その強さにひそむもの。
「 戦士の憂鬱 」 | |
「あたしは強いぜ、ウォーカー?」 それは、 まぎれもなく。 **** ヒョォウとまるで何かの唸り声のように耳元を滑っていった風は、それから幾らも無いタイムラグのあと、見事に目標物を捕らえ、這いずるように地表を抜けていった。爆風と轟音がして、それから誰かの悲鳴が聞こえる。 否、誰と今更視認するまでもない。 (ちっ、バクの奴) 悲鳴に込められた単純明快な慄きの声に、フォーは思わず抑えようのない苛立ちを募らせた。 これだから頭脳労働組は、と、渋面に舌打つ。 組み立てた理論の実際の結果を見て尻込みする―――それだけならばまだしも今更作戦の中断を申し立てるなどと、言語道断、フォーにとっては上に立つ者としてあるまじき愚かな選択としか云いようがない。 (過保護だっつの) アジア支部の支部長―――たとえそれがどれだけ立派な肩書きであっても、そんな成りではその肩書き自体を汚すようなものだ。 (ハングリー精神の欠片もねえ) これだからあのお坊ちゃんは、と、二度目の悪態をついて、逸れた意識の端で予想に反して、「やりますよ。『追い込んで活路』作戦、いいかもしれない」と、実にふてぶてしいまでの笑みでもって立ち上がってくる少年を正しくその視界の内に捉える。真っ直ぐと自分に向けられるその眼には、燃えるような意志が宿っており、一度や二度……まあ正確にいえば幾度になるかわからないが、多少のことでは折れなさそうな強い気概が感じられた。――気に入った。 (これなら、) 或いはもしかしたらと考えたところで、けれどまたも要らぬ茶々が入った。 「や、やっぱり止めておいたほうが良いんじゃないか、ウォーカーくん。それ以上怪我をしたら元も子も……」 「るっさい! バカバク! てめェは引っ込んでろ!」 「ひっ!」 近くの瓦礫を片足で蹴り上げる。 狙いは寸分違わず異論を唱えたバクの横を無造作に通り抜けていった。 盛大な破壊音に重なって、瓦礫が突き刺さった岩石から、がらがらと耳障りな音が紡ぎ出される。あー、煩い。自分でやっといて何だが、……ああもう、面倒くせェな、バクのせいだ。 「あとでちゃんと直しとけよ、バカバク」 「き……き……」 「バ、バク様!?」 喘ぐような呼吸困難ののち、 「貴様っ! フォー!! 黙って聞いていれば人のことをバカバカと……ええい離せっ、ウォン! 一度ここらで奴にはガツンと」 ――――ッ、ドォォォオオウ――――――ン――――!! 爆音に、 …ヒュル、と、風の吹き抜ける音が後を追う。 「……………」 「……………」 「ガツン、と―――何だって? あぁ?」 狙い通り抜けていった石柱の欠片、――その残骸と、もうもうと昇る白い砂埃の横で、無言のまま石化しているバクとウォンの二人へと挑発するような眼差しを送る。 「おい、バカバク」 「―――ガ……ガツンと修繕工事、し、してやろうじゃないか」 「バク様!」 ガタガタと表情の定まらぬバクに縋りつくにようにしてウォンが、おいたわしや…! と、嘆きの声を上げる。ったく、ここの二人は揃ってバカだ。 改めて考え直すまでもないそんな事実を冷ややかに見返し、あーあ、とこれみよがしに溜め息を零す。だが視界の隅、それでも自分を見つめてくる眼差しの一つは尚も変わらず揺ぎない強い光を宿しているのが見え、 (…アレン・ウォーカー、か) ただひたすらに己が活路の開かれるときを信じ続ける、そんな光ある瞳を前にやや気持ちが高ぶった。この眼はもう現在を通して違うところを見ている―――そう直感できるだけの熱のこもった眼差しが、フォーの関心を更に強く引き寄せてゆく。 アレン・ウォーカー。 神に愛された、特別なエクソシスト。一度は死んだと思った。 けれど彼は死ななかった。 死の淵にいて、尚、甦った。 詳しいことなど何もわからない。 だがその情報から、一つ、言えることがある。 死ななかった。 死ななかった。 死は、少年を避けた。 それが示すこと―――それは、即ち――― 「と、とにかく! ウォーカーくん、あまり無茶だけはしないように。フォーも、できるだけ気をつけ」 「―――また喰らいたいのかよ、バク」 ねめつけると、ヒイッと素直な悲鳴を零して、示し合わせたかのように同時に仰け反る男が約二名。 そのまま遠慮なく後退し、 「バ……バク様、こっこここここは一つフォー殿に任せるのも宜しいかと」 「う、うむ、そうだな! ―――とっ、というわけで、フォー! あとは任せた! アジア支部の誇りにかけて彼をなんとかするんだ」 「――――――」 迷いなく返してくる、その端的で明解な言葉。或いは、大義名分、と呼ばれるそれら。それがストレート且つ矢継ぎ早にフォーへと放たれる。 ……こいつら。 ふつ、と擬似的なフォーの身体の、奥底らへんから煮立つような波がふいに起こる。 ―――確かに、この二人には必死にならねばならぬほどの絶対的な理由はないのかもしれない。あってもそれは義務という無機的なものであり、何をおいても優先されるべき不動のものではない。 