初めてあなたに感謝します。 |
|
- ほしのかみさま - (ハーヴェイ×キーリ/1巻後) |
|
元々そういったことに無頓着そうなハーヴェイがそれを言い出したのは、実にキーリの予想を大きく裏切っての翌朝、相変わらず味気のない朝食をもそもそと取り終えたあとのことだった。二週間ぶりにまともに口にしたのが干し肉だと知って身体に悪いと注意したキーリの言及を、もしかしたら逃れるためだったのかもしれないけれど、移り変わってしまった話題を今更強引に元に戻すにはまだまだキーリの分は悪く、なんといっても相手は不死人、年の功だけは人一倍のハーヴェイなのだ。(そのわりにへんなところで不器用だけど) 齢十四の、世間一般でいう、未だ成長途中の小娘が太刀打ちできるような、そんな素直で単純な性格をしているはずもなかった。それに最大級の不覚は意表をついてのその話題が、キーリにとって少なからず動揺と、なんだかくすぐったいような嬉しさをもたらすものであった所為であるからかもしれない。 なので唯一の肉親であった祖母が亡くなってからというもの他人に認めてもらえることなど殆どといっていいほどなかったキーリが、それでついうっかりとごまかされてしまったのもある意味しょうがないことでもあったのだ。ハーヴェイが何気ないそぶりでキーリを見てから、「…それはそうと、お前、髪どうしたの?」なんて、訊いてきてくれたのだから。 いつも関心の薄そうなむっつり顔で目を伏せるか、ぶっきらぼうに何か言うのが主であるあのハーヴェイが、まさかキーリの、身近な変化を見落とさず、しかもこんなにも早く興味を示してくれるなどと本当に予想だにしていなかったのだ。そわそわと落ち着かなくなる気持ちをできるだけ抑え、抑えすぎてやや声が掠れてしまった自分をあとでキーリは大いに呪ったりもしたが、ひとまずハーヴェイ同様に何気ないふうを装って短く答えた。本当は、地平線の向こうから吹きつけてくる荒野特有の砂まじりの風だって気にならないくらい、とてもとても嬉しかったのだが。 しかしそんなキーリの気持ちを知る由もないハーヴェイは、陽射しを嫌って岩陰にできるだけ身を潜ませるようとしている最中で、兵長は、同じく岩に背を――こちらを大人しくもたせかけているキーリとハーヴェイの合間にちょこんと置かれていて、今はアップテンポなリズムの曲を軽快に流している最中だった。 「…切ったの。邪魔だったから」 「へえ」 「……変?」 何故邪魔に思ったのかを訊かれたらどうしようと密かに気にしていたキーリだったが、ハーヴェイがそれを訊いてくることはなかった。わかってはいたことだが、やはり少し物足りなさを感じてしまい、思わずキーリの方こそがハーヴェイに問い返してしまっていた。と、いうより……。 (なんでいきなり邪魔になったの?) ――ハーヴェイを助けるときに動きづらかったから。 (それでもお前、また思い切ってやったな) ――だって髪一つでハーヴェイを助けられなくなるならいっそ切ってしまえばいいと思ったから。 (……。そっか…) ――うん。 そんなシュミレートを思考の端っこで駆け巡らせていただけに、期待が外れてがっかりしてしまったのだ。だがそれは本人には到底いえぬ事実でもある。 用意していた答えは冷静になってみればひどく気恥ずかしい、キーリ自身よく考えたなと思えるようなものばかりであったし、結局のところ出口を失ってしまったのだからそれはもう胸の内で留めておくしかない。おそらくもう二度と声に出し、言葉となって出ていくことはないだろう。 髪を短くし気持ち軽くなった頭と一緒に、どうも心までもがふわふわしているみたいだ。なんといっても今度こそ本当に一緒にいられて、望むところに連れていって……ああ、違う。一緒に来てほしいと言われたのだから。