廻る、生誕の日に。
「 指先の贈り物 」 | |
「誕生日おめでとう、ラビ」 言いながら渡された袋の上部を持ってそれを受け取ると、ふわりと鼻腔を掠める甘い匂いがして、もはや毎年の恒例となったリナリー手製の焼き菓子にラビはいつものように喜び声を上げた。 今年はマドレーヌなのと微笑む姿に、いつものことながらただただ感心する。いくら馴染みの者とはいえ、知り合ってから今日に到るまでただの一度も忘れず祝ってくれる――彼女の律儀さには頭が下がる一方だ。 「できるだけ早めに食べてね」 「おお、ありがとうさ」 マドレーヌの匂いにつられ、軽快に返事をする。くすりとリナリーが笑って、「あ、あとこれ……」と、もう一つ包みを取り出してきた。 「オレに?」 「そう。ラビの誕生日がもうすぐだって話してたらアレンくんが」 へえ、アイツもわりと律儀なこ…… 「湿布薬を」 「――――――は?」 し…湿布薬……? 「な、なんでまた」 「ラビのイノセンス、腰に悪そうだからって」 ああ、そうか、オレの身体を気遣ってくれたんか……アイツも若いのに変に気が利くっていうか、変にジジくさいっていうかイヤちょっと待て、だからなんで誕生日プレゼントが湿布薬なんだ。寧ろなんだそのシルバーロードな労わりセレクトは!? 「………………」 かたや片手にマドレーヌ、かたや片手に湿布薬。 何とも言えぬ微妙な感情をどう対処しようか迷いながらリナリーを見ると、彼女もまた反応に困るような顔で頬を緩めて苦笑をしていた。……やっぱアイツ天然だ。 意趣返しにアレンの誕生日には(確か本当の日ではないとは言っていたが)何を贈ろうか、これでしばらく話題の尽きぬ日々になりそうだと思っていたら、 「…あら、ラビくん?」 「―――――!!」 聞き馴染んだ声が背後からふいに届いた。 その瞬間、ものの見事に尽きぬ話題が遥か彼方へと吹き飛んだ。 「ミ、ミランダ……っ」 上擦った声で辛うじて「…さん」と敬称まで呼び終えて。 振り返って背後から歩み寄ってくる一人の―――ややクセのある巻き毛を頬と首筋、肩先にてまるで童女のようにあどけなく散らして近づいてくる女性―――ミランダ・ロットーの姿をラビは己の視界にて、しかと視認する。 正常だった心拍が途端、大きく跳ね上がり、雑然と聴覚までをも刺激しながら賑やかに踊り始めた。 けれどそれも束の間、すぐに嬉しいはずの現状はあっけなく一変することとなった。というより呼びかける内容を聞いて脆くも撃沈の途を辿った。 「リナリーちゃん」 「…え? 私?」 「ええ、そう。良かったわ。ここにいたのね」 きょとんと瞬きを一つして。 軽やかな指名を受けたリナリーがこちらもあどけなく首を傾げつつ、ほっと頬を緩ませるミランダを静かに見返す―――そんな光景に、わかってはいたことだがラビだけが一人胸中で暗澹たる溜め息を吐いた。フ、完全スルーか。まあ、そうだろうな。だって彼女、オレに用なんて滅多にないし。 (イヤ、ていうか寧ろ皆無だし) それはそれで充分クリティカルな事実に、自分で思っておいてわりと普通にまたもショックを受けているあたり、もう大分……いろいろと自分は重症のようである。溜め息の数ばかりが増え、一向に止められないし進展もない。どうにも袋小路だ。 しかしそれでも、あのね、と穏和に微笑み続ける彼女の姿だけはきっちりとその視界に納めながら(見逃すなんて勿体ない)、話の続きにさりげなく耳を傾ける。 「さっき、コムイさんがリナリーちゃんを探していたわ」 「え、兄さんが?」 「ええ。徹夜続きでリナリーちゃんの淹れたコーヒーがどうしても飲みたいんですって」 強調される固有名詞に、 「仲が良いわね、相変わらず」 くすくすと茶化すように、それでいて心底微笑ましげにミランダが柔らかな笑みを見せる。それに気恥ずかしそうに、 「もう兄さんたら…」 と、リナリーが応えるのを横目に。 (……こっちもこっちで仲良いよな) 細く、空気を揺らしながら優しく笑う二人に一人置いてきぼりを食らっている感がどうにも否めない「自分」という存在のちっぽけさを、ラビはいたく痛感させられた。そして同性同士の纏う気安さを心底羨ましく思いもし―――。 (でも同性だとなー…) それはそれでまた別の問題がでてくるのだと、ふとリナリーの瞳が何かを思い起こすようにまた軽く瞬くのを見ながら、緩く、そんな他愛も無い懸念にぼんやりと思いを馳せる。 が、それも一瞬後。 「あ。そういえばミランダはまだ知らなかったわよね? 今日ね、実はラビの誕生……」 「―――わあッ!?」 「きゃっ!?」 やばい、と思って咄嗟に介入した声と、突然のそれにびくりとリナリーが驚きを示したのはほぼ同時のことだった。 それに一人だけ遅れて。 「―――え?」 ミランダの瞳が何事かと一拍置いてから見開かれた。 驚きに瞬く瞳が、それから導かれるようにしてリナリーからこちらへと動く。…やばい。見られてる。見られてる見られてる見られてるッ! こんな都合の悪いときに限って―――ああ、どうして彼女に見つめられるのが今なんだオレ。 急激な羞恥に、収まっていた心拍数がまたもどっと跳ね上がってきた。