「 幸福の途にて 」
(3万ヒット/リク創作)





 ラビくんはずるいわ、という声が何の前置きもなく急に彼女の口から発せられた。
 藪から棒にずるいと言われてラビはぱちりと瞳を瞬かせ、即座に状況を整理する。
 今は午後の昼下がり。
 目の前には分厚い本を長机に縦置き、緩やかなウエーブの髪をいつものようにふわふわと頬に散らしながら読書に耽ける、彼女ことミランダ・ロットーがいる。静かに行儀良く。本人にその自覚はないのだろうが、すっと伸びた背筋は見る者全てに大変好ましい印象を与える。
 ラビはそれを、その彼女の作り出す静寂を邪魔せぬよう黙って見守っていただけだ。
 何故かと問われれば答えは簡単。
 時計はもうすぐ三時を指す。
 つまり午後のティータイムにこれほどぴったりな時間はなく、休憩がてら食堂でもと誘ったら、もう少しでこれ読み終わるから……だからそのあとでいいのなら、と。彼女が控えめながら自分の誘いを了承してくれたので。だからラビは忠犬よろしく彼女の言うところの「もう少し」をまだかまだかとひたすら忍耐強く待ち続けていたのである。
 その結果が上記の唐突な台詞。
 困惑もする。するなと云うほうが難しい。
 ……は? と気の抜けた声を漏らし、きっとおそらく表情もそんな感じになっているのだろう自分に、あまり間抜け面になってないといいけど……と思いながら、視線を本に固定したまま、深く俯く彼女へと視線を注ぐ。だがそうするとますます唇を噛み締める彼女の視線が下に落ちた。もう本を読むような体勢ではない。
 あからさまな眼の逸らし方に、え、え、えぇ……? と途方にくれるも、なんだか自分よりも彼女のほうが随分と、どうも困り果てた様子で、寧ろ叱られた子供のような、或いは小動物のような……視界にご都合主義かつ自分勝手なフィルターのかかった目前の光景がジャストミートでツボに嵌ってしまい、自分が落ち着くのにそれから少々時間がかかってしまった。
 そんな自分にとってもしばしの沈黙と動揺を孕み、挟んで。
「………ミランダ?」
 そろりと。まるで蝋燭の火を消すような心許なさでその名を呟けば、それにミランダの視線が微かに持ち上がったものの、ほっとしたのも束の間、ラビと目が合うと何故だか泣きそうな眼で以って睨まれた。

「…………」

 睨まれた?

「あ…あのー、そのー………ミランダ……ミランダさん?」
 何故に今オレは睨まれてるんでしょうか。言葉には出さず視線だけで問いかける。
 機嫌を損ねるようなことをした覚えはなく、ましてや何か余計なことを言った覚えもない。ただ自分は黙って彼女のことを待っていただけである。午後のティータイムを楽しく彼女と過ごすべく。
 待っていた、待っていただけだ。
(ない。ない。……あー、うん、ないはず)
 自らの行いを顧みて、再確認。
 ずるいと呼ばれるような危険行為はなかったとの自らの認識を更に深め、おそるおそる窺うようにもう一度視線をやれば、見解の違いを示すに充分な眼差しが未だひたと向けられていた。しかもいつの間にか目の縁が赤い。羞恥と困惑だけならいつも彼女がよく自分に見せる反応であり、見慣れてはいるが、やや押されながらもそこに何故だか微かな憤りの影がみえる。
 抑えた声でずるいわともう一度重ねて言葉が滑り込んでくる。解読はやはり不能。
「……な、何が?」
 会話の方向性がまるきり理解出来ない不安から、自然、声はおどおどと零れ落ち、
「…………」
「…………」
「…………………」
「…………………」
 これじゃあミランダみたいだと思った直後に訪れたのは、先程よりもずっと長い沈黙だった。
 しかもその間延々と睨み続けられ、殺傷力はないが心臓によいとも言えず、これは一体何の拷問だろうと、優しい眦を不器用に吊り上げ、懸命に怒りを示そうとするその必死な姿に違った意味でくらりと甘い眩暈が起きそうになった。
 ミランダは怒っている。
 それは確かでまごうことなき真実で現実だ。
 間違いない。
 だが。
(――――か、)
 ……なんとも言えぬ感慨が胸中をひた走る。
 ご都合フィルターをかけたら、多分またしても瞬時にノックアウトを食らってしまうことうけあいの。
 ぐらぐらと意思が覚束無くなるのと同時に理性も揺らぐ。しかしそれでもここは堪えなければいけない。彼女は怒っているのだ。真剣に自分に対し、何かしらを。そこへ火に油を注ぐような行為を自ら行うのはあまりにも愚直極まりないではないか。
(が、我慢我慢、ここは絶対我……)
 しかしながら。
 そんなラビのささやかながらの努力も空しく。