望んで、望まれることがこんなにも嬉しいことだったなんて、今、この星の上で誰よりも自分が一番深く深く実感し、噛み締めているに違いない。 再会できてからずっと続いていた高揚感がまたしてもキーリの全身を包みこむ。そうして短くなった髪を頬に散らしながらもう一度キーリは、変? と首を傾けてハーヴェイに素朴な疑問を投げかけた。けれど、かといって別にお世辞を期待したわけではない。あともう少し、ハーヴェイの率直な意見というか言葉を聞きたいと思っての催促だったのだ。やや間を空けてからのろのろとあの深い赤銅色の瞳が持ち上がり、斜め横を見るように視線が流れた。真正面から見られたわけではないのに、一瞬キーリは頬の辺りが熱くなったような気がした。 「べつに……変じゃない…と、思うけど?」 「う、うん」 それで? と、それでもつい思わず期待したのが悪かったのだろうか。 「……以上」 のっそりと瞳が元の位置に戻り、それでこの会話は終了したのだと気づくまでキーリはしばらく時間がかかった。我に返ることができたのは今の今まで口を挟むことなく黙って二人のやり取りを聞いていた兵長が業を煮やしたふうに突如としてその会話に割って入ってきたからだった。ぶつりと賑やかだった音楽が途切れる。 『おい、ハーヴィー。お前それはないんじゃないのか』 「はい? なんだよ、そりゃ」 『だからもう少し言いようってものが……』 「だから、何の」 『……お前。本当に、わからんのか?』 「………」 返事をする代わりの沈黙に、 『まったくもって救いようのない馬鹿だな、お前は。いいか、』 「へ、兵長! いっいいよ、そんな」 「……って、本人は言ってるけど?」 言って、返る言葉を待つことなくハーヴェイはラジオから目を逸らす。今度こそ、本当にこの話は終わりだと言わんばかりに。 背にした岩山を少しだけ横にずれてから面倒そうに座り具合の確認までするハーヴェイの、けれどその行為がますます兵長の苛立ちを募らせたようで、結局兵長の小言は更に勢力を増すこととなった。 『おい! ハーヴィー』 ……たしかに無視されたと思っても仕方がないような気だるそうな仕草でそっぽを向かれたら、別に兵長ではなくとも気にかかってしまうだろう。キーリの場合だと少し沈んでしまうかもしれない。というより想像したら本当にほんの少しだけ悲しくなって自沈してしまった。……ばかみたい。今はこんな呑気な物思いに耽ってる場合じゃないのに。 「あっあの! もうほんとにいいよ、兵長…」 『よくない、よくないぞキーリ! 見ろ、このだらけきった腑抜け男を!』 気持ちの高ぶりに呼応して兵長のノイズ混じり声が、次第に黒い粒子の集まりへと変ってゆく。あたふたと慌ててそれを宥めにかかるキーリであったが、それでおさまるようならばそもそも兵長が口を出してなどこなかったのだと、すぐに気づいてしまった。問題はそれに気づかぬハーヴェイにあるのだからキーリが何を言ったところで兵長が満足し、気を取り直すことはないのだ。 それでも放っておくことができずにキーリは再度頼みこむようにしてラジオの、今やはっきりと映し出された兵長の不機嫌そうな表情へと懇願の声を飛ばした。できるなら本当に。 「ねえ、怒らないで兵長。私は」 「……いや、ていうかなにに怒ってるのか俺よくわかんないんだけど」 「――――」 『ハーヴィー!!』 間の悪いことというのは本当に、間隙を縫うようにして発生するのだと、このときばかりはもうキーリもフォローの言葉を失い、歪めた瞳の中でやはり何食わぬ顔で存在する不死人の青年を絶望の眼差しでもって見返した。 「…なんだよ」 一瞥に、だって、と言いかけたが、 「……ううん。べつに…」 怪訝な眼差しへと、たしかにこれじゃあ兵長の気が短くなるのも仕方がないかなとそんな納得をしてしまう。