( まるで泥水が跳ねるように )
「……八葉が、私の為に在るのは知っています―――
でも私が八葉の皆に望むのは、皆が無事でいること、
誰も傷付かず、生きていてくれること。
それ以外は何も望みません。それ以外は必要ありません。私は、」
残響する少女の声の、その迷いのなさに、
すべてはもう、緩やかに廻り出していたのかもしれない。
おかしいと最初に気付けなかったときから、
迷いのない少女の知る未来へと向けて。
それは、止まることなく。
(紹介Flashは画像をクリックにて)
「 暁に響く 」 | |
名は、人を表す。 肩書きはその立場を。 *** 飛沫が上がる。 ふとしたら漆黒にも見える、闇の中で飛んだその朱を、それは流れる視界に鮮やかに焼き付かせた直後のことだった。 「望美さんっ!」 方向感覚の曖昧な世界に、鋭い一声がどこからか放たれた。 その声にはっとし、顔を上げる。途端、暗闇で塗り潰されていた世界に場違いとも思える色鮮やかな衣が翻り、まるで、白拍子が舞うようにひらりと軽やかにその視界を遮られた。 けれど身に纏う衣が、白拍子が袖を通すようなそれではなく、ただの戦装束であることを敦盛は知っている。 それを、そうして苛烈な影とともに瞳に映しながら、 「―――――っっ!」 瞬間。 ぎちり、と。 奥歯を噛み締めた音を、その騒乱の中で敦盛は聞いたような気がした。 *** 「神子は………」 「? どうしました、敦盛くん?」 「いや……神子は、一体いつから剣を持つようになったのだろうか」 それはそれほど意外な問いかけだったのだろうか。 何気なく呟いた敦盛の言葉に、珍しく弁慶が瞠目した。それから少しの間を置き、何か思い起こすように、ついと顎を引くと、 「考えたことも……なかったですね」 「弁慶殿?」 その一言に、何故か、急にざわりと胸が騒ぐのがわかった。 そんな敦盛の様子に気付かず弁慶は続ける。曰く、 「彼女は初めて会った時から……もう剣を持っていましたし、神子としてすでに怨霊を封じていましたから」 連れ添った白龍の幼子と、同じ龍神の神子である黒龍の神子を守るようにして。 そしてその鮮やかな手並みと九郎の師であるリズヴァーンを知っていることが更なる後押しとなって、少女は提示された幾つかの条件を見事にこなし、晴れて龍神の神子として源氏の陣に迎えられたのだ。 やがて三草山でそんな彼女と敦盛は再会した。 京で初めて会った時には、剣を持つような少女とは到底思えなかった彼女と。 *** 「真っ赤だ……」 ぽつりと呟くと、ふいに目の前がぼやけはじめ、朱を纏った手の輪郭がみるみるうちに歪んでいった。胸元から咽喉へと、熱いものが込み上げてくる。 「……っ」 そして赤い、赤い、 どこまでも暗く、 どこまでも鮮やかに、 死へと―――世界が墜ちたことを知らしめるべく、その色は望美の視界の中で滲んでは、留まり無く広がってゆく。 だがそれでも決意を翻すわけにはいかなかった。その為に、今、自分はここにいる。ここに立っている。立つことを決めたのは他ならぬ自分自身だ。 掴み切れなかった一瞬をこの手で捕まえるために。 (……だから、私は) 思い描く未来を掴むよう、手を空へとかざすと、べったりと血に染まった手のひらの向こうに涙に滲む満月がぼんやりと映って見えた。白光に守られたそれに、今度こそ何かを言おうと唇を動かす。 けれど手のひらからぽたりと滴り落ちた赤い雫に、言葉はまたも飛び立つ場所を失ってしまった。 眦に溜まった涙が、頬に落ちた微かな熱を拾い上げ、交じり合いながら、曲線を描き地面へと流れ落ちてゆく。 それは、砕けてしまった生命の欠片だった。 この手が、掴み損ねてしまった、生命の残滓だった。 眩いばかりの月が、輝きながら、そんな望美を上空から明るく照らし出す。 美しい月。 それは望月。 望美の名を表す、美しいばかりの空の光。 (…………そこに、私はいつか戻りたかった) だが幾人もの肉を断ち、浴びるほどの返り血を受けたこの身が、すでにあの月と同じように綺麗な場所へと帰れるはずがないのだ。 充分に理解している。 あの場所はもう遠い、二度と帰ることの叶わぬ場所。 そして――― 「………行か…なきゃ…」 これからまた、人を殺めようとしている自分には到底手の届かぬ場所でもあるのだ。 (「暁に響く」/収録) |
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