「出会わなければよかったんです」 |
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「 君を知る 」 (薄桜鬼/山崎ルート捏造/1章〜2章/西本願寺引越し前まで) |
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「平助君!」 今まさに。目の前の廊下を駆け抜けようとしていた平助が、声を聞きとめ、驚いたように立ち止まる。きょろと視線が一瞬彷徨うも、すぐにこちらを見つけて、なんだ千鶴かと言いながら近付いてくる。千鶴も同じように平助へと近寄っていった。 そして顔が近くなったところで互いに立ち止まり、 「何かあったの? なんだか皆、ばたばたしてるけど……。長州の間者って人から、何か情報でも聞き出せたとか?」 少し考えてからそう尋ねる。すると目の前で平助がそうそうとそれに軽く頷いてみせた。 「今夜、長州の奴らが会合するらしいんだ。で、オレらは討ち入り準備中ってわけ」 雑然としていた空気への疑問がやっとそこで氷解する。 長州の会合。その討ち入り。 それは確かに緊迫もする状況だ。 「そうなんだ……」 呟くと、更に平助が隊を二つに分け、別方向から町中を探索するのだと教えてくれた。 池田屋に向かうのは近藤率いる隊士十名。 四国屋に向かうのは土方率いる隊士二十四名。 人数にばらつきがあるのを不思議に思えば、 「土方さんたちの行く四国屋が当たりっぽいよ。……オレは逆方向だから、ちょっと残念だなあ」 本命と様子見の二つ。 それゆえの人数配分だと言われ、そうかと納得する。 当たりがついているのなら確かにそうするのが当然だ。 だがそれとは別のところで、千鶴には少し引っ掛かることがあった。 「動ける隊士は三十人ちょっとなんだ……」 狭い屯所内で男ばかりがひしめきあって暮らしているので、衛生面で病人が多いのは知っていた。けれど動ける者のあまりの少なさを知って、正直素で驚いた。二重の意味で、だからこそそうやって当たりをつけねばならなかったのだと、遅ればせながらもようやくそれに気付く。 困ったように、はあ、と平助が淡い溜め息を吐いた。 「会津藩や所司代にも連絡入れたんだけど、動いてくれる気配無いんだよなあ……」 つまり今の新選組には何の手助けもない、ということか。 「……大変なんだね」 そんな大変な山場であるというのに、どこか他人事のような返答しかできない自身にズンと胸が重くなった。何もできない空しさがふいに募る。けれどそんな思いを感じ取ってか、落胆しているはずの平助が、気にするなとでもいうように明るい笑顔を一つ、ぽんと景気良く寄越してきた。 「まあ、任せとけよ。オレたちなら大丈夫だ」 胸を張って、毅然と言う。 その笑顔には一片の曇りも無い。 頼もしいその言には新選組幹部としての誇り、そして信頼を乞う響きがあった。気落ちする千鶴の為に紡がれた平助の言葉……優しさに、千鶴は強張った頬を幾らか和らげ、黙然と頷いてみせた。それだけで多分平助には通じた。 予想に違わず、よし、と平助がその笑みを深めてくれる。 そうして「オレたちに任せとけって」と重ねて言い、準備の只中へと戻ってゆく。その背を黙って見送りつつ、 (大丈夫……大丈夫だよね) 皆なら、きっと、と。 祈るようにして思う。願った。 大変な夜になりそうだという予感と現実は幾らも変わりない。 皆なら大丈夫だと信じてはいるが、不安の影がいくら追い払っても千鶴の胸と頭を薄暗く占めてゆく。 (……大丈夫) それに負けぬよう、千鶴は自らの指を固く胸の前で握り締めた。 今はただ。 (どうか、皆が無事に帰ってこられますように) それだけを願って。 「残念、見たかったな、その時の君の驚いてる顔。……と、あと山崎君の仏頂面もね。山南さんが一緒にって言った時に、彼、きっとものすごく嫌そうな顔したと思うからさ」 「――――」 本当に。 (な…なんて) 影でこっそり見ていたとしか思えぬほど的確にその時の状況を言い当てられ、二の句が継げず、言葉をなくす。愉悦に富んだ表情の沖田が、そんな千鶴を見てまた一段と深い笑みを零す。 もはや何と言って返したらいいのかわからない。わからなかったが……。 「―――もうそのくらいにしておけ、総司」 そんな千鶴の慌しい心を落ち着かせるよう、ふいに声が室内に響いた。 