悲嘆にくれた溜め息を小さく零して、威嚇態勢に入ってしまったラジオにむけて、「……いつものことだし。ね、兵長?」と彼らにとっての日常的なそれを付け足した。黒い粒子の動きがその一言で明らかに鈍くなる。にべもないキーリの発言に、兵長もおそらく我に返ったのだろう。それにキーリ自身が「いつものこと」と諦めてしまっているのでは、口を挟むだけ無駄というものだ。ここは一つ大人になって、と兵長は思ったのかもしれない。きっとハーヴェイがこんなだからそれはもうしょうがないんだ……。落胆にも似た吐息をそっとキーリは思って、つく。 しかし形成しかけていた兵長の姿がそろそろと崩れかける最中、当の本人からなにやら明確な意味は汲み取れずとも発言のニュアンスからあまり喜ばしいことではないと、むしろその正反対のことをさっくり言われたと感じ取ったらしく、いつもの見慣れた仏頂面でぶつぶつと文句が零すのが聞こえた。そのうちの「どういう意味だ」との言葉に、ラジオの中から、 『そのまんまの意味だろ』 とあっさりノイズまじりの声が返る。先程まであった粒子は今はもうすべて消え去り、兵長のその声にはただ呆れがこもって、いっそ哀れみすら感じられる。 むっと今度はハーヴェイのほうがふてくされたような表情をして、相変わらず焦り続けるキーリを横目で睨む。どうして怒りの矛先がこっちにくるのかわからず、ややびくつくキーリは「ハーヴェイ」と特に深い意味もなく咄嗟にその名を口にしてしまった。そして。 「だから、なに」 ハーヴェイが煩わしそうに呟いた。 まさか律儀に返答されるとは思いも寄らず、キーリは動揺したまま、大きく目を見張って一瞬固まってしまう。 「あ、あのね……わっ?!」 突然の出来事は更に続けて、心の準備というか気構えというか、とにかく対応に迷い悩むキーリを容赦なく、それでいてこともなげに襲った。 何の前触れもなかった上に、 「ハ、ハーヴェイっ?」 「……だから何だよ」 くしゃくしゃとキーリの短くなった髪を無造作に、突然伸びてきたハーヴェイの腕がかき回す。そのままぶっきらぼうに、そしておそらく彼にしては珍しくも辛抱強くキーリに問いかける。そんな彼を吃驚したままぼんやりと見返してから、結局「……なんでもない」と小さく答えたキーリに、 「お前ね……さっきから、本当に、なんなんだ」 「わ、わ、わあっ」 頭上に置かれた手のひらが、キーリのもともと乱雑に切り揃えられていた髪を更に踊らせ、お世辞にも整ったとは言い難い、言えようはずもないぼろぼろの状態へと変えていく。大きな手のひらから逃れようと両膝をつき腰を引きながら「な、何するのよー」とせめてもの抗議をしてみてもハーヴェイは特に気にするふうでもなく、それからいつものように胸元から煙草の箱を取り出して一服への構えをみせた。見るも無残な状態になったキーリだけが何か、ものすごく不条理な気がして、それでいてなんとなくごまかされたような気もしてその場の空気に取り残される。ハーヴェイの方だけが余裕綽々といった様子で、取り出した煙草にやはりいつものように火をつけようとしている。けれどふと思い出したように、顔を上げて、 「あー……そうだ」 ぼそりと誰に告げるともなしに呟いてから、遥か彼方の空に目をやる。 それから。 「あんまり絡まなくていいかもな」 「へ?」 「ソレ」 「それって……」 どれ? と訊きかけて、あれやこれやと錯綜する思考と言語にキーリは一瞬よくわからないといった顔をしたが、次の瞬間、ハーヴェイ曰くの「それ」に思い当たり、今度は気のせいなどではなく頬のあたりが熱くなったのを感じた。