ちゃんとわかっている。
それは頭ではなく、心で受け止めればよいこと。


「 Rain Rhapsody 」




 はい、と傘を傾けるとガクがびっくりしたように自分を見つめてくるのがわかった。そのまま微動だにせず静止というより停止に近い勢いで沈黙するので、その思わぬ反応によかれと思って傘を差し出した姫乃は、続くガクのリアクションがないことにどうにも困惑してしまった。
 無視されているわけではないのは、一直線に姫乃を見返すその強烈な眼差しで嫌でもわかるのだが。
 それ以外に何の反応もないというのは、実にこれが初めてのことである。いつもなら過剰すぎるほど過剰に反応してくれて、姫乃のほうがびっくりして動きを止めてしまうのに。一体これはどうしたことだろう。
 訝しげに瞳を瞬かせながら、姫乃はこわごわと問いかける。

「あの……ガクリン?」

 外は雨。
 急に降り出した雨に庭先で一人佇んでいるガクを見つけ、慌てて傘を持ち出してきたまでは良かった。――良かったのだが、当の本人が傘の中に入ってくれないのであればこの行為はあまりにも無意味に等しい。
 ぱらぱらと軽く降りしきっては大地を黒く濡らしていく天からの恵みに、姫乃は、相変わらず驚いた表情のまま一向に動く気配のないガクへとまごつきながら歩み寄り、

「…ね、ほら?」

 赤い傘の柄を握り締め、小さな子供に言い聞かすよう、更にそっと斜めに差し出した。自然、傾斜した傘から大きめの水滴が連なって転がり落ち、ぽたぽたと、緩やかに地面の奥へと吸い込まれていく。
(あ…っ!)
 それがガクの靴先をも濡らしそうになって、慌てて姫乃は傾けすぎた傘を手前へと引き戻した。
 途端。
 パラッと今度は自らの背後で大きく水滴の零れ落ちる音がする。
 そうして引きすぎた傘から姫乃の身が空に晒され、見上げた額にぽつりと冷たい雨が滴り落ちた。

「ひゃっ?!」
 急いで傘の位置を調整し、

「ご、ごめんね! ガクリン、濡れなかっ」
「ひめのん」

 ふと―――対面するガクが揺れる傘の向こうで、静かに笑ったのが見えた。

「…大丈夫、俺は濡れない」
「―――――」

それは雨のせいでうっすらと霧がかった視界でのことだった。
微笑むガクをどこか亡羊とした眼差しで姫乃は見返し―――

「でも、」
「……ひめのん?」

 わかってるんだけど、と小さく呟きながら、今一度その傘をガクへと手向ける。
 それにガクが驚いた顔をする。
 当然だ。霊体であるガクは決して雨に濡れることも、ましてやその雨粒の冷たさを直に肌で感じ取ることもない―――それを、わかった上で姫乃はそうしているのだから。
 ――――姫乃は、ちゃんとわかっている。
 ガクが入ってくれなければ無意味だと思うこの行為自体、だからそもそもそれ以前の問題で、それは確かに考えるまでもないことなのだろう、と。

「だけど―――」

 それでも、と羞恥を押し隠すように苦笑いを浮かべ、軽く、今度は傘を濡らす雨粒がガクにかからぬよう細心の注意を払いながら、姫乃はその腕を空に近づけるように高く持ち上げた。



「寒そうに、見えるから」



 だからこれは、とても自然なこと。
 そのまま姫乃はびっくりしているガクの返事を待たずして、ぱらぱらと小さな雨音が響く、同じく小さな世界の内側へと彼を静かに招き入れた。
「ひめのん……」
「うん?」
 きっと、傍から見たら――いや、見えるひとが見なければ、これはひどく奇妙で、不自然極まりない光景として眼に映ることだろう。
 なにせ傍目には姫乃一人が庭に佇み、誰もいない空間へと雨の中、その傘を半分預けている状態にしか見えないのだから。何をしているのかと普通にそう問われても仕方がない。
 
だが他人など関係ないと姫乃は思う。これは他の誰かではなく、自分がそうしたいと思った末のことで―――それを、姫乃はちゃんとわかっている。
 わかって、いるから。

「これで、いいんだよ」

 耳を傾ける雨音のメロディに溶け込ませるよう、姫乃は小さく囁き、そして微笑った。
 空は、静かに雨を降らす。
 立ち尽くす二人の頭上、赤い傘を軽やかに鳴らして。
 それを聴きながら、姫乃は、もう一度傘の柄を柔らかく握り直した。

 やがて隣でゆっくりと頷く気配がして。




「マイスウィートとの初めての相合傘だ」



 言って、驚きながらもまるで子供のように頬を緩める。
 それは今まで姫乃が一度として見たことのないガクの柔らかな微笑で、満ち足りたと形容するのがひどくぴったりな表情で、それにうんと素直に頷き、姫乃も同じように微笑んだ。





 赤い傘の下。
 見上げた空は、薄墨に滲んだ色を遠くのほうまで広げ、雨はまだしばらく止む様子もなかった。


fin.









雨の日のガク姫でした。しょうがないなぁっていう感じのガクを
見守るひめのんが書きたかったよう、な……?(何故疑問系)
冷たいけど寒いけど、あったかい、みたいな話にしたかったです。
あと相合傘一つで大喜びしそうなガクを。

相合傘は想像すると可愛いなあと思います。でもこのガク、
きっと庭でカタツムリとかぼんやり見てたはずなんです。
(最後台無し…)(しかし甘すぎてすみません…ひ!)


06/03/13