてベタな……!」
私はいやだからな! とこの後の展開を読み、拒絶を込めて怒鳴ると、いやいやいや、と脳天気な笑みを浮かべたまま、奴は額に緊張からくる変な汗まで掻きながらじりじりと私ににじり寄って来ようとする。夏場の変質者か、お前は。
まさかの予感が悪夢のように的中し、徐々に逃げ場のなくなる私の前で奴は相変わらず底の抜けきった緩い笑顔のまま、
「ベタでもなんでもこういうのはだな―――まぁ、記念だ、記念。ほら、あとで絶対よかったって澪ちゃんも思」
「思うか! お前はよくても、私は苦手なんだっ、勝手なこと言うな……!」
呑気に勝手な言い分を通す、その声に、じり、と奴との距離を慎重に取った。
―――が。
「む、―――そうか。あーまァ、でも、ほら、な? 大丈夫だ、オレは好きだしこういうの」
「だからお前の好みは聞いてないだろ……っ!?」
じり、じり、と。
逃げる私を奴はその分だけ両手を広げ、笑顔で袋小路に追い詰めていく。はっきり言って今この場を誰かに見られたとして、きっと二人、誰が見ても知り合い同士には思われないだろう。漂う空気があまりに異様で殺伐としている。というか、誰かコイツを通報してくれ頼むから。
「ふ……ふふふふ、ほら、もう後がないよ、澪ちゃん」
「だっ……こ、怖いんだよ、お前! この馬鹿! 変態! ドエロ!わ、わ……っ寄るな触るな、これ以上私に近付……!」
「わはは、照れるな、照れるな」
「なっ―――誰が、照れて……っっ!」
――――一体、この男はどこまで自分本意に物事を考えれば気が済むのだろう。
気付けば距離というほどの距離がなくなって、
「ひっ」
「怖くない怖くない」
がっしと太い腕に首というか肩を掴まれて、その強引さに身を竦めてる間に、
「はい、チーズ〜」
「や、め……っ」
―――カシャ、と。
顔を上げたすぐ近くで、使い捨てカメラのシャッター音が眼に眩しい閃光とともに小さく鳴るのが聞こえた。隣で奴は笑っている。
右手にカメラを、左腕には私を抱え込んで。
その手の腕では、何の恥ずかしげもなくピースサインが堂々成されている。
「……あ……あぁ………」
「おっし、撮れた、撮れた。ん、なんかあれだな、今時で言うとジョシコーセーのプ……プリクラ? みたいな…? いやカメラっつってもまあ使い捨てのやつだけどな。わははは」
ジョシコーセーにプリクラ。どうしてそこで赤くなるのか、変なところでどもる奴にふつりと何かが心の中で煮立った―――否、キレた。そうか、ああ、そうか。この密着度の高さよりもお前はそっちに動揺するわけか。
「…………、」
「しかしうまく撮れてるかどうか、ちっと不安だな。いやちゃんとフレームに入ってるかどうかも問題なんだが……うーん……まあ、でもフラッシュもたいたし大丈夫だろ。澪ちゃん、んじゃ、これ記念に……って、あれ? 澪ちゃん? なんか顔が怖いような…………もしもし、澪ちゃん? え、あれ? なにかな、その戦闘態勢っぽい感じは……あれえ、澪ちゃん? み、澪ちゃーん?」
「……………………明神、お前、覚悟はできてんだろうな」
ユラリ、と、奴の腕から離れてその目の前に立つ。とぼけた顔に自分の得物を突きつけて。
木々が撓るように、空気が鳴る。
「……ちッ」
「わっ、ちょっ……タンマ! え、澪ちゃん、マジ? マジですかそれええええ」
ぎゃあとかわあっとか、うるさく叫びながら慌てて奴は半身を翻す。紙一重で避けられた一閃がそのすぐあとを追い縋ったが、ヒュッ、とまた空気が鳴って空振った。
「逃げるな、明神ッッ」
「わああ、それは勘弁! 澪ちゃん、怖い!」
わあわあ言いながらも逃げ足の速い奴は結局私との間を、大きく、すぐには追いつけないほどの距離にしていく。
およそ十メートル。
おそらく距離にして言えばそれはそれだけのもの。
常人からしてみれば多分本当にたったそれだけの――――私にはまだ、どうしても追いつけない、奴との距離。それは明確な立ち位置だったり、立場だったり、その存在感だったりして、距離というのもおこがましい。……わかっている。本当はわかっているのだ。
「明神!」
逃げているのはお前じゃない。
お前が、逃げているわけじゃない。
「いつか……っ」
それは―――ただ、私が追いつけないだけの話で。
私では、まだ、そこにたどりつけないだけの話で。
(その、距離が……私は)
ひどくひどく―――お前が易々と私に近寄れば近寄るほど、余計悔しいのだと言ったら……一体お前はどんな顔をするだろうか。
いつものように笑う?
豪快に笑って、背を叩いて―――
………それで、
「いつか絶対、お前に追いついてやるからな……!」
…待っていて、くれるだろうか。
その途方も無いたった十メートルの距離を。
(お前は―――)
私が、追いつくまで。
そこにたどりつくまで。
「だからお前は……!!」
「澪」
「っ!」
唐突に、半円を描いて。
これもまた、呆れるほど急に無造作に放り投げられた。けれど奴はわかっているのだ。それを私がちゃんと受け止められるということを。
推し測って、その信頼をあっけなく放り投げる。
その度に私は思うのだ。なんて勝手な男だろうと。
渡されたその心を一方的に受け止めさせられて、なんて強引な男なのだろうと。
「現像するの、忘れちまいそうだからな。ソレ、お前にやるよ」
「……カメラごと、か? 捨てるぞ、このまま」