それをただの衝動というか、素直に単なる虚栄心だというか。 「あ、や、その、な……何でもないさ」 ……本音としてはどちらであるとも云いたくない。 その場をなんとか取り繕いながら、何の非もないのに責めるようにして言葉を遮ってしまったリナリーをおそるおそる横目で窺う。近距離での出来事に耳をおさえながらも事態の把握にすでに早くも動いている双眸が、自分と、ミランダと、―――それから完全に動揺し空回る自分へとまた戻り。 「あー…」 それを避けるように無意味に明後日の方向を眺め見た。 それで、刹那の状況判断に長けたこの心聡い少女を騙しおおせるとは思わなかったけれど、ひとまず素知らぬふりでもしておかなければ、どうにも場の空気に耐えられなかった。今だって背筋に冷や汗がだらだらと伝い続けている。 そんな自分を痛烈に自覚していると、 「………。じゃあ、私、行ってくるから」 確実に自分へと向けられた、賢しく、そして優しい一言がラビの待機する空気の中でふともたらされた。 緊張の糸が切れ、ほっと胸を撫で下ろす。 やはりリナリーは勘が良い。たったこれだけで気づいてしまう辺りがもうどうしようもなく。 それゆえにそんな彼女に、自分はいつでも容赦なしに思い知らされてしまうのだ。余裕というものがまるでない自分自身を。 反射する鏡と相対するかのようにはっきりと。 「………あんがと、リナリー」 「どういたしまして」 「……?」 ―――しかし、笑って踵を返す少女にバレたとしても、まさか自身のことが話題になってのことだとは露ほども思っていないであろう彼女には、たとえどれだけ格好悪くてもそれは今はバレたくない事柄だった。まだその時期ではないのだ。今はまだ、とてもじゃないけれど。 (あぁ、やっぱ、見栄だ…) 見栄っ張りな自分と、微笑ましくも鈍感な彼女。 故に、だからこそ今日という日の特別さには触れずにいたい。 偶然の情報を経て、気を遣われるなど真っ平御免だ。そんな情が欲しいわけではない。ありきたりな理由ではなくて、確固たる意思のこもったそれが自分は欲しいのだ。 「……あ、ラビくん…?」 「へ?」 「指、怪我してるわ」 それは両手に抱えた荷と、空いた空間の隙間を縫うように。 理解するよりも早く、これよかったら、と自らが常備しているらしい絆創膏をミランダがそっと取り出してきた。驚くよりも、まずその用意の良さに感動していたのかもしれない。 「――――――」 言葉が、でなかった。 「小さな傷だから気付かなかったのね」 ふふ、とそれから小さな子供をあやすように笑われて、ぺたりと右手の人差し指、無骨な指には不釣合いともいえる明るい色彩が繊細な指先によって色落とされた。 まるで春の日に咲く、いつかの任務地で見かけた小さな草花のようなそれを、いとけなく自分にと移され、今度はやや呆気に取られた。 或いはほんの少し、茫然としていたのかもしれない。記憶の片端に息づく色をひどくこともなげに目の前へと披露してくれた彼女に。 驚くのとは、また違う。 そんな感情を覚えて。 「……………」 ラビくん? と、おずおずと声をかけてくる彼女の眼差しを見る。それはいつもの、ほんの少し怯えた眼で上目遣いに他人と接触する―――彼女のよくとる態度の一つ。 悪いことなど何もしていないのに、いつでも彼女はそうやってどこか遠慮がちで、そしてそれが誰に指摘されるでもなく自分にとってはひどく愛しいもので。 「あ……少し派手だったかしら…? 無地なのも、あの、部屋にあると思うから……もし嫌なら変えても……」 「―――あ、いや、これで」 「え?」 否。 「これが、いいさ」 ……あれは何という花だったか。 ここよりもずっと東の国の住民が瞳を細め、教えてくれた春の日の花。 それはけして優しい記憶ばかりで彩られた、そんなぬくもりに満ちた思い出ではないけれど。 「――うん。これがいい」 重なる記憶を微かな幸福へと導くように思い出させてくれる媒体に、ラビは静かに視線を落とし、それから意味を掴み兼ねて首を傾げるミランダを見て、また少しその瞳を細めた。 いつか機会があれば話すこともあるかもしれない。 指先に宿るその記憶、そこにあった悔恨の標を。 「――――……」 けれど今は。 「ラビくん?」 どうしたの、と、不安そうに訊いてくる声にまた一つ、何も言えぬ嘘を重ね、自分すら騙すようにして。 「何でもないよ。これ、ありがとさ、ミランダさん」 宙にかざしたその花を慈しむよう、今はまだ緩やかな笑みを。 了 |
ラビの誕生日創作でした。
……よくわからない話になってるかと。よくわからない話に
なってるかと。よくわからない話になっ……(以下自主規制)
途中でぐだぐたになったかなという意識はあったんですが、
この大元の話は本で書く予定があって、今回のはそれの補足的な話でした。
とりあえずラビ生誕祝い創作も兼ねて。……。多分祝ってます。
絆創膏をひとに貼ってもらうのってなんだかあったかい行為ですよね。
無性に懐かしい気持ちにさせてくれます。
そんな創作をこれからも頑張ってゆきたいです。(まあよくわからない話ですが)(言った)
05/10/15