広間にもう一人、新たな人物がその姿を現す。 「さ、斎藤さん……」 目を剥いて驚くも、大した感慨もないように斎藤はいつも通り物静かに広間へと入ってくる。 (い、一体いつから――というか、また!?) その光景に、いつぞやもこんなことがあったのを思い出す。 あの時も沖田にからかわれているとき、やはり今とまったく同じように斎藤が合間に入って助けてくれたのである。 今回もまさにその流れ。 自分があまりに学習能力のない子供のように思えて、気恥ずかしさにかっと赤面した。ああ、こんなふうだから沖田にいいようにからかわれるのだ。いつもいつも、こうやって他愛もないことで至極あっさりと。 居た堪れなさに悶々としていると、 「彼は」 「……は、はいっ?」 顔色を青くしたり赤くしたりと忙しい千鶴へと、いつの間にか斎藤の瞳が思慮深く向けられていた。そのまま水底を覗くようにじっと見つめられる。その真剣さに、何か、と思っていると、やがてゆっくりと斉藤は口を開き、 「……彼は、新選組諸士調役兼監察の任にある者だ。いつも調査などで多忙にしている。あまり滅多なことでは表に出てこない。故に、あんたが知らずとも別に不思議なことではない」 「し、新選組諸士…?」 訥々とだが、丁寧に告げられ、聞き及びのない言葉に目を白黒させる。そんな千鶴へと、ぽん、と今度は沖田がその手を軽く頭の上に置いてきた。 「――調役兼監察。つまり隊の内部監察や諜報活動なんかを主にしてるんだよ、山崎君は」 咽喉を鳴らしながら、「だから」と、その後を続ける。 瞬間、何かひどく嫌な予感が千鶴の胸を引っ掻いた。 「だ――誰ですかっ、あなた」 振り絞った勇気を軒並み注ぐようにして、ぐっと相手のことを睨み、千鶴は声高に叫んだ。いざとなったら脇に差した太刀を抜く、そんな覚悟を胸に潜ませて。 (怖いけど……でも、でも――!) 本当の本当に、いざとなったら私だって! そんな決意を改めて固めていたら、ふいに場の空気がふつりと緩むのを感じた。……いや、途切れたと言ったほうがそれは正しいか。気付けば鋭かった相手の眼光がひどく呆れたふうなものに変わっていた。 思わぬ反応に躊躇い、え、と困惑していると、 「君に……誰と咎められる覚えはないと思うが、雪村君」 「……は?」 嘆息まじりに何かを言われた。 理解するよりも早く、相手が再び口を開く。 「それに問い質したいのはこちらのほうだ。何故こんなところにいる? 君に宛がわれた部屋はこことは別の、反対方向だろう」 「…………」 若干。 声に聞き覚えがあった。 しかもつい最近。ごくごく最近。……とても身近で、そしてとてもとても切羽詰った状況下で。 『雪村君』 自分をそう呼んで――呼んだ人が、記憶の一番真新しい所に。 思った直後にあっと息を呑んだ。途端に強烈な記憶が頭の中の疑問符を蹴散らかすように転がり込んでくる。 「や……っ」 それは覚えがあって当然。千鶴の記憶に残っていなければ確かにおかしい。でなければ、本当に――― 「山崎さんっっ?!」 自分、は。 なんて薄情者なのか。 やっと相手の正体に気付き、悲鳴じみた声でそう叫ぶと、山崎が不機嫌そうにその眉根を潜めた。 「綺麗な夕日……」 呟けば、寒さはあれど、その空に自然と頬が綻んだ。 一年近く過ごしたこの場所を離れるのはとても別れがたく、寂しいことであるが、皆と共に――一緒に行けるということはとても嬉しいことでもある。それは監視という制約があってのことで、自分がついていっても、隊にとっては大した役にも立たぬことだとは重に承知しているが。 (それでも) 『……ありがとう、雪村君』 そう言って、自分を認めてくれたひとがいる。 雪村千鶴という個人に言葉をくれたひとが。そういった諸々の事実は、自分に前に踏み出す勇気をくれた。 例を挙げてしまえばつい最近の禁門の変がそれに当たる。 あれも山崎と話していなければ、きっと行きたいとは、思っても口に出しはしなかっただろう。足手纏いになるのがおちだと早々に諦めていた。 (……うん。山崎さんの一言がなかったら) あの一言があったからこそ、役に立たないとわかっていても力になりたいと動くことが出来たのだ。 思い出して小さく微笑む。 そしてその笑みを浮かべたまま、ありがとうございますと胸のなか、そっと小さく囁き、今ある目の前の一歩を踏み出す。 ギイ、といつぞやと同じように足の裏で床板が軋む音を立てた。