そして、その当事者でもない―――のは、わかるけれど。 (ちったぁ見習えっての!) 仮にもアジア支部の支部長。 大層な肩書きがそこにあるのならば、ここは言葉一つでなんなく素通りしてよいところではない。否、寧ろそれは自分に却下されたとしても受け流さず食い下がり、意思を貫くだけの根性をみせる、そんな場面だ。なのに、 「ウォーカーくん! 私はモニターでチェックしているから何かあったらすぐ呼びたまえ」 「…あ、はい。ありがとうございます。よろしくお願いします!」 …………この体たらく。 深々と頭を下げるウォーカーとまるで対照的な――その、不甲斐無さ。 思えば思うほど徐々に胸の辺りがむかむかしてきた。思うことと、自分のやっていることが相反するものだという自覚はあったが、それでも気持ちは収まらない。原因がはっきりしているだけあって、より一層明確な苛立ちが募ってゆくばかりで。 よってその後の行動にフォーはなんら躊躇いを覚えなかった。手前勝手なのは充分に承知している。―――と、いうか、それが自分なのだ。 形作る原型なき、人のかたち。 守り神から派生した結晶体。 人、ではないから、もしかしたら許されているのかもしれない。 「バク」 「なんだ」 無造作に彼の者の名を呼ぶ。 その行為とともに、多くのものを。 自分には。 (与えられたんだよ、バク) 遠く、今の自分基を作った、一人の科学者によって。 今よりも遥か以前から、不自由のなかの自由、限られた特権の一つとして、自分にはそうやって許されたものがある。 だから。 「バク」 「だからなんだ!? 任せると言っただろう、私はこれから部屋に戻って色々と統計を取っ……」 「――――『追い込んで活路』作戦。」 人間には、限界があるということを知っていて、敢えて無茶を言うのも、実にそれに従事してのこと。これがバク本人の予測を大きく超えたものであることも、そこに彼は手も足も出ないだろうことも、だからこそ頭脳労働でここまで登りつめたのだということも。 すべて、 ―――すべてひっくるめて、理解した上で。 「お前も一回やってみろ」 「? 何を言」 「そしたらもっといい案が浮かぶかもしれねえし」 「――――な…ッ!?」 内なる憤りを消化すべく、フォーは自身が思うが侭にその地を蹴った。耳元で擦れて消えてゆく、空を切る刹那の音をどこか懐かしく思いながら。 そうして事態の成り行きに呆気に取られているウォーカーを密やかに、その視界の隅に留めながら。 まだ、死ぬことを許されていない、 生き抜いてゆかねばならぬ命題をその内に持つのであろう少年を。 見て。 (……面倒くせェな) それは、おそらく険しい道のりをしているだろうと思った。 そして人間である限りどこまでも付き纏う、影のような明暗がこれから彼の者を照らし出してゆくのだろうと思う。 死ねない、というのは、或いは少年にとって不遇なこととなるのかもしれない。 (……わかんねえけど) ―――だってあたしは人間じゃないから。 (わかんねえよ、) その答えを知っている者がいるかどうかすらもあやしい、それは未来の話だ。 だが、だからこそ思うのだ。 密やかなこの身の内で。 いつかもし、わからないそれを教えてくれる者がいるとしたら……それを、もしフォーへと教えてくれる者がいるのであれば――― (……お前、が、いいな) それはこのずっと未来の先で。 (どうせなら、あたしはお前がいいよ) せちがらさを噛み締めるようにして、その名を咽喉の奥で呟く。滑り出さぬように繋ぎ、堰きとめるのは、永続的に続くこの身が決して人間と同じぬくもりをもつことがないと知っているから。 『あたしは強いぜ、ウォーカー?』 (だから人間であるが故の弱さをあたしは知らない) 弱さを織れない自分にはきっとそれは辿ることもできぬ、未来の話だ。 ――――ああ、だから。 「おいバク。手加減はしないからな、避けるならうまく避けろよ」 「待っ、な……っ!」 人間ではない自分ができることを、今目の前にいる者に強さを以って教え、伝えてゆく。 それがきっと。 今ある現実で容赦なく自分がしてやれることなのだろう。 やがてほんの少しの嫉妬が入り混じった、複雑に歪んだ感情が風の中を擦り抜けたのち、到達した場所で一際高い悲鳴が宙にあがるのを聞いた。 唇の端でそれを笑う。 これは遠い未来を近づけるための一つの手段。 だからこそ。 追い込まれた活路が開かれるのは、 まだ、これから。 了 |
アジア支部創作第二弾。(でも初めて書いたフォーバクはこれ)
少し、フォーの身の内や未来について思うことを織り交ぜた話にしたいなと
途中から思い直し、じりじりと苛立ちが募ったり鬱屈としたりそれでも気持ちは
真っ直ぐだったり。そういう切ない部分も書いてみたいと思い、打ってみました。
人外だからこその苦悩、強いだけではわかりえないこともある、
といった感じで…そんな捏造フォーにしんみりしてもらえたら重畳。
こういうフォーが大好きです。
05/10/23