慌てててのひらを押し当てごまかそうとしたが、ハーヴェイはそんなキーリの様子などお構いなしに煙草の煙をくゆらせながら、相変わらず遠い空を眺めているようだった。だけれど近くにいるキーリは気づいてしまう。 場所でない、それは目に見えない「近さ」がそこにたゆたっているのだと。 それは、他の人が聞いたら、一般的な誉め言葉ではないと思うのだろうけれど。 ああもう、まったく。 なんて面倒くさがりな性格だろう、と、わかっていた筈の実感を唐突にまた突きつけられて、なんとなしにキーリは言い返す言葉を失ってしまった。いや、奪い取られてしまったのだ。この、自分から少し離れた真横に座り込む、アテのない眼差しをした不死人の青年に。 不死人は戦争の悪魔だ――と。 ハーヴェイを知らない、大部分のひとは彼の素性を知ったら多分そう呼んで……もしかしたら蔑んだり疎ましく思ったりするのだろう。もしかしたらそんなのはまだ軽いものでもっと酷いことを言われたり、されたりしてきたのかもしれない。だから、なのだろう。 だからハーヴェイは人間とは関わらぬように今まで生きてきていて。 だからキーリはそんなハーヴェイと一緒にいたいと思って。 それは決して同情や憐憫などではなく、ただ、ハーヴェイが「ハーヴェイ」だから、こそキーリは。 「……うん。なら、いいや」 笑みを僅かに浮かべ、キーリは頷く。 その瞬間、二人の眼前に延々と広がる荒野に一陣の風が吹き抜けていった。 砂を舞い上がらせ、すべてを攫ってゆくようなそれに、砂が目に入らないようにとキーリは瞳を細め、視界を狭める。 乾いた空の下。 枯渇したこの不毛の荒野の上で。 いまをたくさんの人々が生きている。 ―――…ずっと。 この惑星に神様はどこにもいないのだと思い、たとえいたのだとしても、キーリの前には決して現れることはないだろうと思っていた。だが本当は。 「ありがとう、ハーヴェイ」 「べつに。……褒めたわけじゃない」 そっぽを向きながら、それでも律儀に返されたぶっきらぼうな返事にキーリは笑って今度は兵長のほうへと顔を傾ける。さらりと耳元で髪の滑る音がした。 「何か、明るい曲がききたいな」 朗らかに告げるキーリのリクエストに、沈黙を通していたラジオからすぐに希望通りの明るいメロディが途切れ途切れに流れ始める。 「ありがとう。兵長」 応えるようにラジオの音がやや高くなる。 もう一度、キーリは笑う。 途切れ途切れでもその音は、とても綺麗なメロディで、キーリの心に静かに浸透してゆく。目を閉じて、今度は誰に言うともなしに「ありがとう……」と、小さく呟いてみる。隣でハーヴェイが僅かに肩を揺らしたのがなんとなく気配でわかってくすりと笑う。 荒廃した大地で、それでもこの地をゆく地上の人々。 生きてゆくことが大変なこの惑星で望むものが手に入るひとは限りなく、少ない。 だからこそ手にした倖せにひとは喜びの声をあげる。 それがたとえささやかでも、ちっぽけなものでも。 「ハーヴェイ」 「……あー…だから褒めたわけじゃないって」 「うん。わかってる。それでもいいの。私が言いたいだけだから………ありがとう、ハーヴェイ」 (一緒にいてくれて) ずっと。 この荒れ果てた大地と惑星には、神さまは何処にもいないと思っていた。 けれど本当は……感謝を伝えるたびに、そこにいるのかもしれない。 ささやかでも、ちっぽけでも。 それは人と人とを繋いでゆく、大切な―――。 fin. |
(03/11/16)(に、書いたものを09/02/21に上げるわたし)
以下、当時コメント。今とあまり変わらない。
ありがとうと言えるのは豊かさの象徴なのではないかな、と。こころの。
与えたり、与えられたり。
最近わたしは色々と感謝しっぱなしです。読んで下さり、ありがとうございました。
少しでも、少しでも。
与えるものがありますように。