要・忍人EDクリア・ネタバレ注意!
諦めてしまうことが怖かった。 諦められてしまうことが悔しかった。 全てを当然のようにして奪われる。 それがあまりにも苦しくて、哀しくて、 もしも諦めるということがこの国にとって大切であり、 必要だということなら。 「…選ぶわ。迷いはしない」 |
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薄紅、桜、流れ星
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「―――え?」 それがあまりにも突然のことだったので、理解するよりもまず先に、声のほうがぽろりと外に転がり落ちた。 そのまま瞬きも忘れて浅い呼吸を幾度か繰り返す。 たった今聞かされたばかりだというのに、言葉がうまく頭の中に入ってくれない。 理解するのにひどく手間取って、歯車が噛み合わぬような、そんなちぐはぐな思考が千尋の意識を縫う。 そうしてたった一言。 その事実を受け止めるのに相当な時間を要しても、尚。 「な…にを、言ってるの…?」 みんな。 最初にそれを口にした風早を見、そして伏せ目がちに顔を俯かせる布都彦を見て、それから――― (それから……?) 即位の式典が終わればすぐにでも約束を果たしに……桜を見に行こうと約束を交わしたその人の姿を探す。 彼は当然のようにここにいるはずの人だった。 いて、当然。 いないことなど考えられなかった。 (だって今日は……ずっとあの人が望んでた、大事な日で……) 自分が王となる、その晴れ姿をちゃんと見ていてくれると言ったのだ。そしてそのあと、必ず桜を見に行くのだと、せっついた自分に了承の苦笑いをくれもして。 「嘘…よ」 けれど式典を終えたそこに――常世の国の王子、アシュヴィンまでもが、那岐やサザキ、布都彦、遠夜の中にいて、……いるのに、彼、葛城忍人の姿がどこにもない。 (…なんで) 風早の紡いだ言葉が、信じがたい言霊となって、戸惑い、咄嗟に拒絶した千尋の心を、食むようにしてじわじわと侵してくる。 立ち尽くすばかりの膝が大きく震えた。 恐れから、一歩、逃げるようにして千尋は身を引いた。けれどなくならない。その、不穏当な気配はどうしたってそこから消えてはくれない。 「嘘、嘘だわ。そんなの……私、信じない」 指先を冷たくさせるその現実に、何度も首を振った。 そんな自分を哀しげに、まるで痛ましいものでも見るように、皆が黙って静かに見つめてくる。 誰も何も言わない。 千尋の否定を、肯定してくれない。 注がれるその多くの視線に、そこに宿るある種の儚さに、頬に散る、短くなった己の髪が視界の隅で微かに揺れた。 「私――」 「……千尋。辛いでしょうが、本当のことです」 告げる風早の眼差しが確定した「現実(いま)」を伝えてくる。 それに呼吸すら忘れ、千尋は大きく瞳を見開いた。 「…やめ……」 「忍人は式典の最中に……」 「―――やめて風早……っ!」 そこから先は、何も聞きたくはなかった。 何故ならもう一度聞いている。 嘘だと言い、信じたくないといくら首を振って拒絶してみても―――深く、楔を打つようにして、自分のなかにどうしようもなくそれは刻み込まれている。 理解、していた。 いつだって自分のことを一番に考え、導いてくれる優しい風早が、軽々しく、そんな言葉を間違っても紡ぐはずがないことなど。 風早だけでない。 他の誰も、たとえ冗談であっても、そんなひどいことを口にするはずもない。 だから。 「……言わないで、風早。そんな、こと」 だから―――わかって、いた。 そんなこと、とっくに。 「将とは王の為にあるもの」 白い衣を纏った女が綺麗な声で謳うようにして言った。 「忍人さん…っ」 その事実に歯の根が噛みあわず、唇が震えた。 いや、それだけでない。 咽喉も、手も、指も、瞳も―――。