老朽化の進んだ床がギイギイと続けて鳴き声を上げる。そうして千鶴の歩みのあとをまるで追いかけるようについてくる。 (なんだか新選組の皆と私みたい) 自分はこの床板の音で、彼らの行く先を必死で追いかけている。その理由は、きっともう、父のことだけではない―――。 (春になれば……) ギイと床板が鳴る。ギイギイと追いかけてくる。歩む自分の、進む先を求めて。それがこれから一体どこに行き着くのか。まだそれはわからないけれど、 (春になればきっと父様も見つかる。新しい屯所でも今みたいに皆と楽しく過ごせるよね) 赤い空に笑みを浮かべたまま千鶴は歩みを進める。 夕焼け空は本当にとても綺麗な色をしていた。 *** 「――――、」 赤い空が見えた。 赤々と燃える空は夕焼け空。陽は傾き、夜の帳をおろす前の、そのひととき。 「ちょいと通しておくれよ、お嬢ちゃん」 ふいに風が頬を撫でた。 それと一緒になって、足早に自分の横を通り抜けていく人影があり、黙って道端に身を寄せながら、その主以外にも道往く人々の足が自然と足早なものになっていく光景を無感動な眼差しでじっと見つめる。 そうしてふと。 (止めてしまったらどうなるんだろうね) たとえば今。 そんなふうに急ぐ、その足を、と考えてみた。 (止めてしまえば) 何かが――誰かが、悲しむのだろうか。戯れにそうした想像を軽くしてみる。…ああ、と感嘆が唇より思わず零れ落ちた。 それは、その想像は、案の定ひどく自身の心を湧き立たせるものであった。 自分という小石を投じただけで簡単に歪む世界。変わってゆく未来、そして運命…。あまりにもそれは容易く捻じ曲がる。 それがおかしかった。ひどくひどく、おかしくて。 「そうしようか? ねえ、」 問いかけるように呟き、残酷なその光景を更に頭の中で黒々と展開させてゆく。 けれど――その時。 「今日は綺麗な空ねえ。見てごらん」 先と同じように自分の横を通り過ぎる声を聞いた。今度は性別も数も違った。 目を向けた瞬間、それを知って、沸き上がっていた興味は波が引くように霧散し、あっさりと消え失せた。 「…………」 声に、導かれるようにして赤い空をもう一度見上げる。それに付随してぼんやりと思い出すものがあった。 (どうせお前は忘れてるんだろうけど) それでも、あの朱を。 あの日のことを。 忘れぬようにと胸に何度も刻みつけ、思い出しながら自分は今日までの日、地を這うようにして生きてきた。それは決して忘れられない記憶。屈辱の日々だった。忘れてなど、してやらない。するものか。 念じるように思っていた。 だから。 「―――まるで、あの日のようだね、千鶴」 (もうすぐ、迎えにゆくよ) この未来だけは、けして奪わせないと決めている。 *** 「俺がいよう」 静寂の中で届いたその一言の意味を完全に理解するのに、千鶴は随分と時間を要することとなった。 「……?」 何を言われたのか、すぐにはそれを受け止めることができなかった。 ただ何か、思いがけない言葉を聞いた気がした。 顔を上向け、……え? と、その目を瞬かせる。 山崎はすぐ近く、手を、軽く伸ばせばすぐ触れられるところにまでいつの間にかに来ていた。 惚けたままの千鶴を置いて、自身の膝を折る。また少し、近くなった。けれど目線を合わせられても、まだ自分は何も言えなかった。言葉が放てるほど、その事態を呑み込み、噛み砕けていなかった。それを感じ取ってか、 「誰のところにも行かず、このまま部屋に戻るというのであれば、俺がいる、と言った。聞こえなかったか?」 「…………」 聞こえた。 それは多分、とてもしっかりと、己の耳に。 今度こそその意味合いを正しく引き連れて。 もう一度、困惑に瞳を瞬かせる。訊かなければならないことがあった。 それはつまり。 ……だから? 「や…山崎さんが、ですか?」 「そうだ。他に誰がいる。君をこのまま一人にしておくことは出来ない」 きっぱりと告げられて、鼓動が一つ、大きく跳ねた。 |
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「皆、待ってますよ。行きましょう」 苦笑いを笑いに変えて、その名を呼ぶ。 「山崎さん」 ( それは、今思えばなんてやさしい――心温まる日々だったのだろう ) |
(「君を知る」よりサンプル文章抜粋)