主観と客観。




 興味なんてないのだろうと思っていた。
 寧ろあるなんて露ほども思っていなかった。
 だから。
「…………嘘」
 というのが千尋の率直な意見であり、感想だった。
 夢でもみてるよう……と思わず頬を人知れずこっそり抓ってしまったくらい、それは俄かには信じられない。都合の良い夢でも見てるのではないかと更に頬の抓りを強めてみたが、痛みが増したばかりで現実は何ら変わりない。
「…………」
 現実だった。
 まごうことなき、現実。
 あまりに信じ難い出来事に、今更ながらに千尋は口角を震わせた。抓った頬が痛い。不要な痛みを与えられた左頬が、その不条理さを訴えかけるよう、熱を帯び、じんじんと鈍い痛みを伝えてくる。だが今はそんなものになど構ってはいられない。
(だ、だって。だって!)
 予想だにしていなかった。
 まさか、そんな。
 嘘のような現実が急に訪れてしまったのだから。おろおろとしてしまう。千尋の胸は、頬の痛みなどよりもずっと激しく揺れる。
 声をかけられたのはまさにそんな、現実への動揺が最高潮へと達しようとしたときのことだった。
「お? 姫さん、どうしたー? んなとこ、ぼーっと突っ立って」
「あ、サザキ…」
「おー……って姫さんっ!?」
 振り返ったら悲鳴を上げられた。
 素っ頓狂な声が大きく回廊に響く。そうして普段からオーバーリアクション気味なサザキはそのまま慌てて駆け寄ってくると、
「ど、どうした姫さんっ? な、なんか熱でもあんのかっ?!」
「え」
「顔がすんげー赤い!」
 びしりと指を突きたてられて、自分でも熱く感じられる頬は、どうやら他人から見てもやはりひどい有様らしいことを千尋は知る。
 う、うん、とぎこちなく頷くも、けれど理由はサザキの言うような「熱」が原因ではないことはもうよくわかっていた。理由は熱などではない。現実への動揺と一緒、顔が赤いのはもっと他の理由でだ。
 そうこうしているうちに、まごつく千尋へとサザキが面倒見よく額に手をあて、自分のものと比べて、うーんと腕組みをして首を捻り始める。
(腕組み……)
 その姿。
 それに被るひとを思い出して、ぼんっとまたも千尋は頬の熱を上げた。サザキが驚いてこちらを見る。
「ひ、姫さんっ?!」
「なななんでもないの! なんでもないから!」
 今度は自分が悲鳴のような声を上げて、後ずさる。慌てて手を振ったら、うっかり手の中にあったものまで景気良く宙へと飛ばしてしまった。
 ひゅるひゅる、ぽん、っと。
 まるでドラマや映画のように、それは頭上を飛んでゆき、サザキの目の前に落ちる。が、反射神経の良いサザキはそれをなんなく受け止め、
「ん?」
 当然の如く、その視線を落とした。拾ってくれたのは有り難かったが、見られるそれはあまり有り難くない。
「やっ、待っ、ちょ、サザキ、だめ……っ!」
「うん? これは………」
 まじまじと見つめて、顔を上げる。
 そして取り返そうとする千尋と目が合うや否や、
「……へー。ふーん? ほおぉお」
「な、なに…っ?」
 虚勢を張ってみたがサザキの腕に縋りかけの状態ではあまり格好はつかない。にやにや笑うサザキはどことなく……ではなく、とてつもなく楽しそうだ。意地が悪い。
「――真珠の髪飾り、か。うん、こりゃいい品だ」
 目利きの良いサザキが口笛を吹いて、品の良さを強調する。だが千尋はこの中つ国に来るまでの五年間、ごくごく普通に、普通の学生として日々を平凡に過ごしてきただけの身である。一見して宝石の価値などわかるはずもない。わかるわけもないから、ただ、綺麗なそれに惚けて、相手が去ってゆくまで、何も言えずに、見ていることしかできなかったのである。そうだ、何も言えなかった。ありがとうも嬉しいも、何も。
 頬を抓ったのは、そうしたあとのこと。
「いいモン、貰ったな。姫さん」
 にっと笑ってサザキが言う。真珠の髪飾りをぽんと千尋の手のひらに返してくれながら。
 けれど千尋はそれどころではない。
 それ、どころではなく。
 貰った、という一言に激しく動揺した。やっぱりそうか。そうなのか。いくら現実として受け止めていても、他の者に言われるのと自分がそう思っているのとではやはり実感度がまるで違う。比ではない。
 ……興味なんてないのだろうと思っていた。
 寧ろあるなんて露ほども思っていなかった人からの、初めての贈り物。
「って、おおおーい!? 姫さん、それやっぱ、ぜってー熱出てるって!」
 顔が赤い! と、サザキが再び悲鳴を上げたが、ああ、熱なんか出て当たり前だ。
 次に会ったら絶対お礼を言わないと。








08/07/22
おしちひ? と言っていいのか。
なんだかサザキが保父さんみたいな話になりました。
どこに面白いところがあるのか。自分でもさっぱりです。