「ま、好きにすればいいさ。お前にやったんだし」
好きにすればいい。
さっきまでとまるで言動が違う。そんな勝手なことを奴はいつだってそう平気で言い放つ。それに憤りが募り、ぎッ、と奥歯を噛み締めて、
「お前は……勝手だ、いつもそうやって」
「まァ、否定はできねえな。もう変えられるモンでもねえし、変えるつもりもねえし、きっとオレはずっとこんな感じで生きてくんだろうな。……だから、まあ、その、なんだ」
澪、と。
また名を呼ばれる。
それに手の中のカメラを握り締めて、私は奴の次の言葉を待つ。
「がんばれ、な」
「―――――」
……しばらく会えなくなるなと言ったとき、奴はそうかとしか言わなかった。だから私もそれ以上のことは何も言わなかった。おそらくそれは他の何かを言ったところで、きっと互いに何も変わらないことをわかっていたからだ。
遊びに行くわけではない。
仕事として私はその地に赴き、奴には奴の仕事があってこの地に残る。互いの役割が、そんなふうにわかりやすく一緒には行けないことを示しているのをわかっていたから、だからそれは結局のところ、現状を告げた、ただそれだけのことで、それ以外にどう転ぶことでもなかった。
それを。
奴も私もわかっていた―――わかっていたから。
(―――しい、なんて)
「……言…われなくても、がんばるに決まってるだろ! この私を誰だと思ってんだ、この馬鹿明神!」
「いや………まァ、確かにお前はオレがわざわざ言わなくても大丈夫なんだろうけどな。ああ……まァ、そうか……そうだな」
つまんねえこと言って悪かったなと苦笑する奴に、本当だっと言って小さな虚栄心とささやかな矜持を懸命に自らの胸に誇らせる。誰が見てもそうとわかるように、そうであるように。
そうやって、私はこのとき自分の落胆を押し隠すことをなにより一番に選択した。それを選ぶことしかできなかった。
どう転ぶこともないとわかっていて、尚、つい期待した、その言葉が放たれなかった―――それでも、奴は私の為にちゃんと代わりの言葉を放ってくれたというのに。
私はその落胆を、知られぬよう咄嗟に「自分」を守ることしかできなかった。…それだけしか。
「んじゃ、もう行くわ。澪ちゃんも、時間そろそろだろ?」
「あ…あぁ、そうだな私も……あ、そうだ。お前、私がいなくなったからって酒はほどほどにしとけよな。もういい年なんだし、酔っ払ってまた救急車呼ばれるような珍事だけは」
「わはは、いやあ、あれは大変だったなー」
「……少しは反省しろ、お前」
「いやほんと、今度会うときゃ、お互い酒の肴が沢山ありそうで楽しみだ」
「そうやってなんでいつも自信満々に普通に話が逸らせると思ってんだ、お前は!」
「まあまあ、澪ちゃん。とりあえず、ほら、みやげ話、楽しみにしてるから。それまでその写真、大事にしてろよお〜」
「だから! 捨てるって言っただろっ」
人の話を聞けッと半ば自棄になって叫ぶ。それを、けれど奴はまるで待っていたかのように。
「だから――――好きにすればいいって。あー……しかし、なんつーか、なんだな……やっぱ、遠慮ねえなあ」
いつの間にか辺りには闇が落ちていた。その向こうでくしゃりと笑って背を向け、それじゃあまたなと言って手を振り、
「――――――」
そこまでだった。
それで終わりだった。
見送りの馬鹿騒ぎは見事なまでの一貫した馬鹿騒ぎのまま、形を変えず、最後までその状態で、不意にぷつんと途切れるようにして終わった。いや、違う。奴はほんの少しだけその形を変えようとしたのかもしれない―――手の中の餞別と、新たに追加された使い捨ての小さなカメラに眼を落としてふと思う。
その、せっかくの変化を元に戻したのはきっと他ならぬ私自身だ。
勝手に奴に期待し、夢を見、あてが外れて何も言えなくなった。
それは―――
(……なんだ)
もし、言って、それが自分たちの仕事だろうと。
それが、自分たちに課せられた使命だろうと。
奴の口から、そんな当たり前の事実を当たり前のように突きつけられるのが……たぶん、怖かったからだ。
(なんだ、勝手なのは私のほう、か―――)
たとえ。
どれだけ離れ難くあろうとも離れなくてはならない。いくら寂しかろうとそれを口にして縋ってみてもどうにもならない。そんなことはわかっている。わかっているから言わなかった。
それが、私たち。案内屋の責務。
けれど……少しだけ、思う。
もう一度だけ、それを夢見るように。
「……なあ、もし、それでも私がそう言ったなら―――少しはお前…………お前も……」
言いかけて、その続きを口にするのはやっぱり止めた。言ったところで応える奴はもういない。さっさと暗闇に消えてしまった。返ることのない問いかけなど、だったら言っても虚しいだけだ。虚しくなるばかりだ。
「……………」
 顔を上げて、無人の道路に眼を向ける。
そこにいた、奴はもういない。
残っているのは自分と、どこでどう仕入れてきたのか知れない水色の淡いパスケースとよくある小型の使い捨てカメラ。




そこにたった一枚だけ、中身がおさめられている。


fin.








一ヶ月ぶりのみえるひと更新。
まだちょっとだけこのあと続きます。
(タイムアップで一先ずここまで)

いやもう、黒師匠と澪さんがあまりに燃えすぎて…。
好きなひと、い、いらっしゃいませんか!?


(とりあえずまあ捏造万歳)

06/05/26