身体のパーツすべてが、それを眼の前にし、息苦しさに震えて、底が抜け落ちていくような空虚な感覚と絶望を千尋に走らせた。 ……は、と。 乱れた呼気がその両肩を知らず上下に揺らす。 「忍人さ……」 「王! いけません、血の穢れが御身に……!」 近寄って。 膝を折ろうとしたまさにそのときに。さっきまで何を言われても素通りしてたその声が急にはっきりと耳に届き、千尋の鼓膜を鋭く震わせた。或いは、貫いたといったほうが正しいか。 何を言っているのかと、愕然としながら官の男を見返す。 「穢れ…? 何……何をもって…これが穢れだというの」 激情がカッと身体の芯を走った。 「お、王。その、私は」 「控えなさい…! 誰も―――誰も、この場に近付くことは赦しません……! 他の者もです。今すぐ、去って、そう皆に伝えてきなさい……っ! 王の命です。誰であろうと、ここに、今、ここに立ち入ることは赦さないと!」 咄嗟に抉じ開けた咽喉を使って、悲鳴のようなそれを甲高く告げる。 熱くなっていく瞳を、懸命に見開いてそれを言った。 王となって紡ぐ……それが初めての「命」だった。 その女の隣で、 頭一つ分ほど背の高い男が、やはり純白の衣を纏いながら厳かに言った。 「そして汝は王。果たされた忠義に何を憂う。何を心揺らすことがある」 そんなもの、わかりきっている。 何を、と云うのならばそれこそ何をだった。 「桜……」 それは一体何の皮肉か。 とても綺麗な桜の花びらを食い入るようにして見つめる。 顔を上げた。 見れば桜は、華やかな彩りと儚いばかりの美しさを燦然と誇りながら、その薄紅の花弁 を辺り一帯に柔らかく敷きつめ、見事な景観を作り出しているところだった。 綺麗だった。 とても、言葉もないくらいに綺麗だった。 千尋ははっきりとそれを断じた。 譲れぬ一線。 それに想いの全てを賭けた。 「戻るの?」 女の、いっそ無邪気とも言えるような、ひどく不思議そうな声が、どこだかわからない洞窟の中で小さく響いた。 見知らぬ男女二人と対峙しながら、忍人は油断なくその身を構える。 けれど女はまるで意に介したふうでもなかった。 気にも留めず、 「亡者とともに黄泉に行けば良いのに。こんなところに迷い込むくらいだもの。帰っても、もう何もないんでしょう」 何ら悪びれることもなく、飄々と忍人の置かれている現状を言い当てた。 「……何を……」 そんなこと、わざわざ言われずとも、当の忍人が一番よくわかっている事実だった。 自分に残されたものはあまりに少ない。 それでも、心は戻りたかった。戻るという選択は、ごく普通に、当たり前のようにして忍人の念頭にあった。 黒装束を身に纏った女の傍らで、もう一つの影、男の方もゆっくりと口を開いた。 たった今考えた、忍人の思考でも読むかのように。 「仕えるべき王も、守るべき国も、部下たちも失った」 「…………っ…」 「今、黄泉路を行けば虚無と引き換えに安息だけは手に入るぞ」 息を呑んだそれは、ひどく冷静で、端的な事実だった。 山のふもとで待っていると言い、先に行った狗奴の兵士のことを思い出す。確かに、王も国も、多くの部下たちも自分はこの戦いで失った。 「戯言を…常世の国の追っ手か?」 けれどそればかりが全てではなかった。 自分と共に戦い続けてくれた仲間はまだ他にもいる。自分を待っていてくれているのだと、忍人は剣を握る手に力を籠めた。 「俺を惑わせようという腹だろうが、その手には乗らぬ。貴様らを倒して、この洞窟を抜ける!」 刃のこぼれた刀でどこまでやれるか……なにより自身の限界も間近ではあった。だがだからと言って、それが目の前の正体不明の不審者たちへと怯む、その理由には何らならなかった。 忍人は気迫を込めて双剣を眼前に構えた。 「ふふ、まるで手負いの獣ね。これほどの傷を負っても、他者の魂を狩って、望む未来を得ようとする。誰かの血を流さずにいられない」 すっと女が黒いその袖口から白い指を突き出してきた。忍人を指差す。 それに、ますます忍人は警戒心を高めた。 女は至極満足げな様子だった。 「それでこそ我らも――」 そうしてその言葉を紡ぐさなかから、忍人の手にある剣が突然白色を伴い、強く光り出した。 眩いそれに、一瞬、瞳を閉じる。 そして次に忍人が目を開けたとき、そこには刃こぼれ一つない、真新しい剣があった。 綺麗な刀身がきらきらと輝いている。 「あれだけぼろぼろになっていた剣が……」 血の染み一つないそこに、自らの驚いた瞳が映り込む。 男が、女の後を引き継ぐようにして言った。 「だが、力を求めるならば、代わりにお前は何を差し出す?」 「……っ…」 「人を超える力を得るにはそれに見合う対価が必要だ」 対価、という言葉に身体が震えた。 恐れたわけではない。だが聞き流してはいけない言葉だと直感でそれを忍人は悟った。 「お前が力を欲するのなら―――そう、」 男が、女のそばに立ち、同じようにその指を突きつけてくる。 それは忍人自身というよりは、寧ろ…ここよりもずっと遠い場所を指し示すようなものにも見え、 「やがてお前の望む未来とともに。死は美しき乙女の姿でお前の元へと舞い降りる」 ――――それが、お前の既定伝承。 聞き慣れない言霊が忍人の頭に浮かんだ。 (なに……っ?!) 困惑している間に、二人の姿が陽炎のように揺らめき始めた。 はっとなって忍人は二人に詰め寄る。 「待て、貴様らは何者だ! 何をたくらんでいる!」 忍人の怒号に、先に応えたのは女のほうだった。静かに女が応える。外套の向こうには微笑が見えた。 「我らは、あなたのかたわらにともにあるもの」 「お前の牙となり、爪となるもの」 「――――っ!」 再び、白光が目の前にて閃いた。 「私は、望んでなかった。こんなこと……たとえ王であっても望んではいなかったわ」 ふたりで、約束した、三輪山の桜を見に行きたかった。 そんなささやかで、無謀な願い。 千尋の望み。 ……それを阻むのは一体何だと言うのだろう。 忍人の将として責か、それとも国を守るという彼なりの決意か。 だがそれは千尋にだってあることだ。 王としての責。 国を守るというその決意。 それは決して忍人だけが背負っているものではない。 背後の気配をそのままに、ふと、千尋は顔を上げた。 前髪が払われ、視界が開かれる。 そこには陽の光と、波打つ稲穂を赤く照らし出す、燃える様な黄昏があった。 「では、貴女は何を望もうというの」 「汝、何を所望しようというのか」 「わかった。俺のせいでいい。いいから、とりあえず行くぞ」 そのままあっさりと手を取られた。 繋がるぬくもりに引っ張られて、赤らんだ顔のまま、千尋は忍人の背後、その半歩ほど後ろを黙ってついてゆく。 しばらく地面を見つめていたが、少し経って、どうにも我慢ができず、視線をそろと上げてその背中を見た。 背は、千尋を振り返りもしない。 だがそれでも良かった。否、それが良かった。 それが、とても彼らしくて。 「……忍人さん」 「なんだ」 「あのね」 振り返らない背中に短い好意の言葉を放つ。 繋がった手が、微かに震えたような気がした。 そして、 答えはすでに用意していた。 それに相応しい、それ以外にないものを。 「私は――――」 「……好き。忍人さんが、好きよ。ずっと好き」 重ねて言ったそれに、「……知っている」と、いやにぶっきらぼうに応えてくる彼へと小さく微笑んだ。 |
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「桜。綺麗だね」 そして薄紅の桜がはらりと落ちる。 それはまるで流れ星ように―――― |
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( さようなら ) |