「―――こっち、ラビくん」


 堪えきれずにその視線を一先ず外した途端、冷たい手がぺちんと両頬を挟んで、事態はラビの中だけで更にこれ以上ないほどに悪化した。
「わ、ちょっ……えっ、ミミミミミランダ…っ!? な、なに!」
 自分たちを分断する縦に細長い机。その向こう側でミランダが身を乗り出し、前のめりにラビの顔を自らのほうへと無理矢理向ける。
 こういった積極性は普段の彼女とは到底直結するものではなく、呆気に取られるもすぐに柔らかい肌の質感を頬に感じ、羞恥心からかっと頬が赤く染まるのがわかった。
 「ちょ、離し……っ」
 慌てて両腕を振り乱してその甘い檻から逃れようともがく。
 大した力でもない檻はすぐにそこからラビを解放してくれたが、
「ほら。ラビくんだって、困るでしょう?」
 珍しく得意げに。
 してやったりとでもいうような満面の笑みをそこで不意に彼女が浮かべてきた。そうして真っ赤なラビと同じくらいじわじわとその頬を赤く、ワンテンポ遅く、遅れて染めてゆきながら。
「こんなふうにね。ずっと見られてたら本なんてとても読めないわ」
 だからラビくんだけ、一人ずるいわ、と。
 彼女はさっきの答えというか、自らの言い分をそう口にしたが。
「――――」
 ……しかしどちらかといえば。それはずるいというよりもっと適切な表現があって、そちらのほうを優先し、適用してくれたならば多少はもうちょっと、何かしら自分も気付くことが出来たのだろうと心底から思うのだけれど。
「……あーあー、あのですね」
 無自覚ほど厄介なものはないというそれを、まさか二人揃って体現してるからそう思うのだ、などと今この場で言えるわけもなく。
「なに? ラビくん」
 もとより完全降伏気味な自分であるのに、それに、たった今またしても完膚なきまでに持ってゆかれた、などと。
 そんな気恥ずかしい告白も重ねて言える余裕もなく。
 ああ、と眩暈とともに堪えきれぬ吐息を一つ。
 それから。


「……………ミランダ、最強かも」


 言うと、きょとんと瞳を瞬かせた彼女が一度だけ不思議そうに首を傾げ、どうして? ラビくんのほうが強いわ。だって私のイノセンスと違ってラビくんのは武器タイプだもの、と。てんで方向違いの回答をくれ、もうどうしてくれようと頭を抱えるラビにその淡く上気した頬を再度見せつけながら最後のトドメを刺し、



 完全降伏ならぬ完全幸福。



 負けました。と、小さく零した言葉に最強彼女は相変わらず無自覚なままぱちりと目を丸くし、午後のティータイムへの道のりをもうしばらくラビから遠ざけたのだった。







fin.



「ていうかオレのほうが先に気付くってどうすればいいんさ、これから………」






生殺し万歳。(管理人はラビのことも好きです)

以上、サイトの3万ヒットの結月様からのリク創作「ミララビで可愛い系」でした。
全体的に練り方が不甲斐無くてすみません……おおう…。
(結月様のみ転載